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Asia

1993-4年 みんなが生活しやすい地球を「スリランカ旅行に参加して」

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93年の年末から94年の年始にスリランカ旅行に行ってきました。 93年末はメキシコと2年続けてのろう者と一緒のお正月です。同行の夫曰いわく、「メジャーじゃない所ばかり行くね」。まったくその通りで、手話をやっているおかげでいろいろな体験をさせていただいております。

1.有名な楽しい方達と一緒

19940101_0006.jpg参加者15名、手話通訳は谷田道子さんと私の2人(彼女とは通訳クラスのクラスメイトなのです)。リーダーは前に品川にいたろう者でエジプト、メキシコと一緒に行った方です。他のろう者とは初めてお会いする方もいましたが、皆とても良い方ばかりでした。今回何より嬉しかったのは飯島さんご夫婦と一緒だったこと。洋子さんのいつもの気配りと昭ちゃんの明るさはグループの中でも光っており他の参加者もとても喜んでいました。(2人ともますます有名に・・・。コロンボのろう学校でボランティアをしている浜崎先生と昭ちゃんは面識はないのに開口かいこう一番「有名な飯島さん」といわれていました)

2.仏教遺跡ぶっきょういせきと紅茶、宝石の島

19940104_0008.jpg『スリランカ』と聞いてあなたは何を連想しますか?
1947年に独立するまではイギリスの植民地で昔の国名はセイロン。私は紅茶の名前としてしか知らなかったのですが、インダス文明発祥の地であるインドのすぐ下に位置することから、仏教遺跡が多く巨大な涅槃像や壁画など見るところも多く、また緑いっぱいの紅茶畑でインド系の娘さんたちが茶摘みをしている所などはとてもきれいでした。宝石はダイアモンド以外は何でも出るということで、高価なものをたっぷりさわらせていただきました。
ヤシの木が島中いたる所に生えていて涼しい緑の木陰を作っています。ヤシの実は生活必需品になっており、その実の中にはジュースがたっぷり入っています。私たちも飲んでみましたが、青臭くもなく飲みやすいものでした。
19940104_0002.jpgヤシの実にはジュース用の金ココナッツ、料理用の普通のココナッツの2種類あるのも初めて知りました。
初めて知ったといえば紅茶のティーバッグの中身を見たことがありますか?紅茶工場でランクを見ましたが最高級のBOPF(BOPの工場出荷分)、次がBOP(くだいたオレンジ色の葉の意味)、途中もう2、3ランクあって次がダスト(喫茶店用)、次がティーバッグ用でこの後はないのです。ティーバッグを開けてみたことはありませんが、あれを見るともうティーバッグの紅茶は飲む気がしません。(ティーバッグ屋さん、ごめんなさい)
ちなみに国名の語源はシンハリ語で美しい(スリ)島(ランカ)です。

3.スリランカのろう者と交流

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今回の旅行のハイライトのひとつはスリランカのろう者との交流会。
現在スリランカには8つのろう学校があり、現地で長い間ボランティアとして活躍している浜崎先生にいろいろ労をとっていただき、そのうちの1つの学校の校長先生、教頭先生の他3名のろう者が来てくださいました。交流会での通訳方法はスリランカのろう者の手話を現地の言葉であるシンハリ語(音声)にしてもらい、海外青年協力隊員の方(この人がまたとても素敵な方でした)が日本語(音声)にし、それを日本手話にするのですが、ろう者同士はダイレクトにコミュニケーションしており、私は逆にみんなに日本手話に通訳してもらい理解するという状態でした。
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身体障害者に国から手当が出る、障害者に対する間違った迷信が障害者や家族を苦しめているなどは日本もスリランカも同じですが、その迷信の中身がちょっと違うようです。日本では仏教用語の輪廻転生から前世の因果で身体障害者が生まれる、という迷信がありますが、同じ仏教の国であるスリランカの輪廻転生は現在一生懸命に生きれば次に生まれる時は耳が聞こえるようになる、というふうに考えられているんだそうです。同じ輪廻転生でも前向きだな、と思いました。
また、耳が聞こえない子供が生まれるとその家にしあわせが訪れると信じられており、その子供を大切にするそうです。
しかし国そのものの貧しさは日本とは比較にならず、平均月収9千円程度で普通の学校はもちろん、ろう学校の設備は乏しく、文房具は高価で日本のお金に換算とえんぴつ1本300円位になるそうです。町で出会う子供達の目はとても澄んでおり、金持ち大国日本のするべきことは何なのか、改めて考えさせられた旅でもありました。

4.コミュニケーション上手な聴覚障害者

海外旅行をする人は今とても多いけれど、聴覚障害者と共に旅行すると国際交流を本当に実感できます。相手が何国人だろうと耳が聞こえようと、聞こえまいとボディランゲージでどんどんコミュニケーションしていき、友達になってしまうのです。(時々、呼ばれて通訳するのですが、私のとぼしい英語では通じきれない時があり、おお汗ものでした)
現地ガイドから「聴覚障害者のガイドは初めてだけど、むしろ普通の団体よりキチンとしている。またとても積極的だ」と驚きと称賛の言葉をいただきました。

全員病気もけがもなく、1月6日に無事帰国。再会を機して成田で解散しました。
参加のみなさん、本当に楽しい旅をありがとうございました。


以上

1997年7月 上海ぶらり旅 7/25

7月の上海は初めてでしたが、蒸し暑かったー

さあ、ぶらり旅のはじまりだ!

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思わず知らず、顔が笑ってしまう。

新しい上海博物館(1)

1997-shanhai02.jpgとっても広いので、気持ちいい!

新しい上海博物館(2)

1997-shanhai05.jpgフラッシュを使わなければ写真もOK!

新しい上海博物館(3)

1997-goshoseki.jpg呉昌石の篆刻もあった

新しい上海博物館(4)

1997-shanhai03.jpg館内のティルーム;日本語ガイドを聞きながらひと休み

夜のホコ天(1)

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夜のホコ天(2)

1997-hokoten2.jpg体調を崩したカメラマンをしり目に元気いっぱいな二人 (^^;

1997年7月 上海ぶらり旅 7/26

買い物(1) ヒスイの腕輪

1997-ring.jpgホテルの前の宝石店(老鳳祥)にて

買い物(2) お茶屋さん

1997-teashop.jpg龍井茶、碧ら春、黄茶、白茶をちょうだいね

上海赴任中のお友達と(1)

1997-pair.jpgようこそ、上海へ (高梨ご夫妻

上海赴任中のお友達と(2)

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1997年9月 シルクロードの旅に寄せて

旅行の日程

  1. 1997年9月13日(土)成田 → 北京
  2. 1997年9月14日(日)北京 → ウルムチ
  3. 1997年9月15日(月)ウルムチ →トルファン
  4. 1997年9月16日(火)トルファン → 柳園
  5. 1997年9月17日(水)柳園 → 敦煌
  6. 1997年9月18日(木)敦煌
  7. 1997年9月19日(金)敦煌 → 西安
  8. 1997年9月20日(土)西安 → 北京
  9. 1997年9月21日(日)北京
  10. 1997年9月22日(月)北京 → 成田

1997年9/13 シルクロードの旅:成田 → 北京

成田14:55発、夕刻北京着。暗くなってから中国に入国すると数年前の国慶節に上海着陸前に 上空で見た盛大な花火を思い出す。北京は4年ぶりだが、空港では相変わらずトランクが出るの が遅い。30分以上じっと待つ。
やっと表に出て随行員の李さんと会う。彼はバスの中で手話通訳者を食い入るようにみつめている。北京のガイドは楊さんという中年の女性。「ヨウはどんな字を書きますか?」と聞いたら「楊貴姫の楊です」の答えに図々しいと思わず一人でわらった。
夕食のレストランへ着いたのは8時半頃。街の中は4年前とはかなり変わって近代建築のビルやネオンサインが増えている。遊ぶところもかなり増えて「近代化」が進んでいるな、と感じる。
夕食後、ホテルへ。部屋割り、換金、お土産やをのぞいて部屋に入ったのは午後10時すぎ。明朝は観光出発が7:00。ハードだ。

1997年9/14 シルクロードの旅:北京 → ウルムチ

199709-tendan.jpg朝7:00ホテル発。
天壇公園は朝の体操をする老人と凧揚げをする人がいっぱい。観光客は早朝なのでさすがに少ない。
しかし 故宮は観光客が多い。外国人だけでなく中国人も。バスを降りてから故宮入口まで露店がつづく。故宮では映画「ラストエンペラー」を見た人がメンバーが多く、その話でもちきりに。海外旅行の手話通訳は手話だけでなく、特に固有名詞のためにホワイトボードでの筆記も欠かせない。漢字圏以外の外国は聞いた音をそのままカタカナで書けばいいが、中国では歴史や人物の漢字も知らなくてはならないし、日常使わない漢字も多く四苦八苦だ。

199709-kokyu.jpg天安門広場はちょうど開催されていた中国共産党大会を祝ってお花や果物で飾ってあり、今まで見た中で一番きれいだし人も多い。
夕方ウルムチ行きの飛行機にのる。スチュワーデス全員すごい美人。ウルムチはウイグル族が多いと聞いていたが、そのせいなのかそれとも旧ソビエト、今のウズベキスタンあたりとの混血のせいか。さらに昨日の国際線よりあいそもいい。飛行機はアエロフロートの中古なのかロシア語表示の上に中国語が貼ってある。 ウルムチは随行員の李さんの本拠地。彼は飛行機の中で練習したという手話でウルムチの概略を説明。メンバーの拍手かっさいをあびた。夕食は羊の丸焼き。見た目は豪華だが日本人の口にはあんまりあわない。午後10時頃ホテル着。


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1997年9/15 シルクロードの旅:ウルムチ → トルファン

朝食は昨日のビュッフェスタイルとは違い中国式。
ウルムチ市内観光は博物館とバザール。博物館は大きく、時代順になっていて見やすい。楼蘭(ろうらん)の美女などミイラのコレクションが多い。
バザールでは30分ほどしかなく忙しかったが、後で成果を見せあうとみんな上手な買い物をしていた。
トルファンまではバスで3時間の予定。山の間の細い道をガタガタといく。山あいの河を雪解けの透明な水が流れている。ここは年間降水量60ミリ程度の所で数年前に1日に35ミリ降って家の85%が流されたところだ。昨夜、日本の夫に電話をしたら台風19号で九州に雨が1メートル以上降ったと言っていた。
途中の山道でバスが突然止まる。前後延々と車が数珠つなぎだ。運転手が降りて確認。真っ昼間なのに道路を通行止めにして工事をしているという。まわりの車の群れはあきらめて終わるのを待っている、という。どうしようもなく我々もじっとしていたら、まわりのトラックの運転手が私たちのバスをとりまいてワアワアわめいている。みると我々の運転手が得意そうに話しをしている。我々聞こえない団体が珍しくてとりまいているのかと思ったが、そうではなく、どうやら我々のバスが新車なので珍しがっているようだ。そのうち車体やバンパー、アルミホイールまでさわっている。
その場所で2時間、ただじっと待った。途中、前のバスから男性が3人おりてきて持参の小さいじゅうたんを広げて祈りだした。ウイグル族はイスラム教徒が多い。彼らはお祈りのために携帯用じゅうたんまで持っている、と感心。感心ばかりしていられない。2時間も待っていると生理的がまんの限界が近づいた。近くのガソリンスタンドにトイレがあったがとても入れたものではない。仲間の発案で3人で傘を持って近くの草むらで順番にしゃがんだ。何せ年間降雨量が60ミリ程度で年間蒸発量が1000ミリ以上の地域なのだから悪いことはないはずだ。
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やがて17時過ぎにトラックに満載(?)の工夫らしい人達がワアワア何か叫びながら反対方向に走り去り、しばらくすると対向車が開通した。やっとこちらの車線も動き出す。何の説明もなく止められ、何のアナウンスもなく動き出す。実に中国らしい。私は慣れているので頭にもこないが添乗員と随行員は今晩の食事や食後の民族舞踊観覧の予約もありカリカリしている。
トルファンには夜8時半過ぎに着く。あわてて食事をしてから踊りを見に行く。添乗員たちの交渉の結果見られることになったウイグル族の踊りだが、私は目が細いせいか上まぶたと下まぶたがくっついてしまいそうになり、途中で失礼して寝た。部屋に入ったのが23時過ぎ。今日もハードだ。

1997年9/16 シルクロードの旅:トルファン → 柳宴

199709-roba-taxi2.jpgウルムチ、トルファンはものすごく乾燥しているのを肌が感じる。顔を洗うと手までピリピリする。
今日は少しのんびりだ。9時出発。午前中は高昌故城とアスターナ遺跡。午後はベゼクリク千仏洞と交河故城を見学し、ホテルでひとやすみしてから夜11時半の夜行列車で柳園へ向かうというスケジュール。高昌故城は入口からろばタクシーでゆられていく。茶色のつちくれの林立する中をろばでコトコト揺られていき、かつて玄奘三蔵のために高昌国王がつくったという住居跡などの遺跡をみる。当時はにぎやかな町だったというが、今は荒涼とした赤茶けたつちくれだけで玄奘三蔵が通ったのがいかに大昔なのか、思い知らされる。城址だけでなくこのあたりが大きな国を支えられるほど豊かな国土だとはとても思えない。ただ水だけはウルムチもトルファンも天山の雪解け水のせいで透明で、中原地帯の黄色い水とは全く違い私の知っている中国らしくない。
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アスターナ遺跡はちょうどエジプトの王家の墓のように穴がぼこぼこあいているところをおりていき見学する。初めの遺跡はミイラがあり、ここはみんなミイラだらけなのか、とちょっとびびってしまったが絵画の遺跡もありほっとした。
ベゼクリク千仏洞は敦煌莫高窟や龍門石窟という感じ。ここ西域は支配者の交代に伴いの信仰がつぎつぎ変化し、ベゼクリク千仏洞もかなり被害をうけた。また欧米や日本の「探検隊」による盗難の被害もあった。しかし残っている壁画は今なお色をとどめ、時の流れを私たちに語りかけてくれる。
ここのまわりは全て火焔山。夕陽をあびると更に赤く燃えるような色になるという。
交河故城は世界遺産に登録されている。ここは山をきり崩して城を築き、城自体がちょうど軍艦のような形をしている。90度岩壁がそそりたっているところもある。赤ちゃんのお墓、役所跡などなど聞けば生々しい日常生活がかつて繰り広げられていたというが、今は高昌故城同様廃墟で、赤い土がほこりとなって舞い上がっている。見学後、お土産屋さんがだしてくれた冷えた西瓜がおいしい!
夕食後、バスでトルファン駅に向かう。まんまるい月が煌々としてきれいだ。今日は仲秋の名月。東京は台風で月見どころではないらしい。

1997年9/17 シルクロードの旅:柳宴 → 敦煌

前夜の寝台列車は都合で添乗員と私の2人だけ別車両。車両には既におじいさんが寝ていたので私たちもすぐに寝た。朝起きてからそのおじいさんと筆談。彼は香港人で中国本土には何度も観光に来ているという。時刻表片手にいつも一人旅だとか。特に黄山が最高だ、と教えてもらう。それから香港人が中国本土にくるのはビザはいらないが、逆は必要だ、とか夢中になって筆談をしていたら随行員の李さんが食事だと呼びに来た。このままみんなの方にいくのでおじいさんとはお別れのあいさつをした。
みんなと一晩ぶりの再会。食堂車での朝食。10年前にも食堂車で食べたがずいぶん良くなっている。お腹の具合が悪いTさん用におかゆをもらってみんなの車両の方へいく。昨夜は青い顔をしていたTさんも今朝はだいぶん顔色が良くなっていた。
午前10時過ぎに柳園着。柳園から敦煌までバスで2時間。現地ガイドが敦煌の概要を説明してくれたが、半分は寝台車での睡眠不足を取り返すべく寝ている。
199709-meisazan.jpg蜃気楼をみた。はるかむこうの山がまるで水に浮かんでいるように見える。
敦煌市内着後、ホテルで休憩。有志でバザールとついでに博物館を見た。バザールよりも横町の屋台の方が庶民臭くておもしろい。博物館で瓦当文(がとうもん)の拓本を買う。4年前よりかなり高いので値切るのにも力が入る。
夕刻、鳴沙山へ。休憩後のせいか、みんな顔色がいい。鳴沙山の入口には立派な石碑や建物ができていて驚かされる。らくだに乗っていくと更に驚ろいたことに月牙泉の形をしたプールのようなものを作っている最中で、その中に浮かんでいるボートに「長江」の文字を見てがっかり。観光地化されるとはこういうことなんだなぁ、と思う。
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でも鳴沙山は昔のまま、美しい風紋をみせてくれた。鳴沙山の裾にらくだにのった私たちの影がうつり、まるで「月の砂漠」の歌のようだ。 鳴沙山にのぼり、木のボードで滑り降りてくる。砂の山なので昇りにくいがはしごのおかげでぜいぜい言いながらもなんとか昇る。頂上はやはり気持ちがいい。
一番上のきれいな砂を持参の袋に取る。すべり降りるのはけっこうスピードが出てこわいが、途中で止まってしまい、その後はすべるというより漕ぐ感じでかえってつかれた。その後、またラクダに乗り駐車場の近くまで帰る。


1997年9/18 シルクロードの旅:敦煌

今日は1日莫高窟の観光。朝早く莫高窟へ向かう。途中の砂漠は村人のお墓で地代はただと聞き、みんなで多いにうらやましがる。
見学した窟は以下の通り。
午前中 16-17、328、323、57、61-63、130、148、45
午後  427、428、275、257、249、237、96、98(計19)
私は4年前にここを訪れたので今回は2回目。1回目はどの窟もみな同じような暗い室内、同じような塑像、壁画に見えたが、今回は前回よりもじっくり鑑賞することができた。塑像の違い、壁画や天井絵のすみずみまで見る時に「ゆとり」のようなものを感じた。1回目の私は表面だけしか見でいなかったのだ。

ところで前回足元に敷き詰めたレンガまで本物なのに驚いたが、今回は45窟以外は全部コンクリの床に変わっていた。文化財を踏み付けている心苦しさからは開放されたものの少しさびしい。
莫高窟入り口に4年前にはなかった立派な建物が建っていた。日中共同で建設した莫高窟博物館で莫高窟の主なものの模写、模造を展示するという。これが完成したら本物の莫高窟は閉鎖し、観光客はすべてそちらを見ることになる。そうなったら室内に電気もひけるし明るく見やすくなるのだろうが、どんなに精密に作った模造品よりも暗い部屋で懐中電灯で照らしながら見る本物に比ぶべくもない。
夜、交流会を行う。明朝西安へ飛ぶ予定だった飛行機が午後便になったので、敦煌では予定に無かった陽関や敦煌城の見学ができることになったが、西安見学の時間が短くなる。

1997年9/19 シルクロードの旅:敦煌 → 西安

今日も天気がいい。敦煌のホテル、敦煌賓館北楼は静かで品のいいホテルだ。今日も中国式の朝食。
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午前中に陽関、敦煌城(撮影所跡)を見学。陽関も4年ぶり。4年前には烽火台と標識と小さなお土産屋さんが1軒あっただけだが、今回は博物館に立派なお土産屋さん、見晴らし台、記念碑までできていた。馬を勧める農民も増えた。でもここのながめのすばらしさは変わらない。いつも東京の狭いところにしかいない私にとって、心が広がっていくようだ。
敦煌城(撮影所跡)は映画を見た人にはあのシーン、ここであの俳優がどうした、と楽しく会話が弾んだ。ここは何通り、こっちはどこの町の風に作ってある、と説明があったが、何といっても砂漠の真ん中。黄色い砂でおおわれ、建物も黄色っぽく、中国大地の「黄色」を実感させられる。
昼食後、ホテルで休憩してから飛行場へ。西安までの飛行機は今回も中国にしてはめずらしく時間通りに飛ぶ。
中国では飛行機にのると相変わらず記念品をたくさんくれる。ゴミになってしまうようなものばかりで、この分費用を安くしたほうがいいのではないか、と思う。
西安空港から餃子で有名な徳発張へ。新しいきれいなお店だが何せ食事の開始時間が21:30過ぎ。食事終了時間が23:00。それから行ったホテルは今までで一番きれいな日本人経営のホテルだが翌朝は1日半の観光予定を1日で廻るため7:00には出発しなければならない。すごく残念。

1997年9/20 シルクロードの旅:西安 → 北京

朝7:00出発だが6:40過ぎてもメンバーが2人、食事に来ない。添乗員が慌てて呼びに行くが、聞こえないのでドアチェーンがあかずに呼べない。困った添乗員はドアの下から紙を差し込んだ。たまたまその2人は時間の勘違いをしただけで目を覚ましていたので無事出発時間には合流。
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今日の観光は世界遺産でもある兵馬傭博物館から。開館30分前に到着したために一番乗りだ。一昨年から2号坑もオープン。一番古い1号坑は入った瞬間その迫力に圧倒される。兵士の傭の量、大きさ共にやはり群を抜いている。1つひとつの顔も髪型も全部違う。髪の毛の1本1本までていねいに作られている。漢民族だけでなく周辺民族の顔や服装、靴の裏まで見える。期待の2号坑はまだ発掘途中で有名なひざをついている兵士の傭などはガラスにいれて展示をしてあった。
199709-doshaba.jpg司令部の3号坑は傭の着色に注目して見学。最後に銅車馬を見学。前にテレビで見たが、始皇帝が実際に使っていた車の2分の1というこの銅車馬は融点が違う金と銀が貼り合わせてあり、その方法は現代技術をもってもわからないという。また復元したこの銅車馬の車輪は回ったけど、現代技術で作った歴史博物館にある複製品の銅車馬の車輪は回らないという。
始皇帝墓は遠くからながめるだけだ。ちょうど小さい山のよう。この季節はざくろの最盛期らしくバスが止まると農民や子供がざくろを手に手に売りに来る。食べてみたが酸っぱかった。
楊貴姫ゆかりの華清地を見学後、昼食。午後は歴史博物館と碑林を観光して西安での忙しい観光が終了。
夕方の飛行機で北京へ。久しぶりの日本食の夕食後、10時すぎにホテルへ。北京は2泊で連泊なのがうれしい。


1997年9/21 シルクロードの旅:北京

朝、目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのかわからないくらいぐっすり寝た。観光は今日1日で終わりだ。
今日は日曜日の上に日本は飛び石の4連休で、北京の観光地は混んでいるために朝は8:00出発。
明の十三陵というが実際観光できるのは1つだけ。棺室では本当に押し合いへしあいの混雑でグループからはぐれないようにするだけで必死だ。表に出ると緑がきれい。ウルムチ、トルファンに比べると日本に近い分だけ、気温や湿度も日本に近いように感じる。最も一面砂漠の黄色い砂が見えないための錯覚かもしれない。
昼食は日本の観光地の団体専用食堂のようなところ。ものすごく大きく駐車場には大型バスが連なり、表示を見るとほとんどが日本語で会社や地域、趣味のGPらしい名前が表示してある。ここで日本の高校生の団体に会った。修学旅行に海外に行く話を聞いたことはあったが、実際に出会ったのは初めて。海外で見る制服は何か違和感を覚える。
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万里の長城はリピータなど数名がロープウェイでいくことになった。私もロープウェイ乗り場へ。空から万里の長城を見てみたい、と話しながら行ったがロープウェイはヘリコプターではないので横から登って高いところまでいける、ということだった。山の稜線にそって築かれている万里の長城の眺めは雄大。しばし眺めて、さあ戻ろうと降りかけたら、顔を真っ赤にした徒歩組4人と感動の再会。会えないとガイドからいわれていたのに。後で添乗員が感心していたが、普通45分かかるコースを彼女たちは30分できたことになる。
市内への道路は舗装されてきれいになってはいたが、大渋滞でかなり時間がかかった。この後、お土産やさん、食事、観劇というスケジュール。今夜も遅い。

1997年9/21 シルクロードの旅:北京 → 成田

いよいよ今日は帰国。10日間は長いと思っていたが、過ぎてみれば早いものだ。
5:45バッゲージアウトの予定だが5:30にボーイがドアをたたく。5:45でしょ、と言ってドアをしめてもまたたたかれる。せかされてとにかくトランクをだす。6:00朝食、6:45出発。9:25の国際線なのでやむを得ない。
空港で10日間お世話になった随行員の李さんとお別れ。彼は日本の手話を一生懸命覚え、自分でコミュニケーションをとろうと頑張った好青年だ。「今回のGPは事前に耳が聞こえない、とは聞いていたがまさか90%が聞こえないとは思わなかった、メンバーのバイタリティと旅行を楽しむ術のうまさに感動した」という。 飛行機は時間通りに離陸。今回は珍しく飛行機はすべて予定時間通りだった。中国の飛行機事情もだいぶんよくなった、ということか。
成田にも時間通り着。夫と10日ぶりに再会。みんなとは再会を期して別れる。事故なく全員無事帰国。団長、添乗員さん、そしてみなさん、ご苦労様&ありがとうございました。

2000年3月 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅に寄せて

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世界数カ国を回って帰国した知り合いに「どこが一番よかった?」とたずねたら「ベトナム」という答えが返ってきた。今回「ベトナムに行きませんか」と誘われたとき私はすぐにOKした。あのアメリカを相手に戦って勝利した国ベトナム。
旅は道連れで気心が知れている旅慣れしている友人の誘いだ。安心して参加させていただいた。過去にご一緒したことがある方、初めてお会いした方との10名のグループ。今回も世界遺産にたっぷり浸ってきました。

2000年 3/18 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅:成田 → ホーチミン

07:00 羽田集合
07:45 JL113にて関西空港へ
09:00 関西空港着
12:00 VN9411にてホーチミンへ
16:05 ホーチミン着

2000-Yuko.jpgむし暑い。汗がじっとり。ガイドは信州大学の学生のホンさん。

ベトナム料理の夕食。日本人の口にはあう、といわれていたが本当においしい。この日もこの後もそうだが鍋がよくでた。寄せなべの様に海鮮類と野菜を入れ、最後におじやにしたりする。デザートに切った形がかまぼこのようなフルーツがでた。白にごまのようなつぶつぶ。まわりが赤い。これはドラゴン・フルーツ、ベトナム語でタイロンという。においは特にないし強烈な味でもない
私は中国以外の海外旅行ではだいたいやせて帰国するが今回はぜんぜんやせなかった。さらに毎日快腸であった。

サイゴンプリンスホテル泊。このホテルではNHKの海外向け衛星放送が受信できる。3/18と3/22の2泊したがオン・タイムで19時のニュース(をベトナム時間17:00に放映)やドラマ、クイズなどを見ることが出来た。


チェックイン後みんなで散歩。バイクがめちゃめちゃ多い。特に目的があるのではなくこのあたりをぐるぐる回っているだけだそうだ。若いカップルや赤ちゃんをだっこしたお母さんやお父さんもいる。バイクがたくさん並んでいる店先でお札を数えているおじさんがいた。そこから次々バイクに乗っていく人がいるところを見ると、どうやらレンタルバイク屋さんらしい。とはいえ免許を持たずに運転している人も多いとか。注意注意。

2000年 3/19 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅:ダナン

05:10 ホテル発 06:30 VN320にてダナンへ
07:40 ダナン着

ガイドはハイさん。到着後、ダナン市内観光
チャム彫刻博物館:石碑などを見学

五行山:100段以上の階段を昇る。仏教徒が多いベトナムでは仏教遺跡が多い。アメリカ軍の爆撃で穴が空いた洞くつなどを見学。ココナツを飲む。

ホイアン:世界文化遺産。シクロ(自転車タクシー)で回る。かつて日本人町があったあたりはちょうど木曾の奈良井や馬篭の宿のよう。黒い屋根瓦。古い家並みから見る通りの景色はなぜかなつかしい。その下を三角のすげ傘(帽子)にアオザイ姿の人が天秤棒で荷物を運んでいる姿は何百年続いているのか...。ところで町中に「E-Mail」の看板がやたらにある。「日本語できます」という店にはいって画面中の「日本語」という文字をクリックしたらエラーメッセージがでて使えない。1分間300ドン(約3円)という超格安なのに残念。古い年代物の建物にコンピュータが並んでいて、体格のいい西洋人がキーボードをたたいているのは不思議な感じだ。

夕食は中華料理。ロイヤルホテル泊。

2000年 3/20 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅:ダナン → フエ

2000-Mison.jpg朝食後、時間があったので町のフランスパン屋さんまで行ってみる。往復徒歩30分位。途中4-5人に声をかけられる。バイクでついてくる。ガイドをしてくれる、というのだ。ホイアンはどうか、ミーソンはとしつこい。「Japanese? Korean?」と声をかけてくるところを見ると私は韓国人にも見えるらしい。やきたてのフランスパン1本約8円。安いしおいしかった。この散歩だけで全身汗みずくだ。

ミーソンのチャンパ遺跡観光:世界文化遺産。ガイドのハイさんは関係ないというが素人目にはアンコールワットによく似ている。もっともアメリカ軍の爆撃でかなり破壊され、これからユネスコによって修復される予定だそうだ。

2000-Yuko2.jpgレストラン「ハナキムディン」で昼食。船の形をした日本とベトナムの共同経営のレストラン。女性店員のアオザイの後ろ姿にみんな目がくぎづけに。ちなみにアオザイは世界で一番色っぽい民族衣装、との話もある。チャイナドレスと違って下にはズボンをはいている。ベトナム女性はみんなとてもスタイルがいい。店員、空港職員、学校の制服、そして労働着にと女性はアオザイを日常着としてもよく着ている。旅行中スカートをはいた女性は子供を一人見ただけである。男性は民族衣装をほとんど着ていない。

昼食後バスにてフエへ。
途中ハイヴァン峠、ランコー村にて休憩。ガイドブックによるとランコー村の砂は白くて「鳴き砂」とのこと。本当にさらさらと粒子が細かく歩くたびに靴の下で砂がキュキュとしまるのを感じる。

レストラン「クラブガーデン」で夕食。店員さんとベトナム語の発音で盛り上がる。

センチュリーリバーサイドフエ泊。眺めもよくきれいなホテル。入浴後洗濯。思ったよりずっ?と暑いので毎日全とっかえしないではいられない。下着類とホワイトボード消しに使っている手袋を洗う。

2000年 3/21 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅:フエ → ホーチミン

2000-Hata.jpg世界文化遺産のフエ観光フォン川クルーズ

ティエンムー寺:手話通訳中「???」と思ったのは「修行僧は髪の毛を3箇所残してそっているが3年修行を積む毎に1つづつそっていく」という話し。その後、子供の僧を見かけたが確かに頭に3箇所、毛が残っていた。日本でもやっているのかしら。見たことないけど。ここの住職がかつてアメリカ軍に抗議して焼身自殺した時に使用した車を見る。

グエン王宮:広い。ベトナム王朝のことを旅行前にはまったく知らなかったが、中国の故宮を模した立派な宮殿。皇帝の座った辺りにしゃがんでみると、涼しい風がよく通っていた。

カイデン帝廟:12代皇帝のお墓。中国や日本で集めたちゃわんで作った文字や絵がみもの。

レストラン「アンフー」で昼食。急いで空港に行くが1時間遅れるとのこと。

15:30 1時間遅れでフエ離陸
16:40 ホーチミン着

アオザイ専門店へ。女性は大勢注文。明日までには作ってくれるという。目の前で作っていくのを見て、メンバーの一人がパッチワーク用に裁ち落としを欲しい、とお願いしたところ奥から大きな袋で抱えてきてくれた。ごそごそとよさそうなのをもらってくる。

レストラン「ソングー」で夕食。ベトナムの海鮮料理。

サイゴンプリンスホテル泊。ホテルチェックイン後、団長とガイドのホンさんとアオザイのお店に行き、3件目でやっと希望の色をみつけた。

交流会後に部屋へ入る。空調の音がうるさく身体にひびく。眠れないよぉー。

2000年 3/22 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅:ホーチミン

2000-pic01.jpgホーチミン観光。
クチのトンネル観光:途中生春巻き用のライスペーパーを作っているところを見学。皮の模様が竹の網だということを発見。鶏とはだしの子供達が庭を駆け回っているどこかなつかしい光景。
クチのトンネルはベトナム人の体格に合わせて作ってあるのでアメリカ人は入れなかった、というが私もお尻がひっかかりそうなくらい小さい入口。観光客用の広い入口から中に潜ってみたがアリになった気分。ものすごく蒸し暑い。外に出るとホッとする。こういう穴の中でアメリカ軍と戦ったのだからすごい。

昼食はレストラン「ブルージンジャー」でベトナムのうどんフォーを食べる。フォーはこれまでにもあちこちで出たが日本のうどんとは違い細い。鳥のだし味に生野菜を入れて食べる。揚げ春巻きなども生野菜をまいて食べる。この葉っぱは何?というようなものがたくさん出た。香菜らしいものが多い。


統一会堂(旧大統領官邸、現迎賓館)
永厳寺:日本から贈った大きな鐘
サイゴン大教会:ステンドガラスがきれいなカソリックの教会。

2000-pic02.jpg戦争証跡博物館:初めの観光予定には入っていなかったがメンバーの要望で急遽追加。過去に新聞などでみたことがある写真などもあったが、こうまとめて見るとなんというか...悲惨さ(そんな言葉では簡単に言い表せないけど)が迫ってくる。ガイドブックによるとベトナム各都市に同じような博物館がある。韓国、中国も同様に各都市に必ずある。目をそむけてはいけないけど辛い展示品の数々だ。ここを「追加して」といったメンバーたちの真実を見つめる目に感動。

スーパーマーケット:市民が行く私たちもおなじみの普通の大型スーパー。ガイドおすすめのニュクマム(魚醤)やライスペーパーなどをみんなで買い占め。
ホテルにて休憩。今日1日の汗を流す。とにかく身体中汗だくでべたべた。毎日夕方になると自分の身体から汗臭いにおいがするほどだ。

レストランでフランス料理。

食後空港へ。添乗員の交渉でVN→JLにチェンジができる。
23:50 ホーチミン離陸

2000年 3/23 ベトナム 世界遺産と戦争と出会った旅:ホーチミン → 成田

06:30 関西空港着
07:45 JL110にて羽田空港へ
08:50 羽田着

機内ではひたすら寝る。頭がじんじん。再会を期して解散。本当にお世話さまでした。

おまけ (^-^;
2000-aozai.jpg
*ベトナムのお土産は...
やはりなんといってもアオザイ:一晩で作ってくれる。素材はシルク、木綿、麻など。布もいろいろ。プリント地、刺繍のあるもの、無地など種類もお店も多い。若い女性は薄い布、そうでない人は厚い布なんだそうです。ズボンの長さはハイヒールをはいてちょうどいいくらい長くするのでますますスマートに。
刺繍製品:テーブルクロス、コースターなど。あちこちでししゅうをする女性を見かける。安いし手刺繍なのあたたかみがある。農村風景のかわいいTシャツもなかなかいい。
食品:ライスペーパーとヌックマム(魚醤)。どちらも日本でも買えるが種類も多いしだんぜん安い。ちなみにベトナム人家庭ではヌックマムはどこも自宅で作るのがふつうで「手前ヌックマム」なんだそうです。
絵画:ベトナムの風景を扱った物が多い。墨絵風のもの、南画風のものいろいろ。値段もさまざまだが5$くらいから。

*お金のことですが...
ベトナムの通貨は「ドン」。1万ドンは約80円。計算方法は0を2つとって×0.8。でも実際には町のどこでもUS$が使用できるのです。パン屋さんだって市場だってスーパーだって。(想像してください。日本で何かを買ったときUS$で払うことなんか出来ませんよね)


2001年5月 中国山水画のふるさと黄山への旅に寄せて

01-title.jpg
黄山に行ってきました。山水画のふるさと、黄山。険しく切り立った岩、腕を自由自在に伸ばしている松。険しい山の真ん中に亭があってゆったりお茶を飲んでいる人がいる...こんなの水墨画の世界の話し、と思っていたら、本当に見ることができるなんて。夕陽に輝く峰々、雲海に光を放ちながら昇る朝日。想像以上に素敵な旅でした。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2001.5.2 成田 → 上海 → 黄山空港(屯渓)
移動 黄山国際大酒店泊
2001.5.3 屯渓 → 黄山麓 → 山頂 山頂散策 西海飯店泊
2001.5.4 終日フリータイム
山頂散策 西海飯店泊
2001.5.5 終日フリータイム
山頂散策 西海飯店泊
2001.5.6 山頂 → 黄山麓 → 屯渓 → 上海 老街散策 花園飯店泊
2001.5.7 上海 → 成田 帰宅

2001年 5/2 中国山水画のふるさと黄山への旅:成田 → 上海 → 黄山

01-yoen2.jpg午前10時発JAL791で上海へ。中国は97年以来4年ぶり。上海の国際空港は浦東新空港。展覧館までリムジンバス(上海浦東国際機場公交路線)で行く。街の変貌ぶりに夫婦二人共おのぼりさんのように歓声を上げながらカメラのシャッターを切った。花園飯店で上海虹橋空港(東京でいえば羽田か)までのシャトルバスの予約後、荷物を預けて豫園へ。東京の浅草のようなところ。すごい人ひとHITO。
5月1日は労働祭、2日、3日と連休のため、日本同様中国もゴールデンウィーク。押すな押すなの大混雑。緑波廊酒楼で点心を食べる。ショーロンポウのおつゆをこぼさないように...おいしかったです。


01-huang-air.jpg

上海発20:30、黄山のふもとの町の屯渓着21:25。ガイドの劉さんと会い、ホテルへ。明日の待ち合わせ時間を確認。長い間あこがれていた黄山は、ここから75Kmだ。
本日の感想。中国人の女性がきれい。スタイルはいいし、ものすごくおしゃれでかっこいい。(男の子もいい)
携帯電話の普及がめざましい。中国は広いから電話ケーブルは敷きつめるのは大変なので携帯がなかり普及している、とは聞いていたが。(山のてっぺんでも携帯を使っていました)

機内食:ソバ、ピラフ
夕食:緑波廊酒楼の点心
歩数:12,989歩

2001年 5/3 中国山水画のふるさと黄山への旅 黄山麓

01-pain.jpg8時半ホテル発。天気は良好。ロープウェイ乗り場まで車で約2時間。途中トイレ休憩をしながら行く。ロープウェイ乗り場は大混雑だが、ガイドが予約しておいてくれたおかげで、11:00には乗車。入山料一人80元(1元は約15円)とロープウェイ代66元+15元、保険2元を払う。死亡40000元(約60万円)、けが8000元(約12万円)の保障。
白鷺駅まで8分。そこもまた人ひとヒト...。もらったイラストマップを片手にホテルへ。すぐに急な下り。階段をどんどん下る。少し不安。後でまた登るのかなぁ。北海賓館の前にでる。ながめがいい。切り立った峰々がくっきりと見えワクワク。背中のリックが重いのでとにかく宿泊する西海飯店まで急ぐがこれが結構な山道(全部階段だけど)。アップダウンがきつくてひいひい言ってしまう。黄山って本格的山だったのね...。劉さんは30分です、と言っていたが1時間位に感じた。


01-sunset2.jpgまわりは中国人がいっぱ?い!何度も来ている中国。生活の向上を感じる。お茶は以前はネスカフェの空き瓶に茶葉を入れ、お湯を入れていたが、今は圧倒的にペットボトルかお茶専用のボトル。変わった...。
ホテルチェックイン。まず昼食を食べる。おいしい。別料金で@80元、飲み物付。食休み後、出発。目の前の丹霞峰に登る。きついが景色は最高。山頂は夕陽を撮るにはよさそうだが、日没後戻るには急過ぎて足元が危なそうので、降りて排雲亭から「夢幻世界」の方に行く。すばらしい景色が次々現れるが、がけっぷちのようなところを登り降りするのでこわい。夕陽撮影によさそうなところに5時過ぎに着く。6時20分頃日没。いつのまにかまわりは人でいっぱい。
途中何度も声をかけられた。道を聞かれたり、カメラのことをはなしたり(らしい)。でも中国語はビールとお茶を頼むくらいしかできない私たち。中国人に見えるのかしら。
空には丸い月がくっきり。明日の日の出に備えて早めに寝る。

朝食:中国式ビュフェ(おかゆ、饅頭他)
昼食:西海飯店の中国式ビュフェ(きくらげのとうふいため、ちまき他)
夕食:西海飯店 (野菜、鶏肉ほか)
歩数:13,855歩

2001年 5/4 中国山水画のふるさと黄山への旅:黄山散策

01-sunrise.jpg朝4時に目覚まし時計をセットしておいたが、3時過ぎ位から表が騒がしく目が覚めてしまう。中国人ガイドの大声とそれに連なっていく人々のざわめき。私たちも仕度をして出発。ホテル備え付けのダウンジャケットを羽織る。昨夜、地図で日の出のビューポイントをチェックしておいたが、行列して行く状態なので、心配はいらなかった。でも結構な上り下りで息があがる。時々道の端に寄り、後ろの人に先に行ってもらいながら休まないと歩けない。暑い。
清涼台まで約20分。既にどこも人でいっぱい。さらに上をめざす。寝起きの上に登りできつい。ハアハアと登るがどこも人がいっぱい。獅子峰の手前のところで隙間になんとか入り込む。あたりは既に明るく東の空はほんのり赤い。しばらくしてだれかが「ライラ!」と叫んだ瞬間、朝日が昇ってきた。大歓声。やったぁ、ご来光だ。


01-fstone.jpg今日は黄山の難コース、玉塀楼に行くことにする。7時半出発。飛来石、光明頂を越えて行く。中国人団体さんが多く、赤、黄色、白と帽子が目印。福州や貴陽など各地からきている。今日もすごい人。まわりは全部中国人。あたりは中国語だらけだが、私たちにはまったくわからない。
天界餐庁を超えて一線天というところに出た時、あまりの急勾配にため息がでた。ものすごい下り。その先にそびえる山々。あれを越えて行くの、と思うと少し後悔した。たくさんの人が線状にずーっとずーーーっとつながっている。ひえぇー!でも、いくっきゃない。


01-people.jpg日ごろの運動不足が身にしみる。休み休みでも一歩づついけば、人の倍時間をかければきっとそのうち着く、と信じてただただ歩いた。
玉塀楼が見えた。かっこいい。最高峰の蓮花峰を経由するコースとしないコースがあった。もちろん経由しないで玉塀楼に向かう。体中汗だらけ。昼過ぎ、やっと玉塀楼賓館に着く。ようやくふらふらになってたどり着いたのに、ここも人でいっぱい。レストランは予約客であふれ、行列して待っている。外でお弁当を売っていたので買う。量が多かったので1つを半分づつ食べた。一気に食べたがおいしかった。
休んで元気になったこともあり、蓮花峰経由で帰る。が、斜度60度くらいのところを1列になって登って行くので思わず「こわいよー」。足だけでなく手も使っての登り降り。きつい登りの連続で休憩する時もちょっと下を見ると足がすくんでしまう。向かいには威風堂々の玉塀楼。すごいところでした。


01-gyoku.jpg今日は朝から快晴。おかげで手や顔は真っ赤に日焼け。そして足はガクカク、下りははひざは笑うし、身体は汗でべとべと。夫が写真をとろうと三脚を立てると人が寄ってきて、とろうとした場所で自分たちが順番に写真をとるので、結局三脚は「お荷物」でしかありませんでした。私はデジカメでパチョパチョ。いつも手ぶれがひどいので、同じ所で2枚づつ撮るようにした。リスク分散というところ。
夫は今日も夕陽が撮れると期待しているが、くたくたの私にはホテルのお風呂とベットが目の前にちらついて「帰りたいよぉ?」と言っていたら、4時半頃急に雨が降り出した。雨具を着て、ホテル着18時。歩いたー。
夜、足マッサージをしてもらう。明朝は雨だ。ゆっくり寝られる。

朝食:ビュフェ(おかゆ、点心他)
昼食:お弁当(やさいのたまごとじ、大根と肉の煮物、にんにくの芽と肉いため)
夕食:西海飯店 (野菜、鶏肉ほか)
歩数:25,300歩

2001年 5/5 中国山水画のふるさと黄山への旅:黄山散策(2)

01-mist.jpg7時頃起床。筋肉痛。ふくらはぎがパンパン。
雨はあがっているがあたりは霧に包まれ視界は200mあるかないか。朝食後、排雲亭まで行ってみる。深い谷間がまったく見えず。谷が深いのにまったく見えないので怖く感じない。とはいえ幻想的な景色はそれなりに素敵。相変わらず中国人団体が多いし元気。ホテルに戻って一休み。毛峰茶を飲む。山頂には北海賓館と西海飯店の3つ星のホテルがあるし、他にもホテルはたくさんあるが、この間はお金があっても予約いっぱいでなかなか泊まれないとのこと。そばに山小屋があるが、この間は8人一部屋のところに16人だったそうだ。日本の山小屋もハイシーズンはすごいが中国も変わらない。


01-mist2.jpg昼前に出発し清涼台、猴子観海(おさるさんの形の岩)に行くが、雲の中を歩いている状態。3時頃ホテルに戻り私はダウン。夫はしばらくテレビで水滸伝を見ていたが、5時頃カメラをかついで出て行く。窓から見ても相変わらずの霧。1時間程で戻りお風呂に入る。外はさらに霧が濃くなっている。交替して私がお風呂に入った頃から、窓の外で中国人のさわいでいる声。あんまりすごいのでお風呂から出てから外を見てみてびっくり。



01-unkai.jpg「ねえ、寝ている場合じゃないわよ。雲海が出ているよ!」「えーっ!!」さっきまであんなに濃い霧だったのに、わずか20分で空は夕焼け、向かいの谷間には雲海が広がっていた。夫は急いで三脚を抱えて飛び出す。私は貴重品と懐中電灯をリックにつっこんで夫を追った。排雲亭まで急ぐが、ひざの痛みがほとんど感じない。(さっきまでひいひい言っていたのに)途中でまた何人もの中国人に声をかけられる。「あっちの方がいいぞ、早くいけ」と叫んでいる。(らしい) 排雲亭はすごい人。とにかくすてきな雲海。夕陽はもう沈んでしまったが、あたりはまだ明るさが残っていて、人々が狂喜しながら写真をとったりしていた。私たちは夢幻世界という素敵な地名の奥にどんどん行く。すごい。雲海と浮かぶ峰々。なんてラッキーな私たち、と笑いが止まらない。あたりがすっかり暗くなるまでかけずりまわった。
ホテルに戻り祝杯をあげ、明日の日の出を期待して休む。

朝食:ビュフェ(おかゆ、点心他)
昼食:北海賓館のビュフェ(味は私は西海飯店の方が好きです)
夕食:西海飯店 (野菜、扁魚ほか)
歩数:13,130歩

2001年 5/6 中国山水画のふるさと黄山への旅:黄山 → 屯渓 → 上海

01-sunrise3.jpg4時起床。日の出を見に出発。見上げれば雲は切れているので日の出は大丈夫と思うが、連休も終わりに近づいたせいか、ひっそり。2日前と比べるとさびしい。東の空にまっかな朝焼け。おとといはどよんとしていた。清涼台はガラガラ。前と同じ場所に行く。私たち二人だけ。下は雲海、空の高い所には雲。その間をまっかに染めながら朝日が昇ってきた。きれいな朝焼け。
朝食後、3日間お世話になった部屋をかたずけ、7時半過ぎに出発。ちょっと早いが足が痛いので、休み休み行くことにする。雲海がきれいだ。足が痛い。特に下りが痛い。雲海に浮かぶ玉塀楼をみながらロープウェイで降りる。途中から完全に霧の中。8時半頃着。ドライバーさん、ガイドと会い、屯渓に戻る。
ガイドは私たちのスケジュールを見て、写真家か画家だと思ったそうだ。また二人だけで行くので(他はほとんど全員ガイド付)中国語が堪能だと思っていたとのこと。また、天候については快晴、雨、雲海すべて見られることはめずらしい、とのことでした。リップサービスかもしれないけど、信じておこうっと。

01-haibou.jpg今回私たちは山頂に3泊したのできついコースにも行ったが、ホテル周辺はいわゆるハイライト地域。どこもすばらしい景色。荷物は頼めば棒々(バンバン)という強力さんが1つ50元くらいで運んでくれるので、年配の方もご心配なく。日本人やフランス人グループに会いましたが、みなさん、割りとご年配でしたが、ゆっくり楽しんでいらっしゃいました。ところでこの棒々、山頂での食料から何から何まで下から運び上げて行く。山頂のゴミも彼らが運んで行く。すごい。
黄山で感心したのはお掃除のおじさんとおまわりさんが多いこと。岩のかたちをしたゴミ箱がたくさんある。黄色と青の服を着たお掃除のおじさんが大勢いて、人が多いところでは落とすそばから拾っていく。ちょうど東京ディズニーランドのよう。また、急ながけや危険なところ、かつての自殺の名所などにはおまわりさんが巡回している。黄山は「中国の中で、衛生第一の山と言われている」とはガイドの劉さんの話し。
01-rougai.jpg地元レストランで名物料理の石鶏(蛙)を食べる。おいしい!その後、ガイドブックに載っていない観光地、牌坊(世界遺産申請中)に行ってもらう。(別料金300元だった)貞淑な女性をたたえたり、皇帝へ忠誠の証しなどのために、塩の専売権を持っていた財産家が建てたもので、文革の時には地面に埋めて守ったそうです。
その後、老街を散策、夕食後空港へ。屯渓21:50発、上海22:40着

上海虹橋空港からホテルまでタクシーに乗ったら、途中でパンク。時間は夜の11時過ぎ。朝4時に起きた私たちは、ただぼぉ?としていた。やっとホテルにたどりついたら、今度は私たちの予約がキャンセルされているという。当初5月2日も上海泊予定だったが、屯渓便の都合で屯渓泊に変更した。5/2の上海泊をキャンセルしたときに5/6もキャンセルしてしまったらしい。時間も時間だし、その夜はクレジット・カードを担保に泊まる。長い1日だった。

朝食:ビュフェ(おかゆ、点心他)
昼食:町のレストラン(蛙ときくらげ、とうふのたまごとじ、やさいなど)
夕食:空港近くのレストラン (野菜、チャーハン、魚ほか)
歩数:14,306歩

2001年 5/7 中国山水画のふるさと黄山への旅:

01-shanghai.jpg7時半起床。8時半(日本時間9時半)を待って日本の旅行社へ電話。まだ留守番電話。35分に再度電話。まだ留守番電話。テープは「営業時間は9時半から...」と言っているのにぃ。仕方ないので手配をしてくれた実務担当者へ電話。事情を話し、朝食に行く。部屋へ戻っても連絡がまだのようなので、近くを散歩。本当に女性がきれいだし、みんな元気だ。活気がある。本屋さんなどをのぞいてからホテルへ戻る。日本の旅行社から電話。直後にホテルの予約係りから電話。お詫びのあいさつにくる。ほっ。
11時のシャトルバスで浦東国際空港へ、14:10JAL792で帰国。疲れたけど、お天気に恵まれた旅でした。楽しかった?。

朝食:パン、フライドエッグ、ソーセージ
昼食:空港で肉うどん
夕食:機内食 牛肉とヌードル
歩数:7,638歩


追伸;帰国して気がついたこと。両手の指がつるつるしている。どうやら登山の時に岩などにつかまったので、サンドペーパー効果でつるつるになったらしい。(何か起こすなら今かな(^。^))

2002年8月 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅に寄せて

石灰岩でできた棚田のような池群、透明度の高い池に泳ぐ魚たち、高山病への不安を抱きながらの中国・世界遺産へ、四川省・成都を入り口に、ぐるっと専用車を利用しての旅です。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2002.8.16(金) 成田 → 成都
移動 銀河王朝泊
2002.8.17(土) 成都 56K → 都江堰 50K → 映秀 50K → 臥龍 150K → 茂県 都江堰・パンダ 貴賓桜大酒店泊
2002.8.18(日) 茂県 140K → 松藩 17K → 川主寺 42K → 黄龍 黄龍への道・川主寺 華龍山荘泊
2002.8.19(月) 黄龍観光 42K → 川主寺 88K → 九寨溝 黄龍 九寨溝国際泊
2002.8.20(火) 九寨溝 九寨溝散策 九寨溝国際泊
2002.8.21(水) 九寨溝 173K → 平武 130K → 江油-39K → 綿陽 山岳ドライブ 臨園賓館泊
2002.8.22(木) 綿陽 100K → 成都 160K → 楽山 47k → 峨眉山 峨眉山へ 紅珠山賓館泊
2002.8.23(金) 峨眉山 160k → 成都 高速ドライブ 銀河王朝泊
2002.8.24(土) 成都 フリー(市内めぐり) 銀河王朝泊
2002.8.25(日) 成都 Airline → 上海 Airline → 福岡 Airline → 成田 オーバーブッキングで直行便に乗れず! 自宅

2002年 8/16 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅

02-081601.jpg15時発の成都までの直行便。お盆休みのためか道路事情がよく、成田着12:30。中国西南航空のカウンターに行くが、13:00から受付開始と待たされる。団体客も多く、飛行機はジャンボではないが満席。機内食もおいしく、5時間は近い。便利だ。夫は『三国志』の復習をしている。成都では劉備や孔明ゆかりの地が多く、みのがしたくないもの。途中空から長江の太くて長い黄色の蛇行が見える。
空港ではガイドの杜さんとドライバーの陳さんに迎えられ、まっすぐホテルへ。市内は結構渋滞。成都は人口300万人以上の大都市で、現在車が400台/月に増えているとか。すごい!
ホテルの25階のビジネスセンターでパソコンを持ち込んでインターネットできることを確認。中国のパソコンでは日本語表示ができないもの。
明日から本番。さっさとねることにする。

夕食:機内食(和食を選択)牛肉、野菜の煮物など。おいしい。

2002年 8/17 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 都江堰・大熊猫の里へ

02-081701.jpg9時ホテル発で都江堰(とこうえん)へ。高速道路で快適。道幅広く、ゆったりした感じだ。
都江堰は秦の時代から行った水利工事として有名だが、実際にきてみると結構見るところも多く楽しめる。上から水利工事の全体をながめた後、下に下りて川の流れやぐらぐら揺れる吊り橋を渡って内江と外江の間の堰に行き、電気自動車にのって観光。風を切って走るので、気持ちがよかった。


02-081703.jpg昼食後山道を2時間走って臥龍(がりゅう)へ。諸葛孔明のあだ名でもある臥龍にはパンダ研究所があり、たくさんのパンダをみることができる。四川省だけで800頭のパンダが確認されているとか。ここは、山で傷ついたパンダが治るまで治療したり、人工授精するとのこと。午後なので寝てるかな、と思ったがけっこうたくさん表に出ていて、笹をたべたり遊んだりして楽しませてくれる。保育器に入っている赤ちゃんパンダを見た。生後1ヶ月だそうで既に白と黒の毛が生えていた。


赤ちゃんパンダをだっこして写真をとれる、というので申し込んだ。大きいパンダ100元(1元=約15円)、小さいパンダ200元。もちろん200元のほうをお願いした。ここでの収入は施設の維持やパンダの研究に使われるという。02-081704.jpg
生後4ヶ月だそうだが、「これって赤ちゃん!?」っていう大きさ。重かったし、ちょっと怖かった。

この後、岷江(みんこう)沿いに山また山を越えて茂県へ。蜀は山岳地帯が自然の要害で「蜀の桟道」、と三国志にあったが、山あいの支流に沿った道を車が飛ばしていく。ドライバーの陳さんは他の車をガンガン追い抜いていく。車種はフォルクスワーゲン。馬力がある。ガイドによると、私たちが2時間できたところを大型バスだとあんなに追い抜きはできないので3時間はかかります、とのこと。
茂県のホテル着は6:45。ひと休みした後、夕食。ホテルに戻ってテレビをつけたら、料理の鉄人のような番組をやっていた。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 洋・中 種類多し
昼食:都江堰のレストランで山菜料理 ちょっと辛い
夕食:おこげ他きのこ類が多い 辛くない

2002年 8/18 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 黄龍へ

02-081802.jpg今日は黄龍(こうりゅう)への移動日。ガイドからも高山病対策に身体を慣らしながら行きます、と説明される。
途中山道の崖崩れや道路工事があちこちにある。まあ一日かけて黄龍までいけばいいのだから。
キョウ族などの少数民族の村が点在しており、そのうちのひとつに寄ってみる。どこもこどもはかわいい。また、衛星放送のパラボラアンテナがあり、遠くからみると花が咲いているようだが、近くで見ると、昔からの暗い部屋でテレビをみていた。
途中、昔地震でせき止められた湖の脇を通る。まるでアルプスのようなところだ。
ところで中国のトイレ事情。かなりよくなってホテルやレストランでは何も問題はないが、さすがに山越えの途中でのトイレ休憩は昔ながらのニーハオトイレ。個室ではないのである。今回は5角(約8円)とるところが多い。お金取るなら、もうちょっときれいにして。


02-081801.jpg松潘(しょうはん)という古城の街で子供たちがよってきた。デジカメで自分たちを撮って、みせてほしいという。カメラを向けたらとびっきりの笑顔をしてくれた。
黄龍到着直前にはこの旅行最高高度の4000メートルの雪宝頂の峠越えがある。さすがに私はここ手前でダウン。息苦しいのと吐き気に襲われぐったり。ドライバーの運転が急にやさしくなり、何とかホテル着。3000メートル以上の位置にあるとは思えないきれいなホテル。とにかく寝る。夕方食事に行き、すぐにまた寝ることにする。頭痛い。。。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 中華 おかゆ他
昼食:川主寺のレストラン ちょっと辛い
夕食:ホテル近くのレストラン ガイドお目当てのレストランは売り切れで仕方なくそのとなりへ

2002年 8/19 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 黄龍観光

02-081901.jpg昨夜、夜中にひどい嘔吐と下痢に襲われ、高山病のおそろしさを実感。こんな苦労をしているんだから黄龍にはぜったい行くぞ!と決意して起きる。頭ジンジン、からだフラフラ。朝食は小さい何も入っていない饅頭とお茶のみ。(※何ともない人もいるのでご安心を。私は他でも高地は具合が悪くなるタイプなのです。夫は軽い頭痛程度でした)
黄龍はガイドのお勧めに従い、上まで籠で一気に運んでもらう。恥ずかしかったが、身体には変えられない。空気が薄いせいか息苦しいが、強力さん二人にしょってもらっているのだから文句はいえない。


02-081902.jpg1時間40分の籠の旅の末に、やっとついた頂上は五彩池という黄龍一番の見所。天気もよく水の色がきれいだ。くることができてよかった。池の深さで多少色が違う。エメラルドグリーン、ブルー、その濃淡。。。とすごくきれい。石灰石でできた池のかたちも面白い。ちょうど鍾乳洞が池をつくっている状態。がんばって来てよかった!(頑張ったのは強力さんかも)


下までは歩いてくだる。あちこちに池があり、滝がありの約3時間の下山。観光客も多い。ほとんどが中国人。日本人にはほんの少ししか会わなかった。タイミングの問題だと思いますが。
下山したらなんか身体がフラフラ。山では空気も景色もいいので気がまぎれていたのでしょうが、下に降りるとものすごい数の観光客と大量のバスの排気ガスで、きのうから胃がからっぽの身体にこたえた。
昼食には何と茶碗蒸!胃の調子の悪い私にはぴったり。ほっ。


02-081903.jpgこの後、九寨溝(きゅうさいこう)に車で向かう。昨日までの山道と違い平野のようなところが多い。途中、チベットのお寺に寄る。少ない人数なのに、丁寧に説明してくれた。車の中では熟睡。ドライバーさん、ごめんなさい。。。
九寨溝はものすごいホテル郡があり、ここもすごい人。九寨溝は環境保護のために入場者を1日12000人に限っているそうですが、全ホテルの収容能力は5万人だとか。どうなっちゃうんだろう???
私たち予約のホテルはきれいで食事もおいしかった。夜8時にマッサージを予約。明日に備える。

朝食:ホテルのブッフェスタイル 饅頭他
昼食:黄龍のレストラン ちゃわん蒸し、ぎんなんのスープ他
夕食:ホテルのレストラン ブッフェスタイル きれいでおいしい

2002年 8/20 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 九寨溝

02-082001.jpg朝起きてみると高山病はすっきり解消。ここは高度約2000メートル。低いところに降りれば治るんですね。
昨夜ネットワーク接続がうまくいかなかったので、今朝ホテルのビジネスセンターが開く時間になると夫はすぐに行ってくるが、やっぱりうまくいかない。???。ガイドから電話で出発を30分繰り上げたいとのこと。反対する理由はなく、すぐに出発。
入り口付近は大変な人出でwebで読んだバスに乗るまでに1時間押し合いへしあいした人の文章が頭に浮かび、不安がよぎるが、何ということもなく、バスにも整備員の誘導で難なく乗ることができた。webで学習したとおりに左にすわった。しばらくの間の景色は左に次々に美しい水や滝があらわれ、わくわく。今日もお天気はよく、水の色もきれいだ。
熊猫(パンダ)海でバスを降りる。五花湖で道路から下に降り、ぐるっとまわる。すごい人。写真をとるのもひと苦労。珍珠灘瀑布はすごい人だったが、やっぱり九寨溝にきてこれをみなければ。。。


02-082002.jpg今は増水期だそうで、水量も多く迫力満点。上から見ても下から見てもど迫力でした。この後、鏡海の方へ木道を通っていくと、こっちは人が少なくさびしいくらい。山の景色とエメラルドグリーンの湖、まわりは高山植物の花々。小鳥のさえずりも聞こえて最高。
中国のことわざで『山を見たければ黄山へ行け、水をみたければ九寨溝へ行け』というそうだ。昨年黄山へ行ったが、どちらも本当にすばらしい景色だ。
昼食は自助餐庁。バイキングのこと。ゆでたじゃがいもにとうがらしをつけて食べるのがおいしかった。
長海までバスに乗る。バスの中には場違いなカラオケがガンガンかかっていた。まるで紅白歌合戦のような派手な衣装。どうしてここでーーー?

02-082003.jpg五彩池を見てからバスで樹正群海まで行き、火花海、臥龍を夫の写真撮影のスピードに合わせてくだる。九寨溝らしくすばらしい景色。滝、豊かな水の流れ、チベット族の家などのくみあわせ。臥龍のあたりは人も少なく楽しく下った。この後、チベットのお寺を見て終了。疲れた?。足、特にふくらはぎが痛い!
ホテルに戻り、休憩後夕食。日本人の団体2GPがきていた。そういえば今日1日、日本人と行き会わなかった。久しぶりに聞く日本語会話だ。
この後、ホテルのショウを見る。中国語がわからないので楽しさ半分だが、衣装と兄ちゃんはきれいだった。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル おいしい
昼食:九寨溝の自助餐庁 食べられた。
夕食:ホテルのビュッフェスタイル 蛙、魚、肉、野菜たっぷり、デザートいっぱい おいしい

2002年 8/21 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 綿陽

02-082101.jpg本日は移動日。九寨溝から綿陽(めんよう)という街までひたすら行く。途中チベット族の中の白馬族という少数民族の村とお寺に寄るがあとはひたすら運転手だけが働いている状態。きれいなお水が流れる山沿いの道と延々と走る。私たちは昨日の名残で足が痛い。
九寨溝は1972年に木材伐採の時に労働者が「発見」したそうだ。それまではチベット族がひっそり住んでいただけだったとか。1972年といえばたかだか30年前のこと。中国はでかい!
昼食は平武という山奥の町の山珍王というところで山菜料理をたべる。こんな山奥なのに本当においしかった。


02-082102.jpg



江油(こうゆ)という町からは見晴らしもよく、道幅も広くなった。途中からは高速道路。今までの山道と違い気持ちよく走る。途中、パンク・トラブルはあったものの、綿陽(めんよう)に無事到着。遠かったー。
夕食後街を散歩。10万人がテレビ工場で働いているというこの街。夜もにぎやかであかるい。人出も多く、治安も安定しているのだろう。今夜インターネットにあっさり接続できた。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:山菜料理 松茸その他。卵焼きもおいしかった
夕食:ホテルのビュッフェスタイル 種類は多いが全体に大味

2002年 8/22 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 楽山

02-082201.jpg朝食後、成都に向けて出発。昨日までの山道と違って高速道路なので早い。とはいえなぜか人が高速道路を横切っていたりして怖い。不思議だ。
三星堆遺跡博物館へ。数年前に日本にきた時にみたが、本場は種類も多くてスケールが違う。ディスプレイもきれいでみやすい。
次に楽山へ。高速道路で3時間。またまたドライバー以外は熟睡。山岳地帯から降りてきたので下界は暑い。
昼食は楽山近くのレストランで。これが辛い!夫は舌がビリビリしびれているが、ガイドとドライバーはそれを楽しんでいるみたいだ。麻婆料理は簡単のようだが実は味付けが難しいとのこと。ドライバーの陳さんは料理が自慢とか。ガイドが桃を買ってきてくれる。新鮮果物を二人が何かと気をつかって買ってくれるが、これがおいしい。でも買っている様子はまるでけんかだ。


02-082202.jpg楽山(らくざん)の見学に。はじめは船に乗って川からながめる。山をけずって作った高さ71mの摩崖大仏。かなり長いこと修復していたが、終了していてよかった。テレビの世界遺産で見たときは足場が組んであった。
最後に船は対岸に近づく。島全体が大仏が横たわった形になっている。でかい!
この後、実際に大仏の周りを1周。すごい人で降りるだけのために40分並んだ。足の親指の爪に大人が10人立てる広さがある、という巨大な大仏。降り出して見あげると、どこにいても大仏が私を見ているように感じる。
びっしょり汗をかいて大仏1周を終了し、今晩の宿泊地、峨眉山(がびざん)に向かう。今夜のホテルはかつて蒋介石の別荘だったそうだ。ホテルのとなりの報国寺を見学して、本日の観光は終了。お風呂が気持ちいい。(私は洗濯が大変)

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:麻婆なす、麻婆春雨など 辛い!!!けれどおいしい
夕食:ホテルのビュッフェスタイル 水餃子、その他いろいろ

2002年 8/23 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 峨眉山・成都

02-082301.jpg朝食後、峨眉山へ。車で1時間半山道を登る。入り口では登山者の顔写真まで撮る。何でこんなに厳しい必要があるのかしら。ロープウェイで金頂へ。頂上にはかつて銅屋根のお寺があり、遠くから見ると金色に輝いているため金頂と名づけられたとのこと。現在のお寺は火事で焼失した後1982年に再建されたものとか。さだまさしの映画『長江』にでてくるお寺はもっとふるびていたもの。
今日は雲海もなく、霧が立ち込めていた。夫は霧が晴れるまで待ちたい、と主張したが、30分位うろうろしたところであきらめて下山。


02-082302.jpg途中のレストランで昼食。汲み出し豆腐みたいなものが出ておいしい。私がお腹の調子が悪いのでガイドさん、ドライバーさんがメニューにも気を遣ってくれている様子。油っこいものは拒絶反応。いつも食欲旺盛の私としては残念でもあるのだが、これはこれでおいしかった。
この後、成都に高速道路で戻る。途中サービスエリアでトイレ休憩。私たちのほかはだれもいないし、お店も閉まっていてさびしい?。
成都では武侯祠(ぶこうし)、杜甫草堂(とほそうどう)を見学。武侯祠は三国志好きにはとっても楽しいところ。杜甫草堂は書道をやっている私には楽しかった。


02-082303.jpg時間があるからとお茶屋さんへ。思い返せばこの1週間で初めて連れて行かれたお土産さん。これは中国旅行ではものすご?く珍しいこと。旅行会社の地元でもあり少しお付き合い。うちで飲むと味が違うのよねぇ?。
夕食はガイド、ドライバーと最後の食事なので4人でここまでの旅の安全に祝杯をあげる。長い間お世話になりました。今日までの走行距離は1800キロ。いつ崩れもおかしくないような山道、せま?いトンネルでの大型トラックとのすれ違いなどなどドライバーの陳さんの腕は最高でした。本当に謝謝!
夕食後、川劇(せんげき)へ。予想以上にたのしかった。次々とお面が変わる変面、お人形の劇、影絵や胡弓の演奏。中国語がわからなくても十分楽しめました。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:峨眉山麓のレストラン 筍のスープ、汲み出し豆腐など おいしい
夕食:成都市内のレストラン 唐辛子のお魚他四川料理 辛い!!!おいしい!!!

2002年 8/24 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 成都

02-082401.jpg今日は1日フリー。市内をぷらぷら歩くつもり。始めに本屋をめざして歩く。入り口でかばんを預けて中へ。土曜日ということもありすごく混んでいる。おどろいたことに本屋で勉強している人が多い。階段は本を読んでいる人でいっぱい。ノートを持ち込んで何やら書き写している人もいる。
本屋を出てから人が多いほうに歩いていったらホコテンだった。仮設ステージでお笑い俳優らしい人が何かやっており、黒山の人。ふとみあげるとヨーカ堂のマーク。早速行ってみる。人でい?っぱい。特に地下の食料品売り場はすごい。でもものすごくおいしそうなものがいっぱいあり、楽しく見て歩く。陳麻婆豆腐の素などをお土産に購入。主婦の私としては大満足。


02-082402.jpgお昼近いので5階のレストラン街へ。火鍋を食べる。辛いのとそうでないのと半分に仕切ったものを注文。辛い方はものすごく辛かった。辛くないほうはだしがタンメンのような味でとてもおいしかった。2人分で38元(約600円)。安い。まわりを見ると半分に仕切っていない、全部辛いほうを食べている人が多かった。辛党の私でも口がびりびりしびれました。
食事で大汗をかいたのでホテルに戻ってシャワーをあびる。成都は本当に蒸し暑く、この後の散歩でも汗をかき、アンダーウェアを2回も着替えた。


02-082403.jpg喫茶店にも入ってみる。すごくゆったりしていて中には寝ている人もあり。龍丼茶と碧螺春茶を注文。請求金額はなぜかメニューの半額程度だった。
夜の食事はガイドの杜さんおすすめの成都小吃城(しょうきつじょう)。まわりの中国人のエネルギッシュな声高の会話を聞きながら食事をした。中国の発展のスピードには目をみはるものがあるし、人々のパワフルな感じにはすごい、と思う。それと共に大量消費大量廃棄が来るたびに広まっていることに恐ろしさも感じる。
今回は四川省山奥の自然がつくった美しい池や水をたっぷりみてきた。この同じ時、アラスカでは鯨がジャンプし、熊が遡上している鮭を食べ、そのお残りを鳥たちがまっているのだから、地球の自然は本当にすばらしい。そのアラスカでは氷河が溶け、ここ中国では九寨溝の池の一部は干上がっていた。地球環境を守るために私ができることはすくないけれど、でも一人からでもやっていかなくては、と改めて感じた。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:イトウヨーカ堂5階で火鍋
夕食:成都小吃城

2002年 8/25 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅

本日は帰国日。ダイアリーに書くことは何もないだろう、と思っていたが。。。 朝4時モーニングコール、5時20分ホテル発で空港へ。10日間お世話になったガイドの杜さん、ドライバーの陳さんと最後のご挨拶をして航空会社のカウンターに向かった。このまま7:20の成田直行便で日本に帰る予定だった。が、私達の航空券がリコンファームしたにもかかわらずキャンセルされている、今日は満席で席がない、という。
なんでーーー!

さんざんすったもんだしたあげく福岡経由で帰宅。最初の予定より8時間送れて成田着。疲れました。
ちなみに航空会社は、"中国西南航空"でした。

2004年9月 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅に寄せて

halong01.jpg title.gif simreap01.jpg
今回はベトナムとカンボジア(アンコールワット)の旅。ベトナムは2000年3月に行ったので2回目。変わっているんでしょうねぇ。わくわく。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2004.09.03(金) 成田→ハノイ
移動 ソフィテル・メトロポール・ハノイ泊
2004.09.04(土) ハノイ -150Km→ ハロン湾 -150Km→ ハノイ ハロン湾観光 ソフィテル・メトロポール・ハノイ泊
2004.09.05(日) ハノイ → ハノイ観光 → シェムリアップ ハノイ観光・移動 ソフィテル・ロイヤル・アンコール泊
2004.09.06(月) アンコール・トム → アンコール・ワット(夕景) アンコール観光 ソフィテル・ロイヤル・アンコール泊
2004.09.07(火) アンコール・ワット(朝日) → アンコール遺跡群 アンコール観光 ソフィテル・ロイヤル・アンコール泊
2004.09.08(水) バンテアイ・スレイ → (夕)ホーチミン アンコール観光・移動 ソフィテル・プラザ・サイゴン泊
2004.09.09(木) ホーチミン 自由行動 機内泊
2004.09.10(金) ホーチミン → 成田 移動 帰宅

2004年 9/3 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅

040903-02.jpg成田エキスプレスで出発。荷物は事前に送ったので身軽だ。ゆとりを見て早めに着くように行く。警備の人が多く、警戒を強めているらしい。
空港でのんびり待っていると、放送で出発が遅れるとのこと。出発便の到着が遅れたそうだ。マッサージ機でリラックスしたりしていた。飛行機はJAL。日本語、日本人スタッフはやっぱり楽ですね。食事もおいしく食後はぐっすり寝てしう。
40分ほどの延発だが到着は10分遅れでハノイ着。現地22時だが、日本時間午前0時なので頭はもうろうとしている。現地ガイドのリンさんと会う。かわいいお嬢さん。車の中でベトナムのガイドを一生懸命してくれる。男性に比べ女性ががんばっている状況を実例をあげて話していたが、私が働いているというと「偉いですね」といわれてしまう。結婚しても働き続けるということがベトナムでは当たり前でも、彼女の客(日本人観光客)は少ないのかなぁ。
ホテル着。夜なのでよくわからないけど、落ち着いた感じで、雰囲気は奈良ホテルに似ている。ウェルカムフルーツの龍眼(ライチのようなもの。ベトナム語ではヤン)が甘い。明日の準備をして寝る。

機内食:鮪と野菜の煮物、きのこのうに和え、味噌汁、ご飯、デザート

2004年 9/4 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;ハロン湾観光

040904-01.jpg朝5:30に夫が目を覚ます。日本時間で7時半なので、当然かもしれいが眠い。。。夫はさっさと起きてTVをつけたりしているので「散歩に行って」とお願いし、もう少し寝る。
「ねえ、もうみんな朝食を食べているよ」と起こされ、しかたなく6時半に起きる。
今日はハロン湾の観光。
ハノイ市街地から165K、3時間。日本の援助でできた高速道路のおかげで日帰り観光ができるようになったが、日帰りで行くのは日本人くらいとのこと。
龍が舞い降りたといわれるハロン湾は桂林の海ヴァージョン。切りたった岩と水と青空のコントラストがすばらしい。


040905-01.jpgガイドのリンさんは仕事で週に3回はくるそうですが、その景色はあきないとのことです。

現地までの行きのトイレ休憩はベトナム戦争で障害者になった人の作業所兼お土産屋さん。
親が枯葉剤をあびた結果の子供たちだそうです。ちょっと衝撃的でした。作業所ではこまかいししゅうをしていました。
中に手ではなしている人がいたので、話しかけると私が日本から夫婦で来たこと、など通じたようで、ついでに「ベトナム」「ハノイ」「フエ」「ホーチミン市」などの手話を教えてもらいました。

船でおいしい海鮮料理の昼食をしてから観光。すばらしい景色の連続。また、風が涼しく、気持ちがよかったです。


040904-02.jpgところで今日は前回(2000年3月)来たときに作ったアオザイを着ました。前回ホーチミン市などではたくさんの女性がさっそうとアオザイを着ており、ほしくなって作ったのですが、日本ではほとんど着る機会がなく、チャンスだからと着てみました。ところがハノイでは着ている人がほとんどいないのです。真夏だから?ベトナム人は好意的で「ベトナムのアオザイ」と皆さん、ほほえんでくれましたが。
市内にもどってから36通りの観光と水上人形劇を見、レストランで食事をしてからホテルに戻りました。長い1日だったー。

朝食:ビュフェスタイル、パン、ハム、生春巻き、おかゆなど、デザート
昼食:かに・えび・しゃこのゆでたもの、庫芯菜炒め、鯛、イカと野菜炒め、バナナ
夕食:レストラン「ワイルド・ライス」 カニコーンスープ、野菜と肉炒め、ほうれん草、豚肉、デザート

2004年 9/5 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;市内観光 → シュムリアップ

040905-02.jpg今日は9:30出発なので朝はゆっくり。ホテルの部屋の前に大きな木があり、そこにきれいな鳥がとまっている。急いでカメラを探しに行くが、その間に飛んでいってしまった。残念。
午前はハノイ市内観光。ホーチミン廟、ホーチミンの家、孔子廟などに行く。ホーチミン廟では冷凍保存されたホーチミンがまるで生きているように見える。びっくり。蓮の花の形の建物に納められているが、セキュリティ・チェックが厳しかった。
孔子廟(文廟)では今日始業式という女子高校生がいて、夫が写真を撮らせてもらうよう頼む。ういういしくてかわいい。女子高校生は上下真っ白なアオザイだが、アオザイにも細かいルールがあるそうだ。ズボンの色は未婚者は白、既婚者は黒。上着の長さも未婚者はひざ丈だが、既婚者はかかとまで。もっともこのルールは守られていず、自分の好みで着るそうだ。日本も江戸時代は鉄漿とか、まるまげなど見た目だけで未婚既婚がわかる時代があったものねぇ。

040905-03.jpg昼食後、ショッピングをしてから空港へ。シェムリアップへ。飛行機はけっこう空いていた。日本人の団体さんや個人旅行の人たち、韓国人の団体さん、それとアメリカ人が一人。
日本人ガイドの外山さんとすぐに会え、かわいいお嬢さんからお花を首にかけてもらう。大都会のハノイから来た目には市内は暗く、地方都市だな、と思うが、世界的観光地のせいか大型ホテルが目立つ。中心地では屋台で食事をする人たち。おいしいんだろうなぁ。
今回の私たちのホテルはALLソフィテルGPでフランス資本。シェムリアップのホテルは低層できれいなお部屋。ハノイ同様NHKの国際放送が放送されている。ホテルのクメール式の夕食を食べ、明日の準備をして寝る。明日はガイドにお願いして日の出を撮りに行くので4:50ホテル前集合だ。

朝食:ビュフェスタイル、フォー、ハム、生春巻き、おかゆなど、デザート
昼食:レストラン「ティエンタイ」生春巻き、かに、豚の照り焼き、魚、倉芯菜炒め、ヨーグルト
夕食:ホテルのレストランでクメール料理 前菜(サーモン)、魚とパパイヤ・サラダ、えび、野菜スープ、デザート(すっごくおいしかった)

2004年 9/6 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;シュムリアップ

yukopassport.jpg4:50出発で日の出ウォッチに行く。
本当は、明日の朝の日の出ウォッチングの予定だったが、チャンスを増やそうと、お願いした。
昨夜のうちにガイドさんにわたした写真で、3日間のパスポートを手にする。なにかうれしい。

真っ暗な中、車で入り口まで、そこから歩いて行くが、昨夜着いたばかりでどこに何があるのか、わからないまま懐中電灯の灯が頼り。暗い中にテレビやガイドブックで見た遺跡の影。星が1つ2つまたたいているが、雲も広がっているので、日の出がみられるかちょっぴり心配。
5:00過ぎに到着。どうやら一番乗りだ。ガイドの説明を聞いて、撮影ポイントを探してうろうろ。正面右の池の前で逆さアンコールワットをねらうことにする。

040906-04.jpg時間の経過と共に人が増え、空は茜色に染まってきた。朝焼けにそまるアンコール遺跡をカメラに収めることができた。夫は満足そう。早朝だが蒸し暑いし、虫がたくさん飛んでいて、シャッターを押すのに邪魔なくらいだった。
一度ホテルに戻りシャワーと朝食。午前中はアンコール・トム、午後はアンコールワット遺跡を観光する。
アンコール・トムでは遺跡の顔の中に京歌子さんそっくりなのがあり、思わずふきだしてしまう。

アンコール遺跡はテレビその他で何度も見ていたが、やはり本物は違います。迫力というか、遺跡のもつ力のようなものを感じ、本物はやはりすごく素敵です。

040906-03.jpg今は簡単に何でもテレビやインターネットなどで見ることができますが、本物に触れる大切さ、本物と出会ったときの感動を大切にしたい、と感じました。いいよぉ。

夕方は象に乗ってプノンバケンに登り夕日ウォッチング。
ベトナムのガイドさんから「カンボジアでは象に乗ってみてくださいね」と誘われていたので。

16時頃、スコールがあり、大気中のほこりを洗い流してくれ、西の空は雨雲が切れてきれいな夕焼けをみることができた。
ガイドの外山さんがいうのに朝焼けも夕焼けも」みることができるのはラッキーなんだそうです。信じておくことにする。
夕食後、タイ式マッサージをしてもらう。足が痛かった。

朝食:ビュフェスタイル、フォー、おかゆ、納豆に味噌汁など、デザート
昼食:ココナッツカレー、野菜、かにいためなど
夕食:ホテルのレストランでフランス料理 前菜、サーモン・サラダ、サーロインステーキ、デザート

2004年 9/7 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;シュムリアップ

040907-01.jpg今朝も4:50出発で日の出ウォッチング。現地着後、ガイドがコーヒーをいれてくれる。世界遺産に座ってモーニング・コーヒーなんて贅沢だ。今日も一番乗りのもよう。昨日同様逆さアンコールワットをねらう。が、雲が厚く朝焼けはみえなかった。やはり、昨日チャレンジしておいて良かった。
それでも午前5時過ぎに僧坊の太鼓の音と読経の流れるアンコールワットで日の出を待つというのは、何とも荘厳な時間だ。

今日もたくさんの人がきていた。朝焼けはなくとも、それはそれで素敵な朝でした。ホテルに戻りシャワーと朝食今日はアンコール遺跡群の観光。プリア・カーン、ニャック・ポアン、タ・プロームなど8遺跡を観光した。お寺、王様のお風呂、病院などなど。

040907-02.jpgアンコール・ワットとアンコール・トムは修復されてきれいになっているが、発見されたときの状態を見せているタ・プロームなどは遺跡から木が生え、根が遺跡を侵食している。そのそばに女神像などがあり、時代の流れを感じさせる。(「天空の城ラピュタ」を思い出してしまいました)夫はたっぷり写真をとり満足そう。そういえば他の男性ガイドたちが昨日夫を囲んで、首からぶらさげている中判カメラ(ブローニーフィルムの装着)を珍しそうに眺めていましたっけ。
きのうも今日も昼食後は「昼寝」タイムがあり、ホテルに戻りシャワー、午睡。蒸し暑いシェムリアップでの観光はゆっくりゆっくりです。また、毎日スコールがあり、傘は必需品。私はゴアテックスの雨コートを持ってきましたが、暑くて着られないので、着替えを多めに持参したほうがよいようです。
夕食時にカンボジア・ダンスを見、その後アジアンマッサージをしてもらっう。遺跡観光は「踏み台昇降」の連続のようなもの。足が痛かった。

朝食:ビュフェスタイル、フォー、おかゆ、納豆に味噌汁など、デザート
昼食:レストラン「ラッキー・アンコール」でカンボジア鍋、日本そば。
夕食:ホテルのレストランでビュフェスタイル

2004年 9/8 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;シュムリアップ → ホーチミン

040908-01.jpg久しぶりのゆっくり起きる朝。今日は9:30出発なので、7時30分起床。寝る前は夫婦共に「ハリーポッター」第5巻上下にすっかりつかまっており、魔法の世界に浸っている。
今日は東洋のモナリザ「バンテスレイ」の観光。市内から車で50分位かかる。空はぎんぎんに晴れ、青い空、白い雲、緑のたんぼと景色がきれいだ。子供たちは夏休みということでお土産屋さんや牛を追っていたりとよく働く。
バンテアスレイは修復中のため外周部分しか見ることができないが、赤い建物に女神像がきれいだ。周りの池に赤い蓮の花が咲いていた。アンコール遺跡の観光はこれが最後。外山さんは「いいところがまだまだあります」とのこと。
現在あちらこちらで修復しており、日本、アメリカ、ドイツ、インド、中国などなど世界中が修復に協力していた。外山さんの話では足場の組み方に各国それぞれでおもしろいとのことだが、もし本当に「また今度」があれば修復が終わった昔の姿さながらのアンコール遺跡にあえるのだろうか。それと共に観光地化が進み、素朴さがなくなっていないことを祈りたい。


040908-02.jpg昼食後、ホテルに戻り休憩。今夜ホーチミンに行くので、ホテルは16:00チェックアウト。時間がたっぷりあるので、プールで泳いだり、昼寝をしたり、で、読書をしたり。
ところでベトナムでもカンボジアでもホテルで日本語放送を見ることができた。台風18号の様子やプロ野球の合併やスト問題などオン・タイムで見ていた。でも何よりうれしかったのはこの日夕方16:00、ロビーに行く直前のNHKニュースで野茂が5ヶ月ぶりに勝利投手になったとのニュース。よかったぁ!今年はワールドシリーズにいけるといいな。
空港ではホテルでもらったチケットでラウンジで時間を待つ。でも私たち2人だけでちょっと恥ずかしかった。ホーチミンまでは1時間。あっという間だ。
ガイドのサンさんと会い、大都会ホーチミンの交通事情をみながらレストランへ。サンさんの話では昨年のサーズで日本人観光客がぐっと減り「それまで忙しいときは3時間くらいしか眠れなかったが、今では3日連続で休暇がとれるようになりました」とのこと。夕食後、ホテルへチェックイン。日本人スタッフ、ゆかりさんが対応してくれる。19階のきれいなお部屋で眺めがいい。入浴、明日の準備をして休む。夫はお決まりのインターネット接続に四苦八苦。

朝食:ビュフェスタイル、フォー、おかゆ、納豆に味噌汁など、デザート
昼食:レストラン「チャオプラヤ」でアジアン・ビュフェ
夕食:レストラン「ソングー」でベトナム海鮮料理 春巻き、えび、鍋(&雑炊)、デザート

2004年 9/9 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;ホーチミン

040909-01.jpg朝食後、昨日お願いしたOPでクチのトンネル見学へ。ホテルのロビーでガイドのンガーさんと会う。日本人には発音がむずかしい名前だ。OPは私たち2人だけ。交通渋滞の市内から郊外のクチまで1時間半。私は4年前にもきているが、市内のにぎやかさも、クチへの途中の農家の様子もすっかりかわっていた。前にはあんなにライス・ペーパーを干していたのに。。。
クチでは前回同様ビデオを見てから見学。穴に夫が入ってみる。大きいようでも男性はおしりがちいさいのか、入れました。私だったらおしりがひっかかりそうだけど。見学コースも前と同じところ、ちょっと変わったところとありましたが、整備されていて改めてすごいなぁ。。。と感心。ここへの観光客は日本人、韓国人、フランス人、そしてアメリカの退役軍人などがくるそうです。アメリカ人はどんな思いで見るのでしょうか。
途中、ゴム栽培地などフォトストップしてもらいいながらホテルに戻ったのは13:00近かった。


040909-02.jpgホテルのレストランで昼食。休憩をしてから夕方お散歩に。聖マリア教会から市内をショッピング。日本人GPにたくさん出会う。商店街、デパートのにぎやかさ、品物の豊かさ、街をいきかう人は活気にあふれ、戦争が終了して30年。平和だとこんなに発展するんだな、とイラクに思いをはせてしまう。
夕食はガイドのンガーさんに教えてもらった海鮮料理のレストランへ。私たちのほかはほとんど全員ベトナム人の、喧騒とした中でたべる。おいしかった!!!しかも安かった!もってきたガイドブックにも地球の歩き方にも載っていないし、レストラン名の読み方もはっきりわかりません。
ホテルに戻りこのダイアリーを書く。今夜23:30過ぎの飛行機で帰国。楽しかった旅行もあと少し。

朝食:和食 フルーツ
昼食:ビュフェ
夕食:ベトナム海鮮料理 大アサリの酒蒸し、渡りかに、カニのフライ、海鮮鍋(&うどん)

2004年 9/10 ベトナム・カンボジア:世界遺産への旅;ホーチミン → 成田

9月9日(木)現地23:50発のJL750で帰国。フライト時間は5時間半。私はひたすら寝たが、夫は上映されたビデオ「ハリーポッター アズカバンの囚人」を見てほとんど寝なかったそうだ。日本着朝7:30。無事到着。今回も、と?っても楽しい旅でした。お世話になったみなさん、ありがとうございました。

朝食:機内食 おかゆ、漬物、焼き魚、うめぼしなど


040911-01.jpg【おみやげなどなど】
ベトナム(ホーチミン市)は2回目の私。その発展ぶりにびっくり。相変わらず町はオートバイと車のクラクションの喧騒にあふれていますが、町並み、お店、並んでいるものはかなり変わっていました。ししゅう製品が多いのは前回同様ですが、ししゅうの柄は農民の働いている様子などは減り、かわりに洗練されたすてきな柄になっていました。また、あちこちにあったアンティークのお店が姿を消したのはとても残念。陶磁器やアメリカ兵の置いていったジッポーのライターなどが並んでいたお店で、値段交渉をするのを楽しみにしていたのですが。買ったのは他にコーヒー、淡水パール、ライスペーパーのソフトタイプ(もどす必要がないもの)など
カンボジアではいわゆる「お土産屋さん」にはまったく連れて行かれず、ホテルや遺跡入り口の土産物屋で購入。子供からは物を買わない主義の私ですが、夏休み中だったので売り子はほとんど小さい子供(ものすごくかわいい!)。仕方なく大人を探して買うといった状態でした。買ったのは砂糖椰子の花の汁から作ったお砂糖(GOOD!)、クロマーというスカーフにしてもテーブルクロスにしてもいい布。

2009年10月 中国・銭塘江 大海嘯の旅に寄せて

大海嘯。風の谷のナウシカで聞いたことがある方も多いかも。
年に1度、満月の夜、大きな波がうなりをあげて海から川へと逆流するのを見てみたい!

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2009.10.3(土) 自宅→ 横浜(YCAT) → 成田 → 杭州  杭州観光 西湖 杭州維景大酒店
2009.10.4(日) 大海嘯ほか観光 大酒店 → 塩官鎮 → 西湖 →演劇(印象西湖) 杭州維景大酒店
2009.10.5(月) 旧街区観光 → 杭州空港 → 成田 観光 → 帰路 自宅

2009年10/03 中国・銭塘江 大海嘯の旅:成田 → 杭州

09-1003-0006.jpg朝5時半にタクシーに迎えに来てもらい、三ツ境駅へ。横浜駅からはYCATでバスに乗る。
そう、今日は退職後初めての海外旅行。実は今回までに2回キャンセルをしている。
1回目はアユタヤ遺跡に退職後すぐいくつもりだったが、政情不安定でキャンセル。
次は10/10からインドに行くのは同行者の体調不良でキャンセル。で、今回は「もういいわ、一人で行く」と申し込んだが、土日月の2泊3日だったので、夫に「1日休暇とれる?」。ということで二人で来ている。

09-1003-0007.jpg
中国は7年ぶり。今回の目玉は一度は見てみたい、と前々から思っていた銭塘江の大逆流(大海嘯)。仲秋の名月で満潮の10月4日が最大になる日。楽しみ?。

成田から杭州までANAの直行便。私はここ杭州は3度目の訪問。もっとも20年ぶりなので、町はすっかり変貌。西湖のまわりの景色は別の国のようになっていた。中国は10/1の国慶節を含め今週は国全体がお休みとのことで、観光客でごったがえしている。観光客の様子もすっかり様変わり。日本と何もかわらない。

09-1003-0003.jpg


       今日は到着後、西湖の遊覧と夕食後に「西湖の夜」という観劇。こうゆうのもレベルアップしているなぁ。で、ホテルに戻ったのは21時(日本時間22時)ごろ。眠い!疲れた?。

 朝食:昨夜作っておいたおにぎり
 昼食:機内食 サラダ、前菜いろいろ、サンマのかば焼き、ごはん
 夕食:百合花ホテルの広東料理レストラン 前菜、豚のからあげ、餃子、すずきの蒸し物、鳥の焼き物、スープ、野菜、かにご飯、果物他
 歩数:18,016歩

2009年10/04 中国・銭塘江 大海嘯の旅:杭州

09-1004-0001.jpg中国は日本より1時間遅れ。なので朝、通常の6時、こちらの5時にしっかり目が覚める。今日はメイン・イベントの大海嘯。

朝食後、出発。杭州と上海の浦東をむすぶ高速道路で行く。約1時間半。昨夜が満月。今日が1年で一番大きな逆流がみられる日なので、道路は大渋滞、観覧場所は人でいっぱい。


09-1004-0002.jpgでも少し早めについたので、近くの古い町並みを散策。臭豆腐という発酵したお豆腐を煮たり揚げたりして売っているのが、ものすごい臭いをあたりにまきちらしている。かつて書道の友人たちと紹興に行った時を思い出す。お店の名前も「観潮飯店」と逆流を意味する名前が多い。


09-1004-0003.jpgで、11時頃観覧席着。ここでお弁当を食べながら12時の本番まで待つ。今のうちに、と11時半頃トイレに。かつて中国の街中のトイレは個室の仕切りはなく、水洗ではなく、かなり勇気が必要だったが、今は日本とまったく同じ。表示も「厠」から「衛生間」に変わっていた。とはいえ女子トイレはお決まりの大行列。


09-1004-0004.jpg


やっと用をすませて座席に戻ると、何となくざわめきが。左奥を見ると波しぶきがこちらにむかってきている。みんな立ちあがり、のびをして見ている。時計を見るとは11時50分。まだ遠いがかなりなスピードでこちらに向かっている。あわててビデオをセット。ちょっと撮っては、みやすいところに、と場所もあちこち動き回るも、人も動き回っているので、あんまりかわらないか。


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波しぶきは約20分かけて目の前を通り過ぎて行った。高さ2?3メートル。逆流が通り過ぎて行った後は、目の前の川の水量がその分高くなって茶色い水がごうごうとさっきまでと逆の方向に流れている。津波ってこういう状態なんだから、怖いなぁ。。。かつては5?9メートルあった大海嘯。今は沿岸の整備などで2?「3メートルになったとのことだが、でもやっぱり自然の偉大さを感じる瞬間。楽しかったー。

09-1004-0007.jpg


午後はお茶博物館、おいしい夕食、西湖でのお月見、オプションの観劇とびっちり遊んでホテル着23時。眠いー。

 朝食:ホテルのビュフェスタイル おかゆ、菜っ葉、ベーコン他
 昼食:お弁当 たくわんを巻いたおにぎり、鮭、から揚げ、ウインナ、サラダ
 夕食:杭州名物料理の乞食鳥、東バ肉、野菜、スープなどたくさん。おいしかった
 歩数:10,801歩

2009年10/05 中国・銭塘江 大海嘯の旅:杭州

09-1005-0001.jpg今朝は9時半集合なので朝のんびり。昨夜はさすがに疲れたもの。
朝食後、河坊街の散策。ちょうど浅草の仲見世のようなところ。中国の連休のせいか、すっごーい人。
ファーストフード横町みたいなところを覗くと、見慣れた食べ物のほかにかえる、あひるの頭などもある。







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書の友人のお土産に筆を買いたかったが、筆屋さんは見当たらず。印材店はたくさんあった。

とちゅう『伍公山』なるところがあったので登ってみる。狭い古い道を登っていくとたくさんの人が休憩していて、ものすごくにぎやか。廟があったので入ってみる。杭州にかかわりがある人の壁画があったが、だれか個人の廟なのか、五人の廟なのかはわかりませんでした。



09-1005-0003.jpgこの後、空港に向かい、ガイドの了さんとお別れ。お世話になりました。みんながおみやげをたくさん買ったので、科長になれるといいですね。

飛行機は時間通りに離陸、着陸。日本は雨。肌寒い。
2泊3日と短かったけど、楽しかったー。

 朝食:ホテルのビュフェスタイル マントウ、おかゆ、フルーツ他
 昼食:機内食 前菜、お魚ときのこの煮物、ごはん、モンブラン
 歩数:9,346歩

2010年4月 インドネシアの旅に寄せて

title.jpg友人のRey-chan が故国にもどり結婚式を挙げるという。
「それならお祝いに行かなくっちゃ!!」というわけで、ジャカルタ->ジョグジャカルタ->バリ島というコースで、旅行社に手配を依頼した。
結婚式の後の新婚さんの旅行スケジュールと重なることもあり、おじゃま虫にならないように細心の注意をした(^^;
バリ島では、「リタイア後に南の島のヤシの木陰でひなたぼっこもいいなぁ」といっていた通りに、ホテルのプライベートビーチで"のほほん"とできた。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2010.04.23 成田→シンガポール→ジャカルタ 移動 日航ホテル
2010.04.24 ジャカルタ滞在 市内観光(タマン・ミニ・インドネシア) 日航ホテル
2010.04.25 ジャカルタ 友人の結婚式&披露宴 シャングリラ・ホテル
2010.04.26 ジャカルタ→ジョグジャカルタ 市内観光(王宮&水の離宮) ハイアット・リージェンシー
2010.04.27 ジョグジャカルタ→バリ
ボロブドゥール,プランバナン寺院 アヨディア・リゾート
2010.04.28 バリ滞在 ひなたぼっこ アヨディア・リゾート
2010.04.29 バリ滞在 ひなたぼっこ アヨディア・リゾート
2010.04.30 バリ滞在 ウブド観光 アヨディア・リゾート
2010.05.01 バリ→シンガポール→成田 夕方までバリ散策 機中泊
2010.05.02 成田→自宅 移動 自宅

2010年 4/23 インドネシアの旅:成田 → シンガポール → ジャカルタ

10-0423-01.jpg今日からインドネシアへ出発。朝7時にお願いしていたタクシーで駅へ。あっ、車のトランクに小さいポットわすれてきちゃった。。。
出だしから調子が悪いかも。
電車は通勤時間で超満員。横浜駅まで20分間、えびぞり状態。ひえー。
横浜からはYCATからバスで快適。でも成田空港は早目のGWなのか、今日はとても混んでいた。
6時間半でシンガポールへ。お食事時間もたっぷりでおいしかったし、映画を2本見た。
シンガポール空港はきれいでとても広く、移動にはトレインに乗る。乗換時間1時間だったが、移動して再度手荷物検査などであっという間だった。
さらに1時間15分でジャカルタへ。こちらは夕食が出たので、食べていたらあっという間に着いた。


10-0424-03.jpgジャカルタについてからが長かった。蒸し暑い中、入国審査で並び、やっと順番がきたらビザがないという。
えっ?旅行社の人、何も言ってなかったよ。
あそこで25ドルで発行してくれますよ、と言われて戻ると、そこは長蛇の列。やっと手続き終了して、再度並んだ入国審査はさっきより長い列。汗だらだらで待って待って、待って写真と指紋を取られてやっと終了。
出口でうちの名前の札を持っていたガイドのお姉さまとジョイン。夜の8時半過ぎ。ジャカルタに着陸して1時間以上経っていった。
疲れた。
空港からホテルまでは約1時間。ドライバーの元気な運転にひやひやしながら到着。ホテルの入り口でもセキュリティチェック(!)。お部屋に入ったのが夜の10時近く。時差2時間なので日本時間で12時近い。長かったー。

機内食:(昼食)和食弁当 はなごよみ、さくらアイスクリーム、フルーツ
機内食:(夕食)チキンのデミソース、温野菜、マッシュポテト
8,723歩

2010年 4/24 インドネシアの旅:ジャカルタ

10-0424-17.jpgホテルのビュフェ・スタイルの朝食後、ガイドさんとロビーに9時待ち合わせで今日は市内観光。
初めに博物館。インドネシアの地理、民族、文化など、ざっくりだけど理解。建物はオランダ植民地時代の200年以上前のもの。観光者の他、地元の小学生も来て、にぎやかだ。
次に独立記念塔。1945年8月17日を記念して、高さなど全部この数字に合わせて作ってある。
この後、チャイナタウン、港をみてから昼食のレストランへ。
ランチはインドネシア料理。華僑系のインドネシア人のお店でアンティークな家具が素敵でした。
昼食後、アンティーク市場へ。狭い間口のお店がぎっしり並び、ものがわんさか飾ってある。大きな木彫り人形、楽器、ジャワサラサ、陶器などなど、お宝鑑定団に出したら「お土産品ですね」と言われそうなものばかり。
私用にトンボ玉のネックレスを購入。古代ガラスではないだろうけど、まあいいか。。。


10-0424-18.jpg最後はミニ・インドネシアへ。
インドネシア各地の建物が集まっている。ミニと言ってもサイズは原型。
ほとんどが移築したようで、立派な建物だ。スマトラ、ジャワ、カリマンタン、バリ、トラジャ、パプアなどの島々のを見る。
広い、暑いでけっこうぐったり。でも受け付けのバイト学生らしい女の子たちに声をかけるとかわいく笑ってくれた。
当初野鳥園に行けるようお願いしていたが、海外安全ページで鳥インフルエンザのリスクがあるとかで中止にして、その時間をロープウェイに乗ることに充てた。ということから空から見てみる。風が涼しく気持ちがよい。重厚な歴史的建物群が空から見られて、結構オススメだ。となりのプールは子供たちでいっぱい。蒸し暑いもんなぁ.


10-0424-22.jpgところで渋滞で車がとまるとどこからともなく物売りがやってくる。新聞、お菓子、おもちゃ、ペットボトルと売っているものは様々。で、車が動き出すとどこかへ消える。危なくないの?という感じだが、みなさん慣れているようだ。路上でサルに演技をさせてチップを稼いでいる人もいる。サルの様子には思わず笑ってしまうが、こちらも危ないのでは、とついつい日本の常識で思ってしまう。私たちのガイドさんとドライバーさん、さりげなくチップをあげたりしていた。そういう関係が成り立っているんだなぁ。
これで本日の観光は終了。ホテル着16時40分。
市内中心部は慢性的交通渋滞。上手なドライバーさんで見ているとちょっとひやひや。


10-0424-23.jpgこちらのバス専用路線は車道にブロックで区分けしてあり一般車は入れないので、渋滞中でもバスはスイスイ。公共交通機関優先にするにはこれくらいしなくちゃね。
ホテルに戻り、シャワーと着替えでさっぱりする。ここのところ寒かった日本から、気温32度のジャカルタへ、なので、身体がうまく反応できず、とにかく汗びっしょり。
観光中だけで二人で500mlのペットボトル3本飲んだ。だるー。

朝食:ビュフェ ごはん、味噌汁、オムレツなど
昼食:ピーナッツせんべい、エビのあげもの、牛肉焼き物、サラダ、グリーンライス、アロエスープ、バナナのてんぷら
夕食:サラダ、刺身、巻物、鳥・ソーセージ・魚のグリル、焼きバナナなど
3,930歩

2010年 4/25 インドネシアの旅:ジャカルタ;カソリック結婚式と披露宴

10-0425-03.jpg明け方、窓の外で何か音がする。踊っているような。。。と夢うつつ。起き上がって外を見ると道路に人がいっぱい。時間は4時半。まだ暗い。「明日は歩行者天国ですよ」と昨日ガイドさんが言っていたけど、これ?。こんな時間から場所取り?

6時半過ぎに起きて外に行ってみる。すごい人。人ひとヒト。。。テントでお店を出していたり、子供が踊っていたり、カンフーをしていたり。すぐそばのロータリーまで行くと、四方の道路すべてこんな感じ。舞台を設営して踊っていたり、テレビカメラも出ていた。それからよくわからない大きなお人形の列。自転車の屋台、冷たい飲み物をバケツみたいなのに入れて売り歩く人。今日は何のお祭り?!という感じだ。

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朝食のレストランで聞いてみると月の最後の日曜日の行事とか。すごいパワーだ。
今日の花婿さんのいとことおじさんがお迎えに来てくれ、表通りはパレードで通行止めなので大渋滞の裏道でいく。日曜日は排気ガスを減らす目的もあって、道路の規制をしているらしい。
まずはランチにインドネシア料理のレストラン「パンダン ビストロ」へ。椰子の実ジュースとグラメという魚のから揚げ、その他いろいろ頼んでくれたが、とーってもおいしかった。

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その後、STELLA MARIS教会へ。私は手話通訳をしていたので、結婚式にはかなりたくさん出席しているが、カトリックの本物の教会での結婚式ははじめて。日本の商業ベースの結婚式と違い、高い天井、きれいなステンドグラス、聖歌隊の歌声、と感動的でした。
終了後、おじさんの車で花婿の実家へ。高級住宅街の素敵なおうちで彼らのために部屋を改装。ご両親、兄夫婦と一緒に住む(というか、住めちゃう)大きな家。お手伝いさんが3人もいるんだそうです。新居の部屋のバルコニーから庭の池が見え、そこには大きな鯉がたくさん泳いでいました。



10-0425-13.jpg披露宴はケーキカットなどは日本同様だけど、いわゆる雛段はなく、新郎新婦はお色直しがないので、パーティの時間全部を出席者や両方の親、親族と歓談。テーブルは親と一緒に食事。上司や友人のスピーチや出し物もなく、本職の歌手が歌を歌う中、おしゃべりとお食事を楽しむ。私たちのテーブルには新郎が気を利かせて日本語ができる人を一緒にしてくれていた。日本に行ったことがある人や、日本から来た人など、楽しくお話しさせていただきました。
今日、驚いたこと。日本語の上手なきれいなお姉さん二人に『心の友』という歌を知っているか、聞かれた。
ちょっと歌ってくれましたがまったく知らない。


日本の歌だが、インドネシア人誰でもしっていますよ、とのこと。へぇ?、と部屋に戻ってからネットで調べると五輪真弓の歌で、インドネシアでは第二の国歌というくらい有名な曲という。へぇ???。曲を聴きいてみたが、まったく知らない曲だ。知らない日本人は私だけではないと思うけど。。。びっくり。
で、終了が22時近く。今日も盛りだくさん。花婿さん、花嫁さんお疲れ様でした。

朝食:ホテルのビュッフェ。和食中心
昼食:グラメのから揚げ、イカのグリル、エビ入り豆腐の揚げ物、青菜の炒め物、もやし炒めなど
夕食:中華のコース料理 ふかひれ、魚、えび、やさいなどものすごくたくさん
4,232歩

2010年 4/26 インドネシアの旅:ジャカルタ → ジョグジャカルタ

10-0426-27.jpg今日はボロブドゥール遺跡への入り口の町、ジョグジャカルタへの移動日。朝6時半に朝食に降りて行くと、新郎新婦、親族の方々などと再開。みんな一緒に泊っていたのね。
7時半出発で空港へ。道路渋滞を考えての早出だが、1時間かからずに空港に着くことができた。10時のフライトでジョグジャカルタまでは1時間。暑い。気温も高いが、湿度はジャカルタより少なく、カラッと暑い!
お迎えのガイドのウィドドさんに連れられて、まずは市内観光。ここには王宮があり、8代目と9代目の王様のものを見ることができる。宮殿は広い大理石のフロア。風通しが良いようです。使用した食器類などが展示。現在は10代目だそうです。


10-0426-38.jpg近くの離宮は大きなプールがいくつもあり、奥さんは8代目は20人、9代目は4人だったそうで、みんなでここで涼んだそうです。暑いもの。現在の10代目の王様の奥様は?名。で、プールは観光用のみとか。
この後、バティック(ジャワ更紗)の工場見学をし、私のブラウスを購入してから、レストランに連れて行ってもらう。
スープがおいしいお店でした。
ホテルはハイアット・リージェンシー。ゴルフ場付きの広い敷地で、オリジナルのゆかた(バスローブ)がかわいい。
早目にチェックインできたので、ゆったりできてうれしい。

朝食:ホテルのビュッフェ。ものすごく種類が多い。
昼食:中華。スープ、野菜の炒め物、えびのから揚げ、鳥の煮物、いかと玉ねぎ炒め、焼そば、ごはん、フルーツ、コーヒー
夕食:ホテルのレストラン
7,480歩


2010年 4/27 インドネシアの旅:ジョグジャカルタ(ボロブドール観光) → バリ

10-0427-57.jpg朝7時半ガイドのお迎えでボロブドゥール遺跡へ出発。郊外まで30分ほど、バイクの群れをかき分けかき分け車で走る。郊外はのどかな田園風景が広がり、お米は年3回とれるとか。
まずは遺跡のふもとのホテルで遺跡紹介の日本語ビデオを鑑賞。基礎知識をお勉強。そこからまっすぐ遺跡に向かう。ここのホテルだったら朝日、夕日に輝くボロブドゥール遺跡をみることができたのになぁ。
遺跡の階段はけっこう急で、しかも1段1段が高い。昇るのが大変だが、降りるのはもっと大変。真四角の大きな建物で、門(階段)が東西南北にある。
1900年頃、発見再建したものの、まだ見つからないブロックがところどころあるようだ。しかしたくさんのレリーフは彫りが深く、きれいな像の数々。見応えありました。



10-0427-122.jpgさあ、終了というときに地元の高校生に質問される。英語で旅行目的やインドネシアの感想などなど。むこうはインドネシアなまりの英語、こちらはカタカナ英語で結構会話が大変。それもはじめは2?3人だったのが、いつの間にか10人以上に膨れ上がってしまった。高校生の真剣な顔。かわいいなぁ。
終了後、先ほどのホテルに戻り、ティーブレイク。風が涼しい。
この後、近くの銀細工の工場見学、レストランで昼食後、プランバナン寺院へ向かう。車で約1時間。
こちらはヒンデゥー教の寺院。4年前の地震でかなり壊れ、最近になってようやく一部寺院が公開されたが、それまでは入ることができなかった。
シバ神、ガネーシャなどの彫刻が見事。まわりにはまだ修復中の寺院のパーツが山となっている。ものすごい数のジグソーパズル状態だ。何年かかるのか。。。。



10-0427-265.jpg今夜はバリ島に移動だが、時間があるのでマッサージ「シスカ」へ連れて行ってもらう。
ちょっと疲れがたまっていたので、気持ちが良かった。ガイドの顔ききで安くしていただきました。
空港で新婚さんに再会。今日の夕方までは新婦の家族と観光。これからが本当に二人っきりのハネムーン。ゆっくり楽しんできてください。
バリのホテルはリゾートホテルでプライベート・ビーチにプールなどの設備が充実。おおきなホテルでお部屋はバルコニーからプールが見える。こちらにきてからずっと忙しかったが、明日とあさっては観光予定もなく、のんびりできそうだ。
部屋に入って、くずれるように寝た。

朝食:ホテルのビュフェ
昼食:インドネシア料理
夕食:機内食のパンとホテルで持参のおかゆ 8,953歩

2010年 4/28 インドネシアの旅:バリ島

10-0428-06.jpg実は数日前からおなかがゆるい。食べ物にあたったのではなく、寝ているときにエアコンでおなかが冷えたようだ。外は30度を超えているので、どのホテルもサービスでエアコンがガンガン効いている。こういうときはホカロンがひとつあるとぐっと楽になるのだが、さすがに持ってきていない。観光の予定がない今日と明日はのんびりすることにする。
朝食後、ホテル内の散歩。プライベート・ビーチではたくさんの人がごろごろしていた。日差しは強く、痛いくらいだ。レストラン前の池には魚やわに、さぎがきており、カメラを向ける人もたくさん。朝食なのでカメラをもってこなかった夫が「あっ!」と声をあげた方向をみると鮮やかなブルーのインドネシアカワセミ。さらにクイナが庭の葉陰に見え隠れ。かなり楽しめそうだ。


10-0428-33.jpg午前中はお腹が痛いのでベットでごろごろ。夫はカメラをかかえてあっちこっちうろうろしている。昼食に持参のおかゆを食べ、気分転換にビーチへ行く。
ビーチサイドで大きなタオルを借りて、椰子の木陰でねそべる。日差しは強いが、木陰は風が吹き抜け涼しい。
バリでひなたぼっこと言っていた夫は、ひかげぼっこを決め込む。





10-0428-21.jpg         海は夕方は引き潮で、泳いでいる人、釣りをしている人など様々。夕焼けの写真をとってから部屋に戻る。
晩御飯はお腹と相談で日本食のレストランへ。海外で日本食を食べておいしかったことがないので、選ばないことにしているが、お腹のために仕方がない。私は焼き物セット、夫は松花堂弁当セットを注文。値段もさることながら、税金が21%、それにサービス料が10%。まあ、遊びに来ているんだから仕方がないか。

朝食:ホテルのビュフェ
昼食:持参のおかゆ、インスタント麺
夕食:前菜、鮭とギンダラ、エビ、野菜のグリル、ごはん、赤だし、アイスクリーム
6,378歩

2010年 4/29 インドネシアの旅:バリ島

10-0429-68.jpgここのホテルのエアコンは温度だけでなく、風の強さも選べる。寝るときはOFFにしているせいか、久しぶりにぐっすり寝ることができた。日の出時間に合わせて夫はビーチへ。海から昇るお日様の写真をとってきた。私は。。。まだお腹が痛い。まいった。。。今日は私はおかゆまたは絶食し、明日の観光は元気で行きたい。朝食のビュフェにはある中華がゆはのりのようなだがそれをいただく。中国式には具をいろいろ乗せて食べるが、私は和食コーナーにあったおつけものを少し。早く元気になりたいよ?。今日は朝からビーチへ。大きなタオルを2枚借りて、1枚は敷き、1枚はお腹にかけて、本を読んだり、とろとろしたり。気持ちがいいー。夫はカメラをかかえてうろうろしたり、海にちょっと入ったり。


10-0429-84.jpgその彼が不安げな顔をして戻ってきた。泳いでいたら、波がすごく強く、海水パンツのポケットに入れたルピアとホテルカードの入ったジップロックがなくなって、かわりに砂がいっぱい。えー!もちろん探してもない。ビーチの監視員さんに話をしたら。今は満潮なので、引き潮になったら探しましょう、とのこと。向こう岸(どこだ?!)まで行っちゃったのかね、と話していた。おかねはあきらめがつくけど、ルームカードは再発行してもらえるものの、気持ちが悪いねぇ、と。
ところがしばらくして監視員さん、これですか、と持ってきてくれた!泳いだ場所よりかなり左側に打ち上げられていたとのこと。すばらしい!ありがとうございました!


10-0429-129.jpgこの彼がいうに、ここのホテルは3年前に経営が変更し、名前が変わったら、それまで大勢来ていた日本人がほとんどこなくなった、と上手な日本語で話してくれました。たしかにここでは日本人とはほとんど会わず、ヨーロッパ系の人が多いようです。聞こえる言葉は英語の他はロシア語系、フランス語系が多いようです。バリに来る日本人は多いけど、大手旅行社と契約がないと難しいんでしょうねぇ。でも、このホテル、とっても快適。洗面所も、お部屋も。テレビはNHKの国際バージョンが映り、朝夕のニュースは日本と同時にオンエアされるし。スタッフは感じ良いし。リゾート・ホテルでのんびりするっていいですねぇー。
で、明日は元気になるぞ!

朝食:ホテルのビュフェ
昼食:ターキーと野菜のサンドイッチ(夫)
夕食:私は持参のおかゆ、インスタント麺
6,194歩

2010年 4/29 インドネシアの旅:バリ島観光

10-0430-136.jpg昨夜見たNHKニュースでGWの出国ラッシュを報道していたが、今朝のレストランでは今までになく日本人がいた。とはいえ90%以上は日本人以外ですが。私は今朝もおかゆのみ。お腹ちゃん、がんばれー。
8時半ガイドお迎えでキンタマーニ高原へ。観光は下記の通り。

アルマ美術館:バリの歴史的物語を絵にしたものの美術館
ゴア・ガジャ寺院:ヒンズー教の洞窟寺院
雑貨屋さん:お土産屋さん
キンタマーニ高原:火山と湖との景観を楽しむ。火山灰の流れがはっきり見ることができる。
ティルタ・エンプル寺院:わき水がきれいなヒンズー教寺院。すぐ上に元スカルノ大統領の別荘がある。
棚田:景色がみやすいところに連れて行ってくれたが、観光地化しすぎているような。。。
W.バルワギャラリー:精密な絵を描いているのところと、画廊を鑑賞

rice_terrace.jpg10-0430-192.jpgホテル帰着16:30。お腹が痛かったけど、がんばって行ってよかった。
シャワーをあびてさっぱりする。
今日の夕食はホテル内のバリニーズ・シアターでフル・ムーンパーティ。今夜は満月?開始時間に行くと、一番前の席をとってくれてありました。お食事は西洋料理とインドネシア料理のビュフェ・スタイルだが、ひとつひとつがとてもおいしい。おいしいと感じることができるようになった自分がうれしい。
ところで。。。私たちはジーンズにTシャツで行ったが、まわりの女性は子供までドレスアップしているではありませんか。そうか、こういうときにドレスを着るのね。でも、男性はほとんどがラフなスタイルだけど。

10-0430-229.jpg後半はケチャックダンスとファイヤーダンス。ケチャックはせっかくバリに来たのだから、一度は見たいと思っていたもの。ファイヤーダンスは、品川寺(ほんせんじ)の火渡り荒行と同じで、燃える火の上をはだしで歩くというもの。すごいなぁ。

21時半過ぎにお部屋に戻る。私は即、寝てしまった。疲れた?。


朝食:ホテルのビュフェ
昼食:キンタマーニ高原のレストランでインドネシア料理
夕食:バリニーズ・シアターでビュフェ
6,642歩

2010年 5/1-2 インドネシアの旅:バリ → シンガポール → 成田

10-0501-54.jpgいよいよ今回の旅行の最終日。お腹が痛くなったこともあり、長かったような、もう終わり、というような。。。3月末に手術した夫は元気なのに、情けない。。。元気でないと遊べない、としみじみ。
夫は3日連続で日の出を撮りにビーチへ。私はきのう崩れるように寝てしまったこともあり、朝湯に入る。うー、気持ちいい。でも日焼けしたところが痛い。 今日の朝食は更に日本人度が高くなっていた。バリに着く日本からの飛行機は夜遅いので、みんな疲れただろうなぁ。


10-0501-76.jpg久しぶりにちゃんとした朝食。おいしい。朝食後、夫はカワセミの撮影に行ったきり、戻ってこない。幸せな人だ。庭にはそのほかりすなども走り回っている。
今日でインドネシアともお別れ。ホテル近くのアウトレットまでお散歩、と10時頃外に出るが、暑い!!!日差しがとてつもなく強く、日陰を探し探し歩く。ホテルまわりの噴水は目に涼しげだし、虹がかかってきれい。
ここヌサドア地区の入り口にセキュリティ・ゲートがあり、ホテル、ショッピングセンター関係者以外は入れなくなっている。建物は「椰子の木より高いのはダメ」という高さ規制があり、おおむね5階以上の高い建物はない。


10-0501-60.jpgアウトレットは歩いて10分ほど。お土産屋さん、スーパー、洋服屋さん等々の他、レストランもたくさんある。スーパーには日本食品も並んでいて、キッチン付きのホテルで長逗留するときなどは便利そう。お腹にあわせた食事が食べられるのはいいなぁ。
ホテルに戻りシャワー。ホテルのチェックアウトは16時。おかたずけをしてゆったりする。
現地ガイドのアスタワーさんとは空港まで送ってもらいお別れ。空港では慎重なセキュリティ検査。そういえばどこもセキュリティ検査がきびしかったなぁ。空港だけでなく、高級住宅街、ホテルやショッピング街入り口などなどにゲートと赤外線検査の機械があり、毎回空港の手荷物検査並み。
日本までの帰国はシンガポール航空でしたが、赤外線の他、トランクの中もあけてチェック。「安全」ですよね。


10-0501-80.jpg飛行機はデンパサール(バリ空港)発が多少遅れたものの、ほとんど時間通り。成田翌日の朝7時着。予定よりも早めに着いたは気温10度。さわやかな晴天だったが、ちょっと寒く感じた。
元気に帰国できてよかったぁ。

朝食:ホテルのビュフェ 久しぶりにまともの食べた
昼食:夫は買ってきたパンと最後のカップめん。私は「帰国準備」のため絶食
夕食:機内食 鮭のグリルとマッシュポテト、野菜、フルーツ、いちごのケーキ
朝食:機内食 日本食 味噌汁(寝起きでほとんど食べられなかった)
8,916歩

2010年 5/3 インドネシアの旅:いただきものとお土産

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