Diary-title

North America

1994年6月 全通研20周年記念/アメリカ手話通訳事情視察の旅に参加して

ろう者の為の大学ギャロデットを一度見てみたい、と思いこの企画に申し込みました。1年前から企画、交渉していただいたおかげで、出発前に考えていたよりずっと濃い内容で視察先の準備もあり、毎夜感想をメモする時間もないくらいでした。東京からの参加は残念ながら56人中たった4人。関西勢が多く、旅行後半には私まで「おおきに」なんて言っているしまうくらい、関西色に染まってしまいました。
訪問内容詳細は全通研機関誌や夏の大会で報告されますので、ここでは簡単に報告します。

1.ワシントンD.C.

6月12日昼、成田発。13時間かけてワシントンへ。時差の関係で今日は1日36時間ある。ワシントンは人口の80%が黒人、大学と政府機関の街。ゆったりした雰囲気と赤い建物レンガの高級住宅街が印象的。ホワイトハウス等見たのですが、この頃はもうぜんと眠く頭の芯がジンジンしていました。
6月13日ギャロデット大学へ。広くてきれいなキャンパス。趣がある建物でした。

【ギャロデット大学】
概要:創立124年、現在2200人在学中、修士課程には健聴者がいるがそれ以外はろう者のみ。卒業式にはクリントン大統領も出席。授業は先生の選択で、磁気ループ、ASL (American Sigh Language=アメリカ手話)を使用。学生中15%が留学生。ファックスの普及率は低いが、TTY(文字電話)はかなり普及。
パソコン通信やE-Mailは記録を残しておけるので利用が多い。アメリカは6月から夏休みなので学生はいない、といわれていたがチラホラいて私たちを見るとはなしかけてくれた。

●言語手話通訳学部
手話通訳の大学院はギャロデット大学だけのコースでカリキュラムは一部東京支部に届けましたので、興味がある方はご覧下さい。現在3クラスあり、各クラスにろう者が1名づついる。カリキュラムはろう者、健聴者共同じだがろう者はビデオテープ録画の論文提出等工夫はしている。
300人が修士号を取得、ほとんどが手話通訳者や教師として仕事についている。通訳者の職業病(Over Use Syndorom=使い過ぎ症候群)は深刻な問題になっており、防ぐ為の教育ビデオを作成している。

●手話通訳者について
費用の個人負担はない。専任スタッフ10名、別にフリー200名、盲聾者の為のスタッフ。配置は通常は一時間1名、それ以上は2名。但し、授業内容による。ろうの通訳者の仕事は・ASL↓盲聾に通訳、・ボディランゲージに近い手話↓英語(ろう者の方がうまい)=国際会議の時など。

この後、キャンパス内見学。構内、図書館等を見る。全米向けろう者ケーブル・テレビはここで作成、スタッフもキャスターもろう者とのこと。

夜はシーフードと夜景のOPに参加。ものすごく大きなロブスターやとうもろこしがまるごと洗面器のような入れ物で出てきたので、とにかく大笑い。アメリカでは何を食べても大味。特にサラダはパサパサのものが大皿いっぱい毎回でてきたので当分食べたくありません。夜、飲み物を買いたいので自動販売機はありませんか?と誰かがきいたら、アメリカでは自動販売機を置いたら1時間もしないうちに販売機ごと盗まれるのでありませんの答。

翌6月14日(火)は3班に別れての視察で。私の班はまずバイ・カルチャル・センターへ。小さなビルの小さなオフィス、小さな教室。でも話しの内容は共感!。

【バイ・カルチャル・センター(TBC=The Bi-Culture Center) 】
概要:元ギャロデット大学教授のMJさんとベティさんの説明。ろう者の文化はASL。ろう者と健聴者は言葉と文化は違うがお互いに尊敬と理解の認識を高める為にと創設。ASLと英語の2つの言語と文化のバイリンガルの通訳者養成が目的。
アメリカ人は残念ながらボディランゲージが下手で表情が乏しいので(☆エ!それじゃ我々日本人はどうなるの?)鏡で先生と自分の表情を比べ近付ける訓練をする。手話はろう者同士の手話を学び、言葉と共に表情、身振りを教える。人により通訳者の素養のあるなしがあり、現実には能力がない人も多い。(☆参加者より耳が痛いの声!)壁に大きくSim/Comのマークが貼ってあった。これはろう者から不満、苦情が出、2つの言語を一緒に表現しない、英語を口で話しながらASLを表現しない。一緒だと手話は口話に従属。混ぜることにより両方が破壊されてしまう。研究結果からも2つ一緒はむずかしいし負担が大きい。我々は両方に尊敬を持つ。1つ1つが平等であり、その美を味わう立場。 SLAはうって変わって立派なビル、きれいなオフィス。たくさんのトロフィと活躍を示す写真。ところでこのビルのトイレはカギがかっており使う人は事務所でカギを借りる。これが普通とか。きれいなビルなのに、やはりここはアメリカ。

【 SLA (Sigh Language Acc. Inc.) 】
概要:手話通訳の専門の営利を目的とする会社。1982年開始。当初職員2名↓現在60人。内30人は事務職、通訳者は週40時間。他に225人のフリー契約者、この地域ではギャロデット大学や政府機関の依頼が多い。他に講師依頼も多い。派遣内容には劇場、宗教もある。

この後、ポトマック河畔で中華の昼食後、飛行機でバッファローへ。今年はここカナダも冬が厳しく零下30度の日が続いてやっと春になったそうだ。たんぽぽがたくさん咲いている。ホテルの部屋からライト・アップされたナイアガラ瀑布がよく見えた。

2.ロチェスター

6月15日(水)早朝、出発。目の前のアメリカへ再入国。税関担当官がバスに乗り込み、私たち全員がアメリカの入国カードを手にもって上へ掲げたら「これで入国手続き終了です」の添乗員の声。全員大笑い。約二時間バスを走らせロチェスター工科大学へ。
ロチェスター工科大学は緑豊かなものすごく大きいキャンパス。これで単科大学?建物は高層建築ではないが近代的でゆったり。夏休みだが学生がけっこう多く学食も営業していた。

【ロチェスター工科大学(RIT)】
概要:ろうあ者の為の最初の単科大学で1965年創設。ろうあ者のための全国工業技術協会(NTID)はRITの中にある。現在ろう者がRITに千百名、NTIDは世界五十ケ国より集まっている。
1975年IDEA (Indivisual with Disability Education)法により聴覚障害児は普通の学校へ(メイン・ストリーミング)の道が開かれた。学校の手話通訳は従来の通訳技術とは違うので、ガイドライン「教育手話に関する報告書」をを作成、全米に配布した。(☆今回四部もらったので全通研本部にある)
授業に手話通訳者がつくことによる効果のビデオテープとパンフも作成。ビデオコンペで賞ももらった。(☆これも1部全通研本部でもらいました)

●手話通訳者について
概要:手話通訳者は百名。サービス・システムとして世界一と思う。通訳者の資格には・英語にそった手話、・ASLの二つ、資格取得後も新情報の勉強をする。
通訳者の職業病が多発した時期がある。1989-90年には十四人が全休、十九人が軽減勤務。痛いGPと平気なGPに同じシェークスピアの講義の通訳を行いビデオ撮影し、見比べたら痛いGPは・動作が早すぎるくらい早い、・手首動作が多い、・自然なポジションに手を下ろすことが少ない、ことがわかった。またペース調整が出来ず、ストレスが多いことも判明した。この結果から対策、訓練を行った結果、91-92年には全休ゼロ、軽減勤務は二人に好転出来た。

ASLを見るのも大分なれてきたが、ろう者同士はASLを知らなくても通じている。大阪のろう者から「ろう者は目でみるからASLを知らなくてもわかるが健聴者は耳で聞いているからわからない」といわれ妙に納得。

今夜のホテルは大学構内にあり、大学内で出会った人とまた会ったりで宿泊客も大学関係者が多い。ホテルは満杯でダブルベットに男性2人で寝た人も!。明日のろう学校でこどもにあげる折り紙をみんなで食事時に折る。

3.ニューヨーク

6月16日(木)、今日が一番厳しいスケジュールの日。ホテルの庭から見る朝日がものすごく大きくきれい。早朝出発しニューヨークへ。
まずレキシントンろう学校へ。入るなり「カメラ、ビデオは全部しまって下さい」の声。ここは公民権意識が強く肖像権の許可をとってからカメラを出してください、との事。また、こどもの様子を見られると思っていたのに教頭先生と校長先生の説明だけだったのは残念。

【レキシントンろう学校】
概要:1864年に女生徒専門のろう学校としてスタート。1950年から男女共学。現在年間22億円で経営。内16億円は州から補助。
教育内容はアメリカで1番と自負。アフリカ系移民が24%、スペイン系が37%、アジア系が12%、その他ロシア、ギリシャ、イタリアの人がいて、彼らの為常時ロシア語、イタリア語などの通訳者がいる。ニュージャージーにある企業に卒業生、修了性を年間350人送り込んでいる。現在400人が在学中。(☆日本では健常者が働きにくるのさえ拒んで不法就労者になっているのに、アメリカは聴覚障害者の移民も受け入れ、ASLや自立方法を教えている)
1クラス6?10人、重複障害は1対1。1980年までは口話法のみで教育、手話は口話を阻害するものとして扱ってきた。手話がトータル・コミュニケーションとして有効、と変化し今ではかなりの部分で手話が取り入れられている。
夜はスペシャルコースで生徒の親に手話を教え、家庭の中での子供との会話を円滑にしている。
現在アメインストリーミングが主流。1975年の法律IDEAで障害により様々な学校ができるようになったが、この法律は5年毎に再確認され来年がその5年目にあたる。否決されてしまうとこの学校が公的に認められなくなる。メインストリーミングは特別な学校をなくし個々にサポートする、という考え方だがまだ実験段階。本当の先生は通訳者なのか、こどもが手話を知らないなどの問題もあるし、手話通訳者の数・質的もまだ充分整っていない。

今日の昼食は幕の内弁当。けっこうおいしい。ニューヨークはちょうど天皇の訪米、サッカーのワールド・カップ、アイスホッケーのニューヨークチームの五十四年ぶりの優勝で大混乱の中。街では男の人を引く商売の女性が昼間っからお仕事しているし、ゲイの多い地帯とかなんとか日本人からみたら「こわい」くらいのところも多い。

午後はラガーティア・コミュニティ・カレッジ。学校側では私たちを大勢で待っていてくれ、研究発表やプレゼンテーションをしてくれたが、時間が短く残念。休憩にアメリカのろう者が積極的に話しかけてくれ、楽しい交流ができた。もっとこういう時間が欲しかった。

【ラガーティア・コミュニティ・カレッジ】
概要:ニューヨーク市立総合大学の中のカレッジでラガーティア地区にある。七百人の聴覚障害者に教育。手話通訳者他のサポート体制がある。

●ボニー先生
手話通訳者の頭の中の働きを五分類し、それを五人の人が演じる教育方法のプレゼンテーション。

●デボラ先生
ADAができて手話通訳者養成所が充分な研究がされないまま次々たくさんできた。通訳者に対する社会的認識も低く、倫理感だけことが多い。

●カドカワ・シンさん(盲ろうの日本人、社会学・芸術学)
私は大阪の大学を卒業後、アメリカへきた。ギャロデット大で専門のコースを用意してくれた。ASLと学科の両方を学んだ。ニューヨーク市立大学に移りリハビリテーションの勉強を初めた。大学で障害学生の専門カウンセリング室の仕事を今は任せてもらっている。日本社会で盲ろう者が成功するのは難しいがアメリカは幅広く活躍の場がある。

最後のRIDとの話し合いは時間がなく、寸足らずの後味。今までの学校関係と違い、ちょうど派遣協会といった感じの団体で、一番身近かに感じただけに残念。

【聴覚障害者のための通訳者協会】 RID (Registry of Interpreter for the Deaf)
概要:1964年結成。会員数5000人。3分の1が男性。収入が少ないので男性は少ない。手話通訳者の認定、登録を行っている。試験は筆記(倫理と一般教養)と実技(表現・読み取り)。会員の集まりは毎月行なわれている。ニュースレターは隔月発行。
通訳者の集まりでは職業病の為サポーターやギブスをしている人も多い。仕事は内容・時間をあらかじめ聞き一人25分を越えないように、だれかに集中しないようにする。現場からの連絡で急遽増員するときもある。
手話通訳利用者から抗議がでれば公聴会を開き処罰委員会を行い、認定がとり消される。
コネチカット州やいくつかの州では労働組合を作り賃金要求しているところもある。ニューヨークでは会員5000人の力で働きかけをし改善をはかっている。
個人依頼はほとんどなく、裁判所、企業、政府、学校がほとんど。個人の場合、依頼の仕方、手続き等を知らないことが多い。私達はろう者の言葉を借りて仕事をしている、という意識があるのでタダで派遣するときもある。しかしタダというと相手の意識をさかなでするのでかわりに掃除とかその人の得意な事をしてもらう。Give & TakeでなくGive & Giveで。

この後、夕食と夜景見学。ホテルに戻ると11時半。ほとんど倒れるように寝る。

翌17日(金)はニューヨーク市内観光と自由行動。18日(土)ニューヨークからアトランタ経由で帰国。出るものは追わず、だそうでアメリカ出国手続きは何もない。
予定より1時間ほど遅れて成田着。空港内で簡単な解散式を行ない、大阪、名古屋組とお別れ。日本は梅雨で雨が冷たい。アメリカにいる間中、お天気には恵まれ、毎日30度くらいだったので寒さが身にしみる。

今回、私にとって出発前に想像していなかったもうひとつの大きな成果、それは通訳サービスを受ける体験である。日本語通訳者を介することによって意志がキチン伝わらないもどかしさ、何か変だという感じ。ところどころ私の乏しい英語力でもちょっと違うんじゃないか、とわかるときもあった。聴覚障害者も日頃手話通訳者にこんなふうに思っているのかな、とつくづく思った。また逐次通訳と同時通訳も受ける立場で体験でき、メモをとるにはセンテンスで切ってくれたほうが楽だった。ASL通訳者を見ていると読み取りも逐次通訳の時があり、通訳者同士で相談したり本人に確認してからとうとうと英語をしゃべりだすときもあった。表現についてもかならずしも話者と同時に終わらないこともわかった。

「アメリカ」という言葉からあなたは何を連想しますか?かつての「アメリカン・ドリーム」の豊かな甘いイメージから麻薬、マフィアといった暗いイメージまでさまざまかと思いますが、私が駆け足で見てきたのは日本よりはるかに「大きく」「広い」アメリカでした。短時間だと良い面ばかりになりがちですので、今度チャンスがあればもっとゆったりと見てみたい、と思いました。


1999年8月 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅に寄せて

プロローグ

 「おまえは日本人か」
 「そうだ」
 「おれはエスキモーだ。おまえはミチオ・ホシノを知っているか?」
 「いや、知らない」
 「・・・・・」

これは、97年のオーロラ旅行のチェナ温泉プールの中での会話。その後、星野道夫の写真とエッセイ「森と鯨と..」に、姪の下宿先で出会うこととなる。そして、「アラスカ風のような物語」「旅をする木」「ノーザンライツ」「長い旅の途上」などを乱読し、その人となりに共感した。 あの時、すでに星野道夫を知っていたら、どんな展開になっていたのだろう...。
そんな、思いが夏のアラスカに私たちを向かわせた。 カメラも、フル・マニュアルからAFに新調した。望遠レンズも購入した。さて....

日付 曜日 - できごと 宿泊先 電話・モデム環境
08/25 予定 成田(20:55)→アンカレッジ(10:45)→デナリ近郊泊 ヒーリー ノース・スター・イン (907)683-1560
実際 成田(20:45)→アンカレッジ(10:10)→デナリ近郊泊 ? ?
08/26 予定 デナリ自然公園 ワイルドライフツアー(バス)12Hr ヒーリー ノース・スター・イン (907)683-1560
実際 スナック朝夕、多めの昼食。13Hr ? ?
08/27 予定 デナリ→(バス・アラスカ鉄道)→アンカレッジ アンカレッジ ウエストマーク イン (907)272-7561
実際 アンカレッジまでの車窓からもマッキンレイ山がその雄大な姿を見せた 最初ウエストマークにいってしまった (^^;;; ?
08/28 予定 アンカレッジ→26氷河クルーズ アンカレッジ ウエストマーク イン (907)272-7561
実際 われわれの乗ったバスごと列車に積んでウィッティアへ ? ?
08/29 予定 アンカレッジ(12:45)→成田 機中泊 ?
実際 NW081便の機体不良による欠航のためアンカレッジ泊 アンカレッジ インレット・タワー・スウィート (907)276-0110
08/30 予定(修正版) アンカレッジ(6:00) → 成田 ? ?
実際 アンカレッジ(13:00) → 成田 機中泊 ?
08/31 予定 成田(7:00) ? ?
実際 成田(13:11) ? ?

1999年 8/25 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅:成田 → アンカレッジ → デナリ近郊泊

成田21時発アンカレッジ10時着。なんと6時間。96年末シアトル経由、97年末ソウル経由に比較して当然だがものすごく楽。
夏だけでなく、冬も是非直行便を!
とはいうものの到着は、日本時間午前3時。頭はぼっ?としている。アンカレッジは雨。天気予報通り。トレーナーを羽織っても肌寒い。フット湖その他を観光してからデナリへ向かう。途中どんどん雲が切れてきて青空が覗くようになる。立秋は過ぎたものの夜10時過ぎまで明るいが夫はにんまりしながらオーロラ用のフィルムを準備している。まさかね。
ホテルの部屋に落ち着いたのは9時過ぎ。夕焼けに山々がはえてきれい。とはいえ眠い!横になると睡魔におそわれる。念のため1時に目覚ましをセットして寝る。どうかなぁ?。
夫が部屋でパソコンとビデオをケーブルにつないでから目が点になっている。画像取り込みソフトが入っていないという。先日、パソコンがクラッシュしたときにDVキャプチャソフトは、すぐに必要なかったのでいれなかったらしい。ったく!

今日の食事;
機内食A:ビフテキorうなぎ&冷うどん
機内食B:クロワッサンのサンドイッチ
昼:アンカレッジ市内のサケの遡上を見た後で、しゃけ弁当
夜:さけの網焼き、ラムチョップ
 ※こちらは自然に配慮してなのか皿やコップは使い捨て(洗わないので水をよごさない)で何だか味気ないというか、もたいないというか...。

1999年 8/26 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅:デナリ自然公園ワイルドツアー

1999-caribou.jpg5時起床。昨夜1時過ぎに空を見たがホテルからはオーロラは見えなかった。
今日はワイルド・ライフ・ツアーで12時間の予定。昨日の雨はすっかりあがっている。しっかり防寒。東京の2月位の服装でも暑くない。
バスは6:30過ぎに出発。大型車に22人なのでゆったり。紅葉がはじまっている。しばらく走ると夫が「あ、なにか動いた。鹿だ、鹿だ!ストップ」と叫ぶ。カリブーが道路からはいったところにいた。一斉にカメラが窓ガラスの上にあるカメラ用小窓に並ぶ。「運チャンには『鹿』じゃ伝わらないわよ」と笑う。


mtmac.jpgここ数日雨だったので、気温の上昇と共に空に水蒸気があがっているらしく、湖面にはぼんやり霧が立ち昇っている。山の斜面からも霧が昇っていく様子がはっきりと見え、とても幻想的。
すばらしいマッキンリーが見えてくる。この後、川を泳いでわたる熊、雷鳥、リス、うさぎと出会い、そしてすばらしいマッキンリー他の山々にみんなキャーキャーと大騒ぎ。
途中のビジター・センターでは毎日の天候を絵にかいたカレンダーがあり、8月は今日までほとんど晴れていないことを知る。
この後、さらにドールシープなどをみながら一番奥のカンティシュナに13:00過ぎに着いた。食後犬そり、砂金堀にいく人を見送ってから近くを散歩。15:00過ぎに出発。


1999-grizzly.jpg途中、すごく近くで熊を見る。のそのそ歩いていたが、どんどんバスに近づいてくる。顔も時々こちらを向ける。かなりの迫力だ。これでガイドブックに載っている動物はほとんど見たことになる。

「後はムースだ」などとぜいたくを言い合っていたら、途中メスの大きなムースを発見。フォト・ストップ後、思わず全員で拍手!
20時10分着。13時間半の長いツアーだった。楽しかったけど、さすがに疲れたぁー。

今日の食事;
朝:バスのモーニングスナック 甘いパンと飲み物
昼:カンティシュナのホテルにてクラムチャウダー&ビッグサンドイッチ
夜:ホテルにてビーフステーキ

1999年 8/27 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅:デナリ → アンカレッジ(アラスカ鉄道の旅)

1999-mtmac02.jpg7時起床。モーニングコールまでぐっすり寝た。
今朝はのんびりでホテル発10:30の予定。食後、やっとインターネット接続に成功。テキストのみ転送。売店でじゃこう牛のマフラーを買う。1枚1万8千円。前回買い逃しているので今回は是非買いたかったもの。その後ホテルのまわりを散策。
アラスカ鉄道のデナリ駅は観光客でいっぱい。日本人だけでなく、外国人(?)も多く待合室は人であふれかえっていた。予定より少し遅れて出発。途中マッキンリーのヴューポイントが数カ所あり、きれいな姿をみせていた。晴れているのだが時々小雨が降り虹まででた。

たんぽぽの綿毛のようなものがまるで雪のようにとんでくる。それもとてつもなくたくさん。線路の両側に赤くて背が高い草の綿毛だが、とにかくたくさんとんでいた。
9時近くにアンカレッジ着。ホテルにて夕食後部屋に入ったのは10時半ころ。空はやっと暗くなった。

今日の食事;
朝:ビュフェ フルーツ、卵料理、ベーコンなど
昼:ランチボックス(サンドイッチ、りんご、スナック類)
夜:ホテルにてビュフェ ビーフステーキ、白身の魚など

1999年 8/28 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅:アンカレッジ → ウィッティア 26氷河クルーズ

1999-racco_nega.jpg7時起床。今日は氷河クルーズ。寒いことが予想されるのでセーターにダウンジャケットを用意。足元もしっかり準備完了。ビデオ、カメラのチェック終了で出発。
アンカレッジ市内からポーテージまでバスで行き、そこでバスごとアラスカ鉄道に乗り氷河クルーズ発のウィッティアへ行く。ポーテージに行く途中海に白鯨がいるとのドライバーの声にバスの中は騒然!波頭にしては不自然な白いものがそうらしい。反対側の崖の上にはドールシープが米粒ほど見える。マッキンリーがきれいに見える。雪をいただいた山々もきれいだ。




1999-killerwhale.jpg
ポーテージも氷河だし、アラスカ鉄道に乗ったバスから見る氷河が解けてできた湖も青く、いわゆるグレイシャーブルー。まわりの山々も雪のところにはブルーが映えている。
船に乗船。ニューヨーク近郊からHolidayできているご夫婦Bob&Wilmaと同席となる。いわゆるロマンスグレーの年代だが実に仲がよく、妻に話し掛けるときにはかならず「baby」と言っている。40近いお子さんがいるのにである!
船が出て20分位したころ突然夫が「あ、ラッコ!」とさけんだ、急いで窓の外を見るとこげ茶色のぬいぐるみみたいなのが浮いていてあっという間に遠ざかった。それまで「英会話教室」状態だったが突然目が海から離せなくなる。しばらく行ったハーバード氷河前ではラッコのFamilyらしいのがたくさんうかんだりもぐったり。ラッコは往復で全部で50位は見た。かわいい!

1999-glacier.jpgサプライズ氷河では海に崩れ落ちるところを運良く目撃。遠くで氷河に亀裂が入る大きな音が響き渡っている。崩れ落ちるときは大音響と共にあたりにとどろく。しかもスローモーションビデオを見ているようにゆったり、その後どーんという感じである。よくみるとその下にあざらしがたくさん日向ぼっこをしている。ものすごい数だ。バリー氷河のところではアシカも見る。船がかなり近づいても平気で日向ぼっこをしていた。

1999-glacier02.jpg








この後、岸壁に群生する海鳥を見てから戻る。6時間のクルーズだったが疲れた。氷河のオンザロックでわれわれの幸運に乾杯した。(私はお水だけど...)

今日の食事;
朝:ビュフェ フルーツ、卵料理など
昼:船のランチ(おひょうのフライ&フルーツ)
夜:日本料理店熊五郎にてタラバガニ

1999年 8/29 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅:アンカレッジ → 成田のはずが...

朝7:30起床。食後一路空港へ。いよいよ帰国。今回は成田直行便利用のために旅行日程は短期間だ。次の直行便を使用するとなると1週間後なのでやむを得ない。
アメリカの例の長い搭乗手続き。出国手続きはいたって簡単だが、トランクは自分で詰めたか、誰かから預かったものはないか、一人ひとりに聞くので、とにかく時間がかかる。
ぜ?んぶ終了して最後のおみやげも買って、後は搭乗連絡を待つだけとぼ?んやりしていた。時間はどんどん過ぎる。おかしいなぁ、と思っているところへ放送が。整備から終了連絡がないので待ってくれとのこと。持参の本を読んでいると30分後に同様の放送。さらに30分後、はじめに英語で「You have happy」と聞こえたものだから「やっとか」と立ち上がったらがその後が様子がどうも変。ホテルの話し、食事代金、明日のフライト時間と続く。結局、本日は機体不良のために飛べない、明日早朝6時発になったというのである。
トランクは手続き済なのでそのまま。過去の経験からパジャマと下着一式、洗面道具、スリッパはいつも手荷物に入れてあるので困らないがあんまり役に立ってほしくないなぁ。
ホテルにチェックインしたのは16:30。航空会社からもらったカードで職場&母に電話をする。その後、E-Mailで連絡。日本時間は8月30日(月)の午前10時頃。便利だ。
17:00に昼食というか夕食というかを食べる。まだ明るいので散歩。途中、道を間違えたこともあり1時間ほどかかる。
明日は4:30空港着、6時出発なので早めにやすみことにする。

今日の食事:
朝 ビュフェ トースト、ハム、メロン、すいか
昼 空港でホットドック
夜 ビュフェ 海老フライ、チキンフライ、ヌードルスープ

1999年 8/30-31 Wild-Life:夏のアラスカはじめての旅:アンカレッジ → 成田

朝3:15起床。4時に一路空港へ。6時出発と昨日は言っていたけど飛行機は直ったのだろうか。
手荷物検査後またまた待つだけとぼ?んやりしていた。今日も時間がどんどん過ぎる。連絡が入り6:00には出発できないので空港のカフェで$12以内の朝食をしてくれとのこと。ホットドックとかうどんしかないのにどうやったら$12になるの。出発時間が9:00になり9:30になり11:30になりと伸びていく。ていねいにどこの部品がどうの、クルーをピックアップがどうの、と言っているけどどうもなぁ。みんなをかえっていらいらさせているだけのような。時間通りにいかないことはよくあることだし(正確といわれている日本の電車だって山手線だって、中央線だってねぇ)、今ここで飛行機の整備より優先する理由なんてあるはずもなく、外国に行くということはそういうリスクもしょっていると私は思う。もっとも日本人は少ない夏休みをやっととっているという現状もあるんですが。
ということで飛行機は12:45発。つまり24時間遅れでした。
成田には8/31(火)の13:10過ぎ着。気温34度。暑い!
今日は出発まで8時間空港にいた。飛行時間は7時間。あー、早くふとんで寝たい!

今日の食事:
朝:空港のカフェでうどん
機内食A:オムレツorパンケーキ
機内食B:そばorサンドイッチ(もちろん私はおそば)

2000年 8/25 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2)に寄せて

プロローグ

ビーチに座ってサーモンをあら食いするグリズリー、鳥がそのそばに近づき、おこぼれにあずかろうとしている。そんな光景が目の前で見ることができるなんて...。
「熊の口に鮭が飛び込むシーンを見ることが出来る」「たくさんの野生動物に出会うことが出来る」との思いで、今年も夏のアラスカを訪れることにしました。 また、ホウェールウオッチングも楽しみのひとつです。今回はアラスカ直行便がなく、ソウル経由は相変わらずチケットが取れるんだか、取れないんだかはっき りせず、シアトル経由で行くことになりました。
さて、今年はどんな出会いがあるのでしょうか(2000/8/25記)

ザトウクジラの群れが潮を吹き上げ、テールをあげてダイブする。テールの形のよいこと...
英語力の乏しい遠来の旅行客をバックアップしてくれるやさしいアメリカ人旅行者...
今年も思った以上の出会いがありました。(2000/9/3記)


2000年 8/26 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):アンカレッジ

2000-anchorage1.jpg17:45成田発のアメリカン航空でシアトルまで、アラスカ航空に乗り換えてアンカレッジ。全部で12時間のフライト。疲れた。市内は気温摂氏14度くらいといわれたが夕方のせいか薄いジャケットを着ても寒いくらい。 Saturday Marketなど散歩。明日の朝食を確保し、今日は胃もつかれているので日本食にしたが、1センチくらいのぶあついでかい網焼きサーモンで、どこが胃にやさしいのか...、と思いながらたべた。 明日はカトマイ国立公園に市内にあるフット湖から出発。早めに寝たいが、ネットワークの接続が...。

機内食 焼き鳥のせごはん & デニッシュ アンカレッジ便 ハンバーガー 夜:熊五郎でしゃけ(orたら)幕の内弁当

2000年 8/27 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):カトマイ

2000-yuko_mam.jpg6:45フット湖畔にあるカトマイランド空港集合。8名乗りのセスナ。乗客は6名。荷物、体重をすべて計量。7:40発。雲の上を飛行。雲の形、色に見とれているが、途中から「あれっ」どうも貧血気味。困ったなぁ、と思っていたら同乗の男性がお医者さんで、すぐ近くの席に移ってきて、呼吸はこうせい、とか言ってくれる。おかげで何とか持ちこたえてkulik Lodge着(ここがまたすごくいい雰囲気のところでした)。ここで先生たちと別れて一休みしてから水上飛行機(6人乗り、スキーの板みたいなのが足についており、湖から離発着)でBrooks Lodgeへ。20分ほどと近く助かった。うぷっ。

2000-main_lodge.jpgまずレンジャーハウスでビデオ(日本語版)と係員から早口英語で熊との共存の仕方のレクチャー。終了バッチをもらってからチェックイン。気持ちが悪かったので部屋に入り、時々休めたので助かった。大勢客はいるが日本人は私たち夫婦とYさん(男性:アラスカ8回目だそうです)の3人のみ。展望台に行ったり滝をみたりする。
4:30頃、ロッジ前のビーチを大きな雄熊(グリズリー)が歩いているのを発見。前にはドイツ人夫婦のみ。夫はあっという間に私をおいて熊に近より写真を撮っている。離れて歩いている私にレンジャーが「airplanにのるのか?NOならついてこい」という。あちこちからカメラを抱えている人がぞくぞく集まってくる。レンジャーがここからさがれ、とか横道に行け、と指示。熊は悠然とこちらに近づいてきて湖にあふれるほどいる紅鮭をたべたりウンチをしたり。約2時間熊につれられて人が一定の距離をおいて移動。大満足でした。

2000-lower_p.jpgふと空をみあげると白頭鷲が羽を広げてとんでいった。夫は「あー」と悔しがっている。熊で頭がいっぱいだったので撮りそこなう。とはいえ彼もまわりも大満足。みんな愛想がいい。
昨日はながーい一日でリズムが狂い、夜もあんまり寝られなかったが、今日からは1日24時間で生活できるので体調は戻りそう。明日も頑張るぞ。
ところで私たちが泊ったLodgeはバリアフりーロッジ。入り口はスロープになっている。こんなところでさえ障害者に気をつかっているのはやっぱりADA(障害を持つアメリカ人法)がある国なんですね。

朝:きのうマーケットで買ったサンドイッチ&フルーツ
昼:ロッジのlunch ソーセージなど
夜:ロッジのdinner 魚、ローストビーフなど

2000年 8/28 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):カトマイ

2000-vallay.jpg7:30に朝食に行ったらけっこうすいている。???と思いながら食べてからビーチに出るとむこうに熊の後姿が!これでみんないなかったのね。
8:30集合9:00出発で一万本の煙の谷ツアーに参加。レンジャーとドライバーと10名のメンバー。私たち夫婦は英語は「a little」と言ってあるのに配慮はぜんぜんなく二人でやっと30%程度の理解力。昨日から一緒の「お母さん」が世話してくれる。途中、View Pointやトイレ休憩をしながら目的地に。立派なロッジがたっておりびっくり。レンジャーは持参の地図を広げてものすごい早口で説明してくれる。夫が目ざとくムースを発見。

2000-renger.jpgランチ後ハイキングに。レンジャーが連れて行ってくれる、と思ったらさっさと行ってしまい、結構な山道で追いつくのに必死。アメリカ式なのね、これって。
ハイキング道沿いにクランベリーが無数にあり、のどの渇きを潤すほどに頬ばりながら進む。歩道のあちこちに大きなきのこが生えているし、所々水溜りやぬかるみがあり、昨日までの天気をしのばせるが今日は青空が顔をだし、噴火した山々や緑がきれい。噴火で流れ出た溶岩やそこに流れる濁流や滝を見て戻る。全身汗だく。アラスカに来て初めて汗をかいたことにきずく。この時着ていたのは下着、厚手のポロシャツ、カシミヤのセーター、中綿入りの上着。この格好で時に寒いくらいだったのに。
14:30頃バスが出発し、ロッジに戻る。途中、熊が道路に出てきたりビーバーハウスをながめたり。

2000-mac.jpg16:30ロッジ前のビーチ発水上飛行機でキングサーモンへ。アンカレッジ行きに乗り継ぐが2時間ほど時間があるので軽い夕食、買い物などする。空港へ戻ると飛行機が遅れているという。日本人の若い女性2人連れと話して時間待ち。1時間以上遅れて離陸。16人乗りの小さい飛行機でなんとなくパイロットがもたもたしており大丈夫かと心配になったが、途中夕日に輝くマッキンリーがくっきり見えた。遅れたけど、これを見られたというだけで余りあるハッピィ。
ホテルに22:00着。今日はお風呂に入れる。

朝:ロッジの朝食 シリアル、フルーツなど
昼:ハムチーズサンドイッチ、ヨーグルト
夜:チキン&ポテトフライ フルーツ

2000年 8/29 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):カトマイ → ジュノー

2000-juneau.jpg今日は移動日&休養日。朝10:00ホテルをチェックアウトし、ダウンタウンで朝食をたべるところをさがす。『地球の歩き方』にのっている店を探すが甘ったるいにおいや脂っこいのはどうも...となかなか決まらず、小雨にサンダルの足はぬれてくるしでホテルにもどりレストランでビュッフェスタイルの朝食をとる。
アンカレッジ歴史博物館で星野道夫の写真展をやっているので行く。『Comming Home』とのタイトル(副題は、"The Photographic Works of Michio Hoshio")を見ただけで「うるっ」としてしまう。動物たちの自然な表情や雄大な自然、カリブーの季節移動など15点。説明書きに彼がなぜアラスカ写真家になったか、などアラスカ大学の先生が丁寧に書いてあるのに感動したり。
2000-juneau02.jpg

また、Sydney Laurenceという画家がいろんな方向からのマッキンリーを書いており、見ごたえがあった。この絵は前に来た時も見たが、去年本物のきれいなマッキンリーを見てからこの絵を見ると新たな感動がある。

15:58発の飛行機でジュノーへ。ガイドブックには1時間半と書いてあるのにジュノー着は19:10予定???と確認すると途中CordovaとYakutakにおりるという。つまり3段飛びでジュノー着。おいおい聞いてなかったよな?。
空から見たジュノーの周りは氷河や雪をいただいた山々に囲まれた港町。アラスカ州の州都。小さな町だ。
ホテルに20:00着。入浴後近くのレストランで夕食。(すごい量でした)夫はここでやっとインターネット接続に成功。アンカレッジのホテルではCalling-Cardでの接続ができず、カトマイは電話がなく、だった。ここのホテルではなんとLocal CallはNo Chargeで、しかもあっという間につながった。遅くなりました。

朝昼兼用:ホテルのビュッフェ(バッフェと発音を訂正された)
夜:オニオンスープ、サーモンサラダ、おひょうの八宝菜風(?)

2000年 8/30 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):ジュノー

2000-whale02.jpg7:00頃目が覚めて市内を散歩。小雨。市庁舎、教会や港を見る。
9:30ツアーセンターに集合し、バスで港までいく。11:00出航Glacier Bay国立公園の入り口の町、ガステパスへ。午後はホエールウォッチング。「見られるかなぁ」と本当はちょっぴり心配していたが、出発後すぐに潮を吹くのを発見。まるで噴水のようだ。Familyでいるのか一度に5-6頭、潮を吹き、体をおどらせて尾を立ててもぐる。これを数分毎にくりかえす。壮大で圧倒される。夢中でビデオをまわしていたが、数が多いし、一度に2グループいたりで、どこをとっていいのかあたふたした。Familyをいくつも発見。1時間半くらい鯨を追いつづける。興奮したがさすがに後半はちょっとぐったりした。

2000-whale01.jpg後で資料を見ると潮吹き→背中→尾の順に見えたのはザトウクジラで、潮をふかずにセビレ→尾が見えたのがミンククジラだそうです。私たちが見たのは圧倒的にザトウクジラでした。すごい、とにかくすっご?いです。
船のガイドもこんなにたくさん鯨を見ることができ、またこんないい天気に恵まれてみなさんはハッピィだ、と繰り返し言っていた。(と思う...)
夜は国立公園内唯一のGlecier Bay Lodge泊。部屋に入る早々窓辺にリスが迎えてくれる。設備もよく都会のホテルと変わらない。バスタブもある。
夜、あんまりお天気がいいので夫は「もしかしてオーロラが...」と何度も起きだしてチェックにいく。

朝:ホテルのビュッフェ
昼:船の軽食。クラムチャウダーとパン&クッキー
夜:スモークサーモンの前菜、スープ、シーフードフィットチーネ

2000年 8/31 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):ジュノー

2000-blackbear.jpg目がさめたら7時21分。7時30分集合のGlacier Bay Cruiseを予約している!!!飛び起きて荷物をリックに詰め込み、歩いて10分ほどのところにあるDocまで走る。顔も洗わず、髪の毛もとかさず乗船。7時35分。ほっとして洗面所にいったが水が出ない。仕方がないのでウェットテッシュで...。とにかく間に合ってよかった。
8時ちょっと前に出航。船にはレンジャーが同乗していてどこに何がいるか教えてくれるし、時には写真や絵を見せてのレクチャーがあり、鳥などの特徴を教えてくれる。船を時計にみたて、進行方向前が12時の方向、後ろは6時という風に時間で言ってくれるのでレンジャーが何か言ったときには何時と言ったかに気をつけておけば見逃すことはない。(他の人の動きでもわかるし)
出航と同時にブラックベアがいるという。私たちが泊まったコテージのすぐそば。夜中に夫がうろうろしたあたりからそう遠くない。ぞ?。

2000-cruiser.jpgここは1750年ころまでは完全に氷河(Glacier)だったところがすこしづつ溶けて、今ではかなり深い入り江になり氷河がいりくんでいる。遠くで鯨が潮を吹いているのがみえる。青空に白い山々がきれいだ。途中の島でパフィン(つの目鳥)やあしかが群れている。2箇所の氷河で崩落するところを見学。温暖化が進んでいるのね。もっともそのうちのひとつは地図を見ると氷河が進行している珍しいところ。できたてだから崩れやすいのかしら。他にブラウンベア、ラッコ、アザラシ、白頭鷲などなど10種類以上の動物を見た8時間のツアーでした。
この後、ガステパス経由ジュノーのホテル着。

2000-glacier.jpgアラスカの観光シーズンは6月中旬から9月半ばまで。この間、晴天は4-10日程度しかなく、雨が多いのだが私たちは雨に降られたのはアンカレッジでの移動日と昨日の朝少しだけ。真っ青な空に輝く氷河や動物を見ることができラッキーだった。
ここまで私たちの他は日本人はほとんどいず、英語のシャワーの中。完全に聞き取れるはずもなく「どうもこうらしい」というだけでやってきた。やっぱり英語をもっと勉強しなくちゃ。
明日は帰国日。今朝のことがあるのでホテルチェックインのときにモーニングコールとAirport Suttleも頼んでおく。は夜の21:00近く。夕日に映えるCoastMt.がきれいだ。

朝:寝坊のためなし
昼:ホットサンド。チーズ、ハム、やさいなど。
夜:スープ、Glacerサラダ、ミートローフ(レストランではマナー違反かもしれませんが、いつも1つづつ頼んで半分づつたべました。それでも食べきれないくらい多いんだもの)

2000年 9/1 Wild-Life:夏のアラスカの旅(Part2):ジュノー → シアトル → 成田

帰国日。空港まで運転手が昨日はいい天気だったと繰り替えす。ジュノー7:15発でシアトル経由で日本へ。シアトル空港は昼間のせいもあるのかごったがえしていた。
成田行きの出発ゲートに行くとさすがに日本人が多く日本語が飛び交っている。夫以外の人の日本語を聞くのが久しぶりの気がする。地上係員も日本人スタッフが日本語で対応。やっと相手が言っている事すべてがわかって返事ができると思ったら、長い列を見てHelpにきたアメリカ人スタッフに呼ばれて搭乗手続き。またまた英語でいろいろ聞かれました...
その後呼ぶから待つように言われ、この間にシアトルに住むいとこに電話。その後もなかなか呼ばれない。私たちよりも後ろに並んでいた人たちが次々に呼ばれているのに...。やっと呼ばれて行ってみるとエコノミー席が満席なのでビジネス席にグレードアップした、という。ラッキー。すごく広くて9時間半が短く感じる位快適でした。今後ちょっと高くてもこっちに...と悩んじゃうなぁ。
夫は飛行機の中でGlecier Bayやあちこちのパンフを飽きずに読み返している。今回乗り継ぎで降りたKulik Lodgeもすごくいい雰囲気で泊まってみたかったし、Brooks LodgeもGlecier Bay Lodgeももっと長く滞在したかったし...で、私たちのアラスカ通いはまだ続きそうです。

朝:機内でシリアル
昼:機内食。ステーキorサーモン
軽食:機内食。かにの冷製

2001年 8/25 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:シアトル

2001-082503.jpg午前中は自宅で野茂とイチローの応援。イチローが第二打席でヒットを打ったのを見てから自宅を出る。16:55発アメリカン。満席。
今回は着いた日に野球観戦があるせいか、いつになく飛行機のなかで少しとろとろできた。予定より少し早く朝9:20シアトル着。入国、税関を通って出口へ向かう地下鉄の中で、シアトルはここ1週間は風雨が激しかったが、今日から1週間は晴天という話を聞く。早速ラッキー。
グレイライン・シャトルでホテルへ。チェクインには早いが荷物を預かってもらうつもりだったが、チェックインさせてくれた。一休みしてから、野球観戦にいく方法をコンシェルジェに聞くと、なんとホテルをまわるシャトル・バスの案内が日本語で書かれていた。一人往復10$。安い!でも私たちが乗ったバスは日本人は私たちだけでした。
球場には12:30頃着。「WILLCALL」という窓口で予約したチケットを受け取る。あたりはどこも人だらけ。マリナーズ・ショップは入るために行列(イチローシャツ類はXLしかないものがほとんど)、ホットドックを買うにもトイレも大行列。


2001-082504.jpgところでなんと今日はイチローがでなかったのです。昨日まであんなに調子がよかったのに!もちろんそれも想定して、それなりに楽しむつもりでしたし、楽しんだのも事実ですが、やっぱり一番大事なスパイスが欠けていたようで残念。。。でも9回には佐々木がでてきて盛り上がったんですが、なぜか2アウトをとった直後に降板。そのあとあわや乱闘?という雰囲気もありましたが、イチローが出なかった分のプレゼントか4時間半の長いゲーム、11回までもやってくれ、最後はマリナーズのさよなら勝ち。途中ねむくなることもほとんどなく、それなりに楽しい野球観戦でした。もしかしたら「イチローがスタメンからはずれた貴重な試合」を見られたのかも。

機内食1:焼き鳥弁当
機内食2:デニッシュ
昼食:ホットドック&ポテトフライ
夕食:タコス(夫はBIGなステーキ)

2001年 8/26 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:ガスタバス

2001-082603.jpg夜中にやっぱり目がさめる。17時間の時差だもの、仕方がないか。
9:28発の飛行機でジュノーへ。ジュノーからガスタバスまでは小さい飛行機とは覚悟していたが、なんと4人乗り。私の乗った飛行機の最小記録更新。ガスタバス行きの空港カウンターもエアラインではなくエアタクシー。アラスカではタクシー並なのね。
ガスタバス空港は人もいず、パイロットが無線で職員を呼んでくれた。寒い。13度くらいだが風が冷たい。
ロッジから迎えにきてもらい、午後のホエールウォッチングに行けるか聞いてもらったらOKとのこと。ラッキー。船は30分ほどでポイント・アドルフォス着。途中ラッコが浮かんでいるのが見える。着いたとたん前方に大きな鯨が3頭横切った。右も左も遠くにも潮を吹いているのが見える。去年と違い落ち着いてビデオを撮ることができた。


2001-082601.jpg1時間ほどしたら体が冷えて寒気がしてきた。風邪をひいてはいけないと思い船室に入って海を見る。気がつくとうたたねをしていた。今日は下着、長袖シャツ、セーター、ウインドブレーカーを着ていたが、寒い。
鯨をたっぷり、他に白頭わし、あしかなどを見て5時過ぎに桟橋に戻る。夫は昨日イチローが出なかったので鯨も出ないのでは、と心配していたが、トータル20頭くらい見た。すごい!
迎えにきてくれた車でロッジへ戻る。おいしいディナー(ただしアルコールはおいてない)を食べ、早めに寝る。

朝食:空港で買ったベーグルのハムサンド&フルーツ
昼食:朝食時夫購入分のベーグル・ツナ・サンド(大きかったので昼までかかって食べた)
夕食:ホタテの前菜、おひょうのステーキ、ラズベリーパイ

2001年 8/27 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:ガスタバス

2001-082701.jpg夜中に目がさめたのでもしかしてオーロラは?と外を見ると雨。ここは1年間に400日雨が降るというところ。フェアウェザー(晴天)山というのがあるがアメリカ人特有のジョークだ、と星野道夫が書いていた。昨日のホエールウォッチングが天気だったのでさえラッキーというものだ。
ロッジのおいしい朝食後、港まで送ってもらい、グレーシャーベイクルーズに出発。雨はあがり、遠くの山々に薄日が差してきた。昨日ホエールウォッチングで会った日本人女性2名、アメリカ人も一緒だ。大型船のクルーズの客もきて満員状態。
くじら、シャチ、パフィンなどが次々「ごあいさつ」にきてれくれ、お昼過ぎにマージョリー氷河着。このあと見た氷河もそうだが、たった1年の差で随分後退している。特に昨年はなかった洞窟状態の穴があいており、手前だけでなく、奥から溶け出しているらしい。京都議定書がどうのと7月は毎日のようにニュースになっていたが、やっぱり温暖化阻止のための対策をしないと。。。


2001-082703.jpg氷河見学は3年目だが今回が今までで一番寒い。また私の油断もあり(だって準備するのは気温35度の東京なんだもの)外にいるとすぐがまんができなくなる。去年まで防寒用に大荷物を持ってきてはあまり使わなかったので減らしたのだが、今年が一番寒い。キャビンにもどって窓から外をみるとまたウトウト。夫はほとんど外にいて「今年は白頭わしが多い」と満足そうだ。
4時過ぎにドックに戻り、ロッジへ。途中の道路拡張工事のために原生林が切り倒され、小枝を山にして焼いていた。
アニーメイ・ロッジはwebで見たのですが、料理上手のパパ(本業は歌手?と思うくらいのいい声)と英語が下手な私たちにどんどん話しかけてくれる明るいママのとってもGOODなところです。ただし料理が多くて、私のは半分にして、といっているのですが、残すのが申し訳けない。。。
朝食:シリアル、スクランブル・エッグ、フランク・ソーセージ、メロン
昼食:クルーズのホットサンド&ロッジのランチのサンドイッチ
夕食:若鶏の詰め物スパイス焼き(すごくおいしかった)&デザート

2001年 8/28 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:ガスタバス

2001-082801.jpg今日の午前中はFREEなのでゆっくり起床。朝食後、町の中をサイクリングする。町といってもあちこち原生林で気持ちがいい。もっとも一歩中にはいると熊が出そうで怖いが。
2箇所あるギャラリー(スモーク・ギャラリーとファイヤー・ウッド・ギャラリー)にいってみるがどちらも午後のみ開店。残念。でも雨もふらず約2時間の気持ちがいいサイクリングでした。
午後はおとといと同じホエール・ウォッチングに。出航前に船のすぐ横にラッコが浮かんで何か食べている。こんなに近くでみるのは初めて。その後、鹿、あしかなどを見るが肝心の鯨になかなか出会えない。「いたっ!」と思ってもすごく遠くて潮吹きだけしか見えない。おととい、昨年とものすごくたくさん見えたのはついていたということなのだろうか。船は最後にポイント・アドルフォスに行き、数頭の鯨を結構近くで観測。なんではじめっからこっちにこなかったのだろう。鯨は全部で10頭くらい見たと思うが、同じのを繰り返しカウントしているかもしれない。


2001-082802.jpg今日はアニーメイ・ロッジ最後の夕食。昨日、おとといとロッジの客は私たちだけだったが、今日は2組4名が追加。6名でテーブルを囲んでの夕食。日曜日にイチローを応援してきたアラスカ・エアライン勤務の息子さんとご両親、国立公園レンジャーとお仕事を聞くといろいろ話したいんだけど、言葉の壁に阻まれてもう?大変。聞かれたことに返事するだけで精一杯。時々、どうもとんちんかんな返事をしているな、と感じるけど、むこうが辛抱強く聞いてくれて。。。
お食事はとてもおいしかったけど、会話についていくのが大変でした。

朝食:シリアル、ベーコン・エッグ、パンケーキ、メロン
昼食:サンドイッチ、りんご
夕食:サーモンベイク、サフランライス、キャロット・ケーキ他

2001年 8/29 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:ガスタバス → ジュノー

2001-082902.jpg昨夜からの雨が朝になってもあがらず、カヤッキングの開始時間が1時間位遅れる。冷たい雨。私たちがガステバスに着く前の1週間はずっとこんな天気だったそうだ。迎えの車に乗り、グレイシャー・ベイ・ロッジへ。長靴、ウェア、ライフジャケットなどを着てから、船の乗り降りの仕方、こぎ方の講義を受け、いざ出発したのは10時過ぎ。冷たい雨がずっと降っていた。
今日のメンバーは11名。オーストラリア人3名、アメリカ人4名、私たち2名とインストラクター2名。まったくの初心者は私たちだけ。大丈夫、と励まされながらのスタート。はじめっから雨でずぶぬれ。夫婦で「イチ」「ニ」と声を合わせてこぐものの、なかなかうまくいかない。舵は後部座席の夫担当。時々、インストラクターが「あそこになんとかという鳥がいる」とか説明してくれるが、見るゆとりがまったくない。今日見た一番大きなものなんとアニーメイ・ロッジのパパ(ジェイソン)で釣り上げた大きなキングサーモンを得意げに持っていた。
ところで「トイレにいく」は「take a bathroom」と『NHKとっさのひとこと』に載っていたが、休憩の時に草むらに用を足しにいくにも「take a bathroom」というのには笑ってしまう。日本の「お花を摘みにいく」みたいな言い方もきっとあるのだろうが。


2001-082901.jpg1時過ぎに昼食のために近くに上陸。手が冷たくてジンジンし、親指の付け根あたりはまったく感覚がなくなってきた。ジンジンが手首あたりにまで上がってくる。こいでいるときは冷たくても何とかなったのだが。今日はほとんど1日中雨だった。二の腕が筋肉痛でプルプル。
3:30頃、岸に戻り、かたずけてグレイシャー・ベイ・ロッジを出発したのは4:10。ここで日本人グループにであう。日本語を話すアメリカ人が引率しているのを見て、英語に苦労している私たちとしてはうらやましく感じた。彼らにはこの後、ジュノー空港でも出会った。私たちはロッジに戻り、あたたかい飲み物で落ち着いてから空港へ。悪天候のために飛行機が30分程度の遅れてジュノー着。きたときと同じ4人のり飛行機&同じパイロット。「大丈夫か?」と聞かれたが私たちは心配どころか小さい飛行機の旅を楽しんでいる。ブッシュ・パイロットの一人に運んでもらっている、と思うと星野道夫になった気分だ。ジュノー着18:45。ジュノーは雨が降っていなかった。


朝食:スクランブル・エッグ、ハンバーグ、スライスポテト、メロン
昼食:コールド・サンドイッチ
夕食:SOBA(焼きそばと豆腐、野菜をいためてスープ煮にしたもの)、チキンのパスタ

2001年 8/30 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:ジュノー

2001-083001.jpg夜中に目がさめることもなく、ぐっすり寝た。いつもそうだが帰る頃に時差ぼけが治る。日本へは帰った瞬間、日本時間に体が戻るからすごい。
8:30過ぎにメンデルホール氷河の半日ツアーデスクに電話をしたら9:30出発でゴールドベルト・センター(ロッジより徒歩5分のところ)に9:10にこい、という。急いで出発。曇り。今日は豪華客船が3艘も着岸しており、メインストリートは人でいっぱい。(ちなみに夜はゴーストタウンのようでした)氷河観光バスもほぼ満員。氷河まではドライバーが市内観光をしてくれたが、ほとんど理解不能。ガイドブックの範囲だろうと気楽にかまえる。約30分で氷河着。
グレイシャーブルーのおおきな塊が前の湖にうかんでいる。あんなにおおきな塊が落ちるときはどんな音がしたのだろうか。となりで写真を撮っていた青年が白頭ワシが近くにとまっているのを教えてくれた。


2001-083002.jpgビジターセンターで案内ビデオを見る。音声が難聴者用に字幕で出るので、必死で知っている単語をひろい読みして理解。音楽の時には「MUSIC」、氷河崩壊の時には「Following Glacier」と表示。さすがADA(障害をもつアメリカ人法)のある国。日本の観光地のみなさん、マネしてね。
ダウンタウンに戻ってから、トラムでロバーツ山へ。山頂を700mほどハイキング。ちょっと昇るとすぐ息があがる自分がなさけない。ここも温暖化のせいか植生が変化しているいう。
山を降りてから、すぐ下のタク・スモーク・レストランで遅い昼食。とてもおいしかったので、夕食もここですることにする。豪華客船の客とおぼしき人たち大勢がスモークをクールで送る依頼をしていた。


2001-083003.jpg午後はアラスカン・ブリュワリーへ行く。夫は大のアラスカン・アンバーファン。初めてアラスカにきてからすっかりファンになり、日本でも地ビールしか飲まない。前にアラスカン・ブリュワリーのホームページを探して日本で買えないか見てみたが、買えるのはなんと帽子だのTシャツだのグッズだけ。また、今回の旅行ではアニーメイはアルコールなしのロッジ、昨夜のレストランでは売り切れ、と縁が薄かった。日本で買いたいが方法は?と聞いたところ「I have no idea」とのこと。やっぱりだめなのね。試飲後、説明をしてくれるが、これが機関銃のような早口英語。私のように英語もビールもだめな人にはちょっとつらいツアーだった。ちなみにグッズはダウンタウンのSALE中のお土産屋さんの方が安かったです。

朝食:チーズサンドイッチ
昼食:クラム・チャウダー、スモーク盛り合わせ、生蛎
夕食:アラスカ貝の酒蒸し(みたいの)、たらばがに、スモークサーモンのピザ

2001年 8/31 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:熊の聖地・アドミラリティへ

2001-083101.jpg朝8:15ジュノー空港集合でアドミラリティ島ベア・ウォッチングへ出発。『地球の歩き方』にも載っていないこのアクテビティ。帰ったら投稿しようかな。(なんちゃって)
昨年、カトマイで身近に熊をみているものの、やはりわくわく。今日は水上飛行機。ガイドのブッチェさん、コロラドからきている若夫婦の5名だけのミニ・ツアー。パイロット以外もヘッドフォンをして5人でおしゃべりしながらの空の旅だ。オルカが2頭みえた。全員が確認するまで旋回してくれる。途中、熊もウォッチ。25分ほどで飛行機はパーク・クリークに着。瞬間、レンジャー2名がボートでやってきて、ガードしてくれる。(麻酔銃みたいなものをもっていました)
上陸したら、右と左に熊がいる。わぉ?、もう!ビーチをずっと歩いていくのと、座り込んで犬のようにまるくなるのと。みんな夢中でシャッターを押し、双眼鏡をのぞきこむ。緊張感が走る。

2001-083102.jpg陸沿いに歩いていたのがいなくなってから、私たちもビーチに沿って歩き、観測ポイントへ。海へ流れ込んでいる川で「モカ」と命名された熊が鮭をとっていた。1995年生まれ、とパイロット&ガイドのブッチさんが説明してくれたので固体認識をしているようだ。彼女はしばらくわれわれを楽しませてくれた。
この後、軽いハイキングに行こうと出発しかけたら、行く手から3頭の親子連れがやってきた。また、岬の先で寝ていた熊も親子連れに刺激されてか、起きてきて、われわれは熊にはさまれた格好になった。レンジャーやガイドがカメラのシャッター音にも敏感になっているのがわかる。こっちへこい、そっちにいくな、と指示が多くなる。「どうなっちゃうの」とおもったが、親子連れは行過ぎて、寝ていた熊はわれわれのそばをすり抜け、木の実を食べたりして、去っていった。ハイクに行く時間がなくなったので、もとの観測ポイントへもどると、それまで時折薄日が差していたのに、急にひとしきり雨。熊はいない。しばらく待っていたが、帰る準備を。とたん、うしろの茂みから大きな熊がでてきて、川につかったりしていった。合計9頭もの熊を見ることができた。べリー・ラッキー!

2001-083103.jpg午後2時、ジュノー着。ものすごく興奮したツアーでした。お腹はすいたしでぐったり。
教訓。このツアーはトイレがないので特に女性は事前の水分取りすぎに注意。食事は一切持ち込み禁止(ガムやクッキー類も)なので、朝はしっかり食べること。(日帰りの場合。一泊は別。私たちは一泊はとれませんでした)
いよいよ明日は帰国。今回もエクサイティングな旅でした。お世話になったみなさん&アラスカの豊かな自然に感謝。現地レポートはこれで最後。後は帰国してからになります。

朝食:ピザ
昼食:オニオンスープ、ステーキサンドイッチ
夕食:ごはん、チキン、サラダ


2001年 9/1-2 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅:ジュノー → 成田

2001-090101.jpg前夜、ホテルに空港までの早朝トランスファーを頼んだら、タクシーを呼んであり、他の客との乗合で費用はホテル持ちだった。
空には厚い雲だが山すその雲がきれているところは朝焼けしており、きれい。今回は本当に太陽のありがたさを実感。東京の夏のジリジリにうんざりしていたが、やはりお日様は偉大だ。ほんの少し顔をだしただけでも、クルーズではレンジャーが航路マップに「SUN&BLUE SKY」が「Smile」したとわざわざ書き込んでいたくらいだったもの。
シアトル空港の売店にはこの冬まではまったく置いていなかったマリナーズのTシャツあり。最もイチローのはサイズが2XLしかなく、手にした日本人はみんな残念そうに何度もながめていた。
シアトル空港発1:25、10時間の長い旅の後、成田着。気温28度。日本思ったより涼しかった。

朝食:機内食 シリアル&マフィン
昼食:機内食 ビーフのオリエンタル風
夕食:機内食 ピザ、チキン入りうどん(前よりマシになっていた)


2002年5月 いくチャンのアラスカ・FAX報告(1) ジュノー

2002-ikutitle-1.png

(書いた日:2002年5月14日)


2002-001-1.jpgアラスカに着いて2日目の夜です。ここはほんとうに日が長く(白夜ではないけど)、今10:00pm、ようやく暗くなってきました。
外の明るさで5:00pmくらい、と思っていると9:00pmだったりする・・・。不思議です。

1日目
5/13(月)とてもとても長い1日でした。
家でカレーを作ったのがもう遠い昔のよう。あれから成田まで電車で行って、それからはひたすた待機、Flight、待機、Flight・・・・・と続きました。
結果的にはアンカレッジ→ジュノーを時間をかえて早い便にしたのも(あやしい英語ですっごく疲れたけれど)、1泊目をPickUp付きのホテルにしたのも正解。


2002-002-1.jpg2日目
5/14(火)ジュノーStay(豪華クルーズ船が着くと、観光客がいっぱいになる。)夜中何度か目が覚めたもののなんとか回復。開き直って今日はとにかく観光。
ロバート山のトラムで上に登って、Alpaine Trailをハイキングしようと思っていたのに、残雪のためClosedだったのが残念。
☆とにかく☆英語が聞き取れない、通じない!!あたり前だけど。だけどもうアラスカに来ちゃったんだし、6/2までは帰れないんだし、何とか乗り切るしかないのだ・・・と前向きに開き直り。
ジュノー・ホステルで日本人カップルと一緒になり、ちょっとうれしかった。クルーズ船にはL-Aのお客さんのような夫婦づれが多いけど。


2002年5月 いくチャンのアラスカ・FAX報告(2) ジュノー → スギャクウェイ

2002-ikutitle-2.png
(書いた日:2002年5月18日)

Topic 1 アラスカ・ハイキングを体験したこと。

2002-004-1.jpg3日目
5/15(水)昨日は降ったりやんだりのくもり空だったけど、この日はまずまずの空模様。Captal Transit(市バス)に乗って、30分位歩いて、メンデンホーン氷河へ行きました。途中、小銭がなくて、バス代が払えない!というアクシデントがあったけど、隣のお兄さんが$1プレゼントしてくれて助かった・・・ということもありました。
この日はEast Glaycier Loup Trailというハイキング・コース、約2時間くらいのハイキング。りすや小鳥もたくさん見られて、氷河もなかなかの迫力で楽しかった。

Topic 1 スギャクウェイへの3日間。(片コトの英語で何とかがんばって情報を集めた結果、ガスタパス・フェリーは金曜の1往復しかないことがわかり、Glycier Bayゆきはとりやめに)


2002-006-3.jpg4日目
5/16(木)というわけで、予定変更。午前中は街をブラブラしながらヘインズに行くかスギャグウェイに行くか考えていたけど、結局スギャグウェイに決定。たまたまジュノー・ホステルで2泊一緒だったYちゃん&Tくんも同行程に。
4:00pmジュノー Auke Bay出発 → 10:30すぎスギャグウェイ着。アラスカ・マリン・ハイウェイ(州営フェリー)TAKU号に乗る。
話の流れで3人でキャンプすることになり、フェリー内でシャワーもすませる。

2002-008-2.jpg


5日目
5/17(金)初 My Tent泊!!ちょっと寒かったけど、こちらへ来て一番よく眠れた。しかもHostelのように時間制限はないので、ゆっくり朝寝坊した。3人でのんびり朝兼昼食を食べヒッチハイクで北上する2人と別れ、今日はDown Townの散策。まるでディズニーランドが生きているようなHistoricな街。夕方ホステル泊のバーニー&ジェシー(Canada)に誘われてサイクリングに行く。その後、Tくんのカゼのため2人が戻ってきてしまい、Yちゃんと日本風のカレーを作る。久々のカレー!!3人で感激しながら食べた。


2002-009-1.jpg


6日目
5/18(土)快晴。暑い。早朝、Hostのフランクさんと共にホワイト・ホースへ向かう2人を今度こそ見送り、私はハイキングへ。ちっちゃい街で周りは山と海なので、Trailもたくさんある。今回はLower LakeとIcy Lakeの2つの湖をめぐった。バーニーに送られて、16:30フェリー出港(すっごくすいている)。
Crewのおじいさん(71歳)と仲良くなった。年配のおじいさんだと、占領時代、軍隊で日本にいた、という人がけっこういる・・・。(フェリーにて記)

2002年5月 いくチャンのアラスカ・FAX報告(3) ジュノー → アンカレッジ → フェアバンクス

2002-ikutitle-3.png
(書いた日:2002年5月22日)
先日何とか送れたようなので、もう一度かいてみよう!!今日は久々に本当に話し相手もいないので...。FAXはカンタンというのはちゃんとしたHotelに泊まっている場合であって、私のようにHostel泊まりだと設備も様々なのです。でもみんな清潔だし安全だし、なにより友達ができてたのしいよ。デナリの後はタルキートナでロッジ(植村直己も泊まったらしい!!)に予約してあるので、そこではFAXできるでしょう。

2002-013-3.jpgTOPIC 1:ジュノー ... アンカレッジへ移動!!。

7日目:5/19(日)
チケット変更しておいたおかげで、朝も余裕で空港へ。さすがに日曜で混んでおり、セキュリティ・チェックで時間がかかる。乗客も前回の3倍はいた。
すっごい天気が良く、窓側の席だったのでばっちりフライトシーイングが楽しめた!!ジュノー大氷原、(行けなかった)グレイシャーベイ、St.Eliasあたりの山々と氷原。(これがすっごい迫力でした)それからMt.Denali!!
アンカレッジは暑い???。しかも日曜なのでほとんどの店が閉まっている。


2002-014-2.jpgTOPIC 2:フェアバンクスでの3日間のこと。
8日目:5/20(月)アンカレッジ → フェアバンクスへ。長距離バスで移動
パークス・ハイウェイ・シャトルはコースからコースへ行ってくれるので便利。この日も快晴。ハイウェイからものすごいパノラマ(特にデナリ南側)を楽しんでいるうちに、ロングドライブもあっという間だった。あんなに大きくデナリが見えるとは!!
フェアバンクス・ビリーズ・ホステルで土岐さんという日本人写真家さんと出会う。またしてもYちゃんandTくんと再会し、夕食は一緒にうどんを作る。


2002-017-1.jpg
9日目:5/21(火)早起きして予定通り北極圏ドライブ・アドベンチャーに参加
行ってきました北極圏!!暑かった!乾いていた!(この日、フェアバンクスは5月の最高気温を記録)ちょっとだけカラコルム・ハイウェイちっくなドライブでした。ガイド兼ドライバーはジェフ。英語がわかればもう5?6倍楽しめたのにな...。でもブルックス山脈も見え、星野道夫の世界でした。

2002-018-2.jpg10日目:5/22(水)フェアバンクスは全部が郊外のような街
どこから原野でどこから街かよく分からない。ダウンタウンもあまり観光客ずれしていず、かえって好印象でした。ビリーズは自分の下宿のようで本当に居心地がよく、しかも3日間一人部屋。午前中はアラスカ大学(でかい!)博物館(←おばちゃんand土岐さんおすすめ)へ行き、午後はダウンタウンへ行って買い物and観光。やっぱり暑い...。バスで会ったおっちゃんに「なぜこんなに日本人がよく来るのかwonderだ」と言われた。

2002年5月 いくチャンのアラスカ・FAX報告(4) デナリ国立公園

2002-ikutitle-4.png

(書いた日:May/26/2002)

さっきようやく山の向こうにお陽さまが落ちていったけど、どうせここはほとんど暗くならないので(現在22:00)寒くなる前に、のっているうちにもう1枚いきましょう。
テントサイトのテーブルなのでちょっと字がキタナイけど。

2002-019-3.jpg

◇いよいよデナリ国立公園なのだ!◇

-- デナリ準備編 --

11日目:5/23(木)フェアバンクスからバスで移動。(鉄道はデナリ→タルキートナに変更)客は二人だけ。天気も良くあっという間のドライブだった。12:30頃にはビジターセンターへ着いてしまった...が、計画のまとまっていない状態で、何かを相談するには英語力が足りず、とにかく計画を立てようと地図やガイドを買ったり、エントランスエリアをうろうろしたりして過ごす。(とりあえずSHOPや郵便局が今年から移動したらしい、ということはわかった)。
16:00にはビジターセンターも閉まってしまい、17:30のHostelのPick Upまでヒマだった。


2002-020-2.jpg12日目:5/24(金)とにかくバスとキャンプ場を予約する。行動しなくては始まらないのだ。ワイルドライフツァーに参加、なんていう予定はどこかに行ってしまったけれど、バックカントリーデスクで知り合った三太郎さんという日本人のおっちゃんと一緒にドライブへ行った。今日まではまだ一般車がタクラニカまで入れるのだ...。
午後ビジターセンターでまたしてもYちゃんandTくんと再会。この二人も三太郎さんも明日からバックカントリー。キャンプの準備をする。今日はもう1泊Hostel(ステキなログハウス)に泊まり。でっかい犬が2頭いて、かわいい。



2002-020-1.jpg

とりあえず今日はここまで。そろそろ蚊取り線香も終わりそうなので。(ウワサには聞いていたけど、アラスカン・モスキートはほんとにデカイ。これさえいなければ10倍くらいは快適なのに!日本にもいるから仕方がないけど)
早いもので日程ももう2/3が過ぎました。予定は変更してばかりだけど、まぁすべて結果オーライで、楽しくやっています。いろんな出会いがあり、いろんな人に助けられています。



2002-020-3.jpg





どうして一人でわざわざアラスカなんかに行かなきゃいけないの、と思う人はたくさんいるでしょう。父さん、母さん、ばあちゃん、品川や長野のおばあちゃんや各方面に心配ばかりかけていることも分かってる。でもとりあえず、来ないほうがよかった、とは思わない。なんで一人でこんなことしているのか、応えはまだ出ないけど。このでっかい自然の中で、一人でもう少し考えてみようと思います。(デナリ・サンクチュアリ・リバーキャンプ場にて)

2002年5月 いくチャンのアラスカ・FAX報告(5) デナリ国立公園

2002-ikutitle-5.png

(書いた日:May/26/2002)

2002-021-2.jpg風邪もひかず、ケガもせず、クマにも会わず(←ちょと残念)、無事にデナリから出てきました。ではいってみましょう。

◇デナリ本番編◇
デナリのパーク・サービス自体も、25日のシャトル運行開始に合わせ24日あたりから急に活気づいたよう。

13日目:5/25(土)今日のメイン Hiking of Mt.ヒーリ?・トレイル
今日もまたHostのベッキーとでっかい犬に見送られてビジターセンターへ。いよいよ今日からCamp。デナリ本番なのだ。キャンプ場のCheck Inは11:00からなので、足ならしにホースショー・レイク・トレイルを歩いてみる。今日も暑い。ライリークリーク・ループ・バス(←タダなので使えるが、時間がアバウト)でモリノ・キャンプ場へ。設営後、Healy山へハイキングへ。けっこうガンガン登り、稜線に出るまでが暑くてしんどかったが、登ってみれば風もあり、大満足だった。登った!!という感じも充分。この日はシャワーもあび、夜はキャンプ場で会ったSくんというサイクリストとしゃべる。(北極地リス、カリブーに会った)2002-030-2.jpg


14日目:5/26(日)シャトル・バスで公園内部へ...
早起きして、予定通り8:00出発のシャトルに乗る。飲料水を3Lほど持った。
とりあえずバスでトクラットまで約3時間。途中、ライチョウ、山の上のドールシープを見る。同じバスに日本人女性とアメリカ人男性のご夫婦が乗っており、おばあちゃんがいろいろ話しかけてくれた。そのままバスでサンクチュアリ・リバー・キャンプ場へ。こじんまりとした静かなサイト。この日も暑かったので、少し涼しくなってから近くのツンドラ帯へHikingへ行く。が、しかし、やはりオフトレイルは難しい!!手ごわいブッシュにサングラスを落としてしまった。

2002-031-1.jpg

15日目:5/27(月)Mt.WrightへのDay Hiking
さあ、メイン・イベント!オフトレイル・ハイキングに挑戦!出発前にちょうどよくレンジャーに会い、アドバイスをもらえる。初めはトレースがあったがすぐなくなり、とにかく樹林を抜けるまでは大変だった。視界がきかないのは本当に恐い。でも上部へ抜けたらすごい!花が咲いているし、景色はいいし・・・。どう多めに見積もっても、この日はMt.Wrightの山頂部に登ったのは私だけだった。ドールシープと一緒にお茶するなんて、登った人だけの特権。読図をならっておいてよかった!!今の自分の力を過信もせず、卑下もせず、これが私の精一杯だった。良い経験・自信になったと思う。ライチョウ、ムース(馬みたい)にも会う。さすがにフィルムが減る・・・。

2002-032-1.jpg



16日目:5/28(火)サンクチュアリ・リバー散策
テントを撤収してから、サンクチュアリ・リバー上流域へ。トレイル(登山道)というよりトレース(踏み跡)をたどり、途中からまたオフトレイル。2?3時間のHikingの後、13:50のバスでビジターセンターへ戻る。
早くシャワーをあびておいしいものを食べたいような、まだまだこの原野の中にいたいような複雑な気持ち。19:00からビジターセンターでレンジャー・プログラム(デナリの動物やネイティブのアサバスカン族について)に参加する。



2002年5月 いくチャンのアラスカ・FAX報告(6) デナリ国立公園

2002-ikutitle-6.png

(書いた日:May/31/2002)

2002-033-3.jpg結局タルキートナではFAXできず・・・(街の食品店でできるって聞いたけど、長距離はナント$9!!)アンカレッジに戻ってきてしまいました。もう帰ってからでも同じ?まあいいや。

Topic 1 アラスカ鉄道に乗ったのだ!!


17日目:5/29(水)ほとんど曜日の感覚はナイ
27日が祝日(戦没将兵追悼記念日)なのも知らなかった。
いよいよデナリを出る日。午前中、1時間ほどエントランスエリアのトレイル(整備された)を歩く。11:30ごろになると、どこにこんなに人がいたの・・・というくらい、だれもいなかった駅に人が集まってくる。12:00出発予定の電車は12:30ごろようやく到着。アラスカ鉄道自体の客車は4両ほどで、しかもガラガラ。ようするに人が入っているのはツアー車両だけなのだ。まだ料金も安い(プレシーズン料金)だしね。外国の列車に乗るのは初めて!!シートは超リクライニングだし、展望車は貸切りだし、楽しかった。あいにく天気はよくなかったけど、それでも迫力の大自然。途中、白頭ワシを見た。今日はタルキートナで途中下車。宿泊のラティテュード62°ロッジでは何と!!植村直己が泊まったという部屋にしてくれた!!


2002-034-1.jpgTopic 2 タルキートナに寄り道・・・そして旅が終わる・・・。

18日目:5/30(木)タルキートナ
タルキートナはMt.マッキンリーへのゲートタウン。(私はずっと、デナリN.Pはタルキートナと思っていた)
街自体はほんとに小さく、遊覧飛行やサファリツアーに参加しなければすることがないほど・・・。もちろんそんなお金(だって高いのだ!!)はなく、のんびりGift Shopめぐりをしたり、博物館をのぞいたりする。ここはNPSのビジター・センターもあり、なぜか日本の「岩と雪」という古いクライミング雑誌がそろっていたり、レンジャー・プログラム(登山についてだったので、英語がわからなくても興味深かった)を受けたりできた。またマッキンリーを目指す日本人学生の男の子たちにも会った。ほかにもクライマーぽい感じの人がけっこういたり、私もミレーのジャケットを着て歩いていたら、お店で「君もクライマーか?」と聞かれたりする。
6:30ごろ、シャトル・バンでタルキートナを出発。より道は終わり。いよいよアンカレッジに戻るのだ。

2002-035-1.jpg

19日目:5/31(金)最後の1日だ
このスピナード・ホステルは$5追加すれば夜までパブリック・スペースを使えるので、これから荷物を一度まとめて、のんびり街へ行ってこようと思う。そうそうおじちゃんにアラスカン・アンバーも買わなきゃね・・・。(21才以下はアルコールを買えないので、パスポートを見せろって言われるか...楽しみ)気が付けばも20日近く旅をしている。私はこのアラスカで何を捨てて、何を見つけたんだろう。
とにかく今日が最後の1日なのだ...。
(アンカレッジ・スピナード・ホステルにて記)

2003年8月 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2)に寄せて

*** ゆうこの夏休み ***
日程 都市 時間 FL イベント 結果 宿泊
8月3日 東京(成田)
シアトル
シアトル
15:20
8:10
13:30
NW008 往復で宮部みゆき10冊読破予定!

シアトルマリナーズ観戦。イチロー応援

イチローのタイムリーヒットで逆転勝利! シアトル
8月4日 シアトル
ピーターズバーグ
7:40
10:58
午後
AS65 (ケチカン、ランゲル経由)

ル・コンテ氷河ボートツアー(4H)

晴れ。グレーシャー・ブルーがきれいだ。 ピーターズバーグ
8月5日
ピーターズバーグ
ランゲル

17:59
18:20

AS064
ホエール・ウォッチング・ツアー(6H) 鯨さんたちとイルカさんたちに遊んでもらいました。 ランゲル
8月6日
ランゲル
ケチカン

18:51
19:21

AS064
trail ランゲル散策&Mt Deweyトレイル ケチカン
8月7日
ケチカン
シアトル

20:01
22:48

AS64
トーテムポール公園など散策。写真撮影 トーテム公園×3、ミスティフィヨルド国定公園のフライトシーイング。楽しかった。けど疲れた。ちょっとよくばりすぎたかも。 シアトル
8月8日 シアトル 14:10 NW007 帰国へ 4時間前に空港着。じっくりゆっくりのチェックにも耐えられました。
8月9日 東京(成田) 16:45 NW007 東京到着

2003年 8/3 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2):成田 → シアトル

2003080301.jpg13:10発のノースウエストでシアトルへ。ノースウエストは久しぶり。AAが同時多発テロ後、路線を廃止してしまったために、ユナイテッドとノースウエストの2路線だけになった。満席。
定刻にシアトル着。曇り、気温摂氏13度。
ホテルにトランクを預けてから早速セーフコフィールドへ。13:00開始だがセンター入り口のみ3時間前にOPENするので、練習を見られる!と思って、眠れなかった重いからだをひきずっていく。インターネットで予約したチケットを受け取る窓口will callが11:00OPENなので、仕方なくマリナーズショップをのぞいたりぶらぶら。


ここの球場は2年ぶりだが、イチローファンの多さにおどろく。2年前はマルチネスやブーンのTシャツをけっこう見たが、今はイチロー一色という感じ。特に女性と子供はほとんどだ。すごいなぁ。
チケットを受け取ったらすぐに球場へ。バックネット裏に行き、様子を見る。選手の子供たちのゲームに選手がピッチャーで参加しているらしいのをやっていた。長谷川がなげていた。
眠くて座ると睡魔が襲ってくる。8時間のフライト、ほとんどねむれなかったんだもの。始まるまではあちこちうろうろして寝ないようにする。
試合はイチローのタイムリーで逆転。その後追加点があり、マリナーズの勝ち。やっぱり現場は違う。声援、歓声、ウェーブなどなどまわりの人たちと一緒に盛り上がりました。楽しいゲームだった。
試合後、ダウンタウンまで歩き、マーケットなどをみてから夕食。タクシーでホテルへ戻り、明日の準備をして休む。
長い1日でした。

機内食:1.鶏のテリヤキ、2.やきそば
昼食:球場で寿司「イチロール」(ごはんに芯がありまずかった)、サーモンサンドなど
夜食:ダウンタウンのレストラン「KELLS」であさり、えび、かになど。Very Good

2003年 8/4 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2):シアトル → ピーターズバーグ

2003080401.jpg昨夜は爆睡。入浴後ベットの上に横になった瞬間寝ていた。夜11:30頃目が醒める。あんまりにもぐっすり寝たので1日以上寝てしまったのでは?とテレビをつけたりして日付を確認してしまった。
7:40のフライトだがセキュリティに時間がかかる、と聞いていたので6:00に空港へ。航空会社のカウンターも夏休みのせいか混んでいたが、それよりもなによりも手荷物検査ではびっくり。いけどもいけども列の最後がわからない。100メートルくらいはあっただろうか。列の流れは速い(通過まで30分くらい)がそれにしてもすごい人だ。
飛行機は予定通り11時前にピーターズバーグ着。ホテルに電話をして迎えにきてもらう。


2003080402.jpgここは漁業を中心とした小さな町。人がたくさんいたお店で昼食を買ってクルーズ会社へ。予約は1時。今日はル・コンテ氷河のクルーズだ。
船長はロン。客は私たちとスーとロイの夫婦。6人乗りのジェットボートで行く。
私は酔い止めバンドをして着くまでは寝てしまう。夫の「お?!」という声に目覚めて見ると、氷河の大きな塊が流れており、グレイシャーブルーがきれいだ。氷河から崩れ落ちた塊がだんだん増えていく中、ジェットボートはゴンゴンぶつかりながら、とてもゆっくりと進む。途中、まわりは氷河だらけになったが、砕氷船のようにぐいぐい進む。


南東アラスカは雨が多く「1年に400日雨が降る」といわれているところだが、途中からお日様が顔を出し、氷河に反射してきれいだ。
ロンがいろいろ説明してくれるが、エンジンの音と私たちの聞き取り能力の問題で、よくわからない。氷河に到着し、入れてくれたホットココアとブルーベリーマフィンがおいしかった。
桟橋に戻り、ホテルに荷物を降ろし、町の散策&夕食に出かける。すぐ町外れに。レストランがみあたらない。。。ホテルに戻って聞く。どうやら1軒しかない模様だったが、"Northen Lights"という名前が、うれしい...。

朝食:機内食 ホットサンドイッチ
昼食:おひょうのホットサンドイッチ、シュリンプバスケット
夜食:レストラン「Northen Lights」でクアムチャウダー、おひょうのフライ、スパゲッティ

2003年 8/5 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2):ピーターズバーグ → ランゲル

2003080501.jpg昨夜、お腹が痛くなり、お風呂で温まってからホカロンをお腹に貼って寝た。朝になったらなおっていてホッ。昨夜のオニオンリングの油にあたったのかなぁ。それにしても最近お腹がヤワだ。ビールには殺菌効果もあるとか。飲める人がうらやましい。
ホテルの簡単な朝食後、ホエールウォッチングへ。9時に港を出発後、もう一人いるから、と港に戻り、結局10時出発。今日の客は3名。もうひとりの彼女はマンチェスターから3ヶ月、アメリカ観光にきているそうだ。いいなぁ。


2003080502.jpgポイントにつくまでうつらうつらしていると夫が「あ、パフィンだ、パフィン!」の声。目をあけたときには既に通り過ぎていました。10羽ほどじたばたと飛んでいたそうです。さらにいるかをみたりしているうちに、小島の先にくじらが潮を吹いているのをまたまた夫が発見。ここで1時間くらいウォッチ。ボートはエンジンをきってじっとみているのですが、いつのまにかどんどんながされるとまた近くによせてくれます。2頭以上いたと思うのですが、確かな数は不明。シューシューと高くふきあげていました。


次のポイントへ移動。時計をみると1時半。サンドイッチにかぶりつきながら、目は水面に。とつぜんイルカが数頭、ボートのすぐ横を泳いでいきました。でっかい!今日の目的地についてしばらくじっとしていても鯨の影は無く、移動。少しいったところの島に鯨が居る、とロンがいうが私たち3人にはまったくわからず???状態。え?、どこ?と言っていたら突然「しゅー」という潮を吹き上げる音。直後にでっかいくじらが姿を現しました。ここでしばらく見てから、私たちの飛行機の時間もあるからと帰りだしたら、また別の鯨。こちらは2頭で会話しているように交互に潮を吹き上げ姿を見せるのでカメラマンは大変。どっちを見たらいいのか。。。

2003080503.jpg「よかったねぇ?」とかえりだし、ロンはすごいスピードでとばしていたら、今度はイルカ。10頭以上が船の周りをぐるぐるとびはねている。2?3頭づつがつぎつぎにぴょんぴょんと周りをはねるんで、これもカメラマンはきょろきょろ。飛び出してからシャッターを切るのでは遅いのだ。私たちに興味があったのか、しばらくぴょんぴょんしてから、離れていった。かわいい?!!!キャプテンのロンは、カメラを持った夫とマンチェスターの彼女に、「きっと飛沫だけが写ってるぜ」といって笑っていた。
この後、飛行機30分でランゲル着。ホテルとなりのビジターセンターで明日のアクティビティを調べてもらうが事前に旅行社を通して聞いた通り、いっぱいとのこと。まあ、大分疲れたので明日はのんびりすることとする。夕焼けがきれい。こりゃ、明日も晴れだ

朝食:マフィン、ジュース、コーヒー
昼食:私=ベーぐルサンド(ターキー)夫=ローストビーフホットサンドイッチ
夜食:私=サラダ、オニオングラタン、夫=NYステーキのレギュラーサイズ(我が家で作る2人分よりでかい)

2003年 8/6 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2):ランゲル→ケチカン

2003080601.jpg昨夜遅くに、やっとネットワーク接続に成功。接続には毎回苦労しているようだ。
旅行中は夫は相変わらず早起き。朝の散歩から帰った音で私は目が覚めた。普段はなかなか起きないのに。。。
今日は1日フリー。ビジターセンターにあるアクテビティの空き状況をみても午後出発の7時間コースくらい。今夜ケチカンへ移動する我々が参加できるものは無い。
朝食後、徒歩15分のビーチへ。ペトログリフという絵文字が海岸にあるというので見に行く。途中からどこかのでかい犬がついてきた。というより我々をガイドしてくれているかのように先にたって歩く。(ちなみに私は犬がきらい=怖いのです)で、おかげ(?)で迷うことなく到着。
絵文字はナスカの地上絵のように厳しい線の幾何学模様中心。保存状態がよいものを観光用に飾ってあるが、海岸に無造作におきっぱなしになっているものもあり、ちょっとしたお宝さがしのようで楽しい。こんな堅い石にどうやって書いたのだろうか。

2003080602.jpgホテルに戻りチェックアウトしてからチーフシェイクス島へ行く。トライバルハウスというクリンギット族の住居後を復元した建物を見る。
昼食後はトレイル。Mt.DEWEYという「裏山」に登ったり、ボランティア・トレイルを少し歩いたりする。空は快晴。木々を吹き抜ける風が気持ちよい。遠くの雪を頂いた山々が青空に映えてきれいだ。日差しも強く、ここがアラスカとは思えないような天気。会う人毎に「よい天気ね」「あなたがたはハッピィよ」とのあいさつ。黙って通り過ぎる人はまずいないフレンドリーな町だ。
強い日差しに二人とも顔も腕も真っ赤にして空港へ。疲れた。今度はもっとゆっくりしたい町だ。

朝食:マフィンにソーセージorベーコンとエッグサンド
昼食:トマトとサラミのピザ、トマトスープ
夕食:あさりの酒蒸し、タラバ、牡蠣

2003年 8/7 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2):ケチカン → シアトル

2003080701.jpg昨夜ホテルについたのが20時過ぎ。チェックイン後、電話をして明日のトーテムバイトツアーの予約がとれたのが21時近く。お腹がすいた?。
で、明日朝8時にダウンタウンのクルーショップへこい、とのことなので、7:45にタクシーを呼んでもらっており、あわただしく出発。行ってみてわかったのですがクルーショップではなく大型豪華客船のとまっているドックにこい、とのことでした。巨大な船の前に観光バスがずらり。業者もいっぱい。私が頼んだのはどれ???と聞いてみるが「そのバスは7:30に出た」とか「そんな会社はない」との返事。ええ???、早起きしてきたのに。ビジターセンターで9:00に別のバスがあるといわれしかたなくそれを予約し、よくよくみると別の公園行き。さらに変更してもらったら10:00出発とのこと。ちょっと凹む。。。でも皆さん、とっても親切でした。

2003080702.jpg時間まで近くの川(ケチカンクリーク)を見る。遡上する鮭が群れをなしている。結構な急流なのにのぼっていく鮭におもわず「頑張れ!」と応援。
10時にやっと出発。現地まで約30分。空は澄み、公園の緑、海の青、ちょっぴりある真っ白な雲。それからトーテムポール。ひっそりとした、佇まいでいい感じのところでした。クランハウスもなかなかです。
ダウンタウンに戻り、午後からフライトシーイングを頼む。13:30からとのこと。私は小型飛行機に弱いので昼食はフライト後にすることにして再度川へ。なんとあんなにいた鮭の数が激減。鮭が移動する時間って決まっているんですね。

ミスティ・フィヨルド国定公園へフライトシーイング。予想よりず???っと楽しかったです。切り立ったがけや氷河をみたり、途中の高地の池に降りて写真撮影。大迫力でした。あきらめないでいけるかどうか聞いてみてよかった?。私は両手に酔い止めバンド。途中、ツボを押しながら下を見ている。ちょっとあぶないか、という時のフォトストップ。途中マウンテンゴートが見えたり、イーグルが見えました。(一部私はみていません、ぐすん) 2003080703.jpg

この後、シティパークまで送ってもらい、トーテム遺産センターを見る。ここにはかつて人々の生活の中にあったトーテムポールを保存。その風化した色と表情に、今まで見てきたカラフルなものと、その持っている重さの違いの大きさに、胸にずしんと感じました。やはりレプリカと本物は違います。
忙しかったケチカン観光も終了。あせったけれど、充実した1日でした。今度はもっとゆっくりしたい。
空港へはフェリーシャトルで渡り、いつもの長い綿密なチェック。ピーターズバーグ、ランゲルと見てきた私にはケチカンはとっても大きな空港にでした。

朝食:ホテルのサービスのジュースとペストリー
昼食:(というかこの後食べたのが)Subwayのハム、たまごサンドイッチ
夕食:(というか遅い昼食と早い夕食を兼ねて)レストランアナベルで;カキフライ、あさりの酒蒸し、スモークサーモンのスープ


2003年 8/8-9 Wild-Life:アラスカ・南東海岸への旅(Part2):シアトル → 成田

8/8

ゆっくり起床。昨夜は空港着23時頃。24時前にはホテルの部屋に入ることができた。空港近くのホテルにしてよかった!
私は疲れているのと明日は帰らなくちゃいけないというつまらなさから何となくいらいら。さっさと寝てしまう。夫はネットワーク接続にひとりであれこれやっていた。
すっきり起床。きのうまで私よりかなり早く起き、散歩まで行っていた夫はぴくりともしない。天気予報を見ると台風が高知に接近しているもよう。飛行機、大丈夫かな。8/10は東京湾花火でうちのマンションは屋上で住民みんなで納涼会なんだけど。
朝食後かなり早いが空港へ。外はさわやか。シアトルも週末は雨だそうだ。ノースウエストのカウンターは大行列。混雑状況を取材しているらしいテレビカメラまできていた。ペーパーチケットに比べ、Eチケットの列は短く「日本からもEチケットが買えるといいね」と話しながら待つ。40分以上待ってやっと私たちの番になったら係員から「これはEチケットだ」といわれがっくり。さんざん並んだのに。思い込みはいけませんね。ところで飛行機はオーバーブッキングで席がないのでボランティアで明日帰らないか、と言われる。「え??!!」という私たちに係りお姉さんはにっこりして「Everyday」。プラス500ドルのお小遣い。絶対帰る、と頑張る。週末便のために5千円プラスで払っているのだし、延泊するならアラスカでなくっちゃ。それに今日のマリナーズの試合はアウェイなのでシアトルに泊まる意味はなにもないもの。で、くれた席が62Bと62J。もうちょっと遅く空港に着たらどうなっていたんだろ。。。
でお決まりの綿密な手荷物検査。夫の大量なフィルムをひとつひとつハンドチェック。搭乗口までの地下鉄4本分待ちました。長い。

朝食:卵、ベーコンとフルーツ
機内食1:ビーフ照り焼き風味、スモークサーモン
機内食2:チャーハンor卵とソーセージ

8/9

飛行機は満席。まわりに日本人はほとんどいない。空港にはけっこういたように思ったのですが。。。
うしろの座席ではbabyがずっと泣き叫んでいました。私たちは持参のノイズキャンセラー付きヘッドフォンを着用しひたすら読書。外はずっと雲ばかりで、アラスカの大地はまったく望めませんでした。
東京が近づくと雨雲になり、着陸前の約30分間、飛行機はけっこうゆれましたが、ランディングはなめらかでとっても上手な機長さんだったようです。入国審査後の税関で「申告するものはありませんか」ときかれたついでに「台風は?」と聞くと「今頃は新潟辺りですよ」の返事。ほっ。
今回は急に思い立っての旅行。事前準備の不足もありましたが、アラスカの懐の大きさと、人々のやさしさのおかげで楽しい旅行をすることができました。あちこちでもらってきたパンフレットやシティガイドブックをみながら、次回はあれをしよう、これもしようと楽しく話しながら帰ってきました。


さて、明日はウチの近くの温泉に行こうっと。

2012年 ゴマちゃんに会いに

title-image2012.JPG永年の希望だったゴマちゃんとの出会い。
昨年はエントリーするものの、流氷の状況が悪く催行が中止となってしまった。
そして今年。
3月2日の出発日の1週間前でようやく催行決定の知らせが届いた。
よかった。これで会いに行ける(^^)v



今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2012.03.02 成田→トロント→モントリオール 移動 マリオット・ホテル
2012.03.03 モントリオール→ケベック→ガスペ→マドレーヌ島 移動 ホテル・マデリノ
2012.03.04 マドレーヌ島 ゴマちゃんツアー ホテル・マデリノ
2012.03.05 マドレーヌ島 ゴマちゃんツアー ホテル・マデリノ
2012.03.06 マドレーヌ島 ゴマちゃんツアー ホテル・マデリノ
2012.03.07 マドレーヌ島→モントリオール→カルガリー→イエローナイフ 移動日 エノダ・ワイルダネス・ロッジ

2012年 03/02 ゴマちゃんに会いに:成田→モントリオール

2012年3月2日(金)雨

横浜は朝はくもっていたが、10時頃から雨が降り始め、家を出るお昼前には本降りに。そのためかタクシーがいつもより時間がかかった。
とはいえ、電車もバスも順調。成田空港行きのバスはすいていた。春休みにはまだ早いし、というところか。

でも飛行機は私の周りは満席。一番後ろまで見に行ったわけではないけれど、赤ちゃんから若者、お年寄りまで万辺なく居た。おそろいのジャージの高校生のグループもいた。

20120302-0001.JPGト ロントまで11時間半。長いけど、食事後、横になったらすぐに寝た。ん、起こすのは誰?と目を無理無理あけると、隣の夫。窓側席でオーロラが見えるよ、と コンデジで写した写真を見せてくれる。窓の外を見るが、遠くにかすかにそれらしき光。でもこれくらいなら起こさないでほしかった。。。
ね、っとしっかり目覚めた目で夫は得意そうな顔。はい、もう1勝っていいたいのね。おやすみ。

私 たちは初トロント。バンクーバー空港は遠くにカナディアンロッキーの山々が見えるが、ここは大都会。山はまったくなし。入国審査、税関検査後、国内線への 乗り継ぎ。トロントは大きな空港だ。表示に沿ってセッセと歩き、再度手荷物検査を受ける。さっき電光掲示板で見たD24に行くと、あれ?便名と時間が違 う。再度電光掲示板で確認。D33になっている。あわてて移動。これがまた遠い。やっと着き、搭乗手続き後、座席に座って、ほっ。機内放送はここはフラン ス語が先。次に英語。どちらもものすごく速い。まあいいや。乗っていれば連れて行ってくれる、と思ったら、まわりがみんな立ちあがって手荷物を下ろし、降 りる様子。まだ飛んでいないのに?!夫が乗務員に確認したら「エアクラフト チェンジ」。今度はD41に行ってひたすら待つ。17時発が18時に変更。機内への案内開始が18時過ぎ。結局1時間半遅れで、モントリオールに着いた。 トロントから1時間なのにここは雪景色だ。

モントリオール空港は首都の割にはこじんまりな感じがしたが、一部しか知らないからなんともいえない。今夜は空港内のホテル。20時近くになってからのチェックイン。歩いて行けるところでよかった。
ホテルは空港内とは思えないほどきれいだし、音も思ったより静か。シャワーをあびて横になる。長い1日だった。

機内食1:和食(おそば、酢の物など前菜、すき焼き風煮物、ご飯と味噌汁、香の物)、フルーツ、アイスクリーム
機内食2:おかゆ(卵焼き、たらこ、塩鮭など)、フルーツ
機内食3:スナック(クラッカー2種、チーズ3種類、フルーツに野菜)

2012年 03/03 ゴマちゃんに会いに:モントリオール→マドレーヌ島

2012年3月3日(土)くもり

20120302-0002.JPG夜中に何度も目が覚める。日本との時差14時間。身体がついてきていない。外を見ると横殴りの雪。こちらは寒い国だから、雪には慣れているとは思うけど、明日時間通りに飛んでほしい、と心配。
初めてオーロラを見に行った時も大雪でシアトルで足止め。でもすばらしいオーロラに出会えた。スムーズに着いて素晴らしいのに出会いたいけどなぁ。

ホテルをチェックアウトし、エレベータを降りたら出発ロビー。こりゃあ楽だ。自動チェックインをし、荷物を預け、レストランで朝食をとり出発ロビーへ。
今日は飛行機は1機にしか乗らないが、途中ケベックとガスペを経由していく。つまり各駅停車。プロペラ機でしかもすごく揺れた。アラスカでもカナダでも小さい飛行機は何度も乗っているが、今日のは定員40名。乗務員のお姉さん、早口でよくしゃべる。

マ ドレーヌ島には時間通り14時着。ホテルからお迎え。日本語を話すまゆみさんが待っていてくれた。ホテルまでは車で10分ほど。一面雪の中、ぽつぽつとか わいいおうちが建っている。横浜のうちの近所に最近スゥェーデン・ハウスが建ったが、あの感じ。こういうところだと映えるね。

20120303-0002.JPGホテル着。とってもかわいいホテルだ。チェックイン後、簡単な説明。ハープシール・ウォッチングは日に3回ヘリコプターで飛ぶが、今日の3回目は悪天候で飛べなかったとのこと。今日到着組は明日は最優先で乗ることができる。どうか飛びますように。
ここのシステムは到着翌日に飛び、その後はエントリーして、空きがあればいける、というもの。行けかないとすることないよねぇ。オーロラと同じ、かなりリスキーなツアー。ラグナーに言わせるとこれもギャンブルだろうね。
ホテル内で出会う人は日本人もそうでない人も、みんなすごいカメラをかかえている。世界中のカメラマンや愛好家が集まっているのでしょう。

3時からの町のスーパーに行く車にのせてもらい、ビールやジュースなどを調達。帰ってからホテルの周りを写真を撮ろう、と表にでたが、強風。くじけてじきに戻る。部屋に入ったらもうぜんと眠くなり、横になったらぐっすり。

7時前に起きて、夕食。メニューが全部フランス語か英語。適当に頼んだが、日本のファーストフードのように写真付きだったらいいのになぁ。あれってユニバーサルデザインだよね、と話しながら食べた。

明日は朝7時のフライト。45分前には講習ともし氷河から海に落ちても浮くという、ムスタングスーツを着るなどの準備がある。その前にご飯も食べなくちゃあだし、と準備をして早々に寝る。なんかだるい。

朝食: ジュース、トースト、スクランブルエッグとハムとポテトとフルーツ
昼食: スーパーのサンドイッチ、ジュース
夕食: スープ、グリーンサラダ、サーモンのベーグルとロブスターのパニーニ

2012年 3/4 ゴマちゃんに会いに:マドレーヌ島

2012年3月4日(日)晴れ のち くもり

昨夜は雨が窓ガラスをたたいていたので、今日の天気を心配して寝たが、目が覚めてみると、うっすら朝焼け。時差ぼけのために夜中から明け方まで、何度も目が覚め、5時半朝食、6:15に集合。

20120304-01.jpgム スタングスーツ(防寒のためと海に落ちた時に浮く)とブーツを借り、あざらしウォッチング・マナーのビデオを見て、準備完了。みんなでいそいそとホテル裏 のヘリポートへ。朝日が海のむこうから顔を出し、まわりでシャッター音が響く。いよいよだ。3機のヘリコプターに別れ、スタッフの指示で乗りこみ、シート ベルトをセット。ヘリのハネがまわりはじめた。わくわく。と、突然回転数がぐんと落ちた。

え?。少ししたら、降りるよう指示。
ええっ?!他の2機は飛んで行ったのに、私たちには数分待つように言われ、更に修理に30分ほどかかるので、建物内で待つように言われる。
えええっ?私たちだけ行けないの?
その後、通信系の障害で、3機で連絡を取り合うので飛べない、この時間はキャンセルで、私たちは午後2時のフライトに変更、とのこと。
ええええっ?!ここまで来ていけないなんて。。。
島内観光の車を出すのでどうぞ、とのこと。部屋で午後までじっとしている気分にはなれず、日本人4人、東京のKNさん、茨城のKBさんと参加することに。仕方がないけど、こんなにお天気がいいのに、ひどいよね、とぶつぶつ。

20120304-08.jpgマドレーヌ島は6つの島からなっており、今日は中央部の観光。8時半から11時半まで。ガイドのデーミアンが丁寧に説明。但し、フランス語圏の人の英語。昔は冬はマイナス20度くらいまで下がったそうだが、今日はマイナス2度。温暖化の影響が出ているようです。
町 の中はカラフルなおうち、主要産業のロブスター漁の船やトラップ、教会は舟のかたちをしていたり、とそれはそれで楽しめました。凍った海の上に点々と小さ い小屋は穴釣り用。途中のチーズ工場でコーヒーを頼むと、レシピをみながら丁寧に入れてくれた。本当にのんびりした町なのね。

ホテルに戻り、昼食。朝行った人たちはみんな陽に焼けた顔をしている。いっぱい居たそうだ。いいなぁ。
1時半に今朝借りたムスタングスーツとブーツを着用し、スタンバイOK。空には雲が広がっているも、明るい。スタッフは2時のフライトも大丈夫、との返事。
予定の時間を30分ほど過ぎてヘリが戻ってきた。TV朝日のクルーが一緒だったので、時間がかかったのかな。他に海からNHKも来ているそうです。
で、私たちも30分遅れで出発。私たちが乗ったヘリは朝行けなかった日本人4人と陽気なミッチとルース夫婦の6人。今度はちゃんと飛び上がった。
GPSの軌跡を見ると、ホテルから南西方向の流氷の上のようだ。

20120304-0010.jpg島周辺の海の流氷はかなり薄く、途切れ途切れだし、海が透けて見えるのばかり。でも、凍結の模様がモザイクのようでなかなかきれい。
そ の氷の色がだんだん濃くなった頃、氷の上に点々を細長いゴマのようなものが見えてきた。ルースが「seal!」と指をさす。うわあ、すごい量。あっちにも こっちにもどっさり。だんだん近づくと、ゴマのとなりにしろくてちいさいのがうごめいている。赤ちゃんだ。黒1つに白ひとつ。雪の上には胎盤らしきものが ところどころ見えている。いずれ鳥が全部始末してくれるらしい。
こんなにいっぱいいて、ヘリはどこに降りるんだろう、アザラシを踏みつぶさないか、と余計な心配をしていたが、そこはプロ。3機とも無事到着した。

20120304-02.jpg降りたら、そこはアザラシのコロニー。いるいる、いるいる。防寒靴にアイゼンをつけ、ストックを持っていざ出発。ストックで氷の薄いところかどうか確認しながら歩く。
ガイドが1匹の赤ちゃんのそばに。ルースが上手に近寄り、並んで写真を撮っている。私も、と他の赤ちゃんに近づくが、人間を見るとキュウキュウ泣きながら逃げて行く。結構早い。親は穴の中に飛び込むが、親を驚かせないようにしなくてはいけない。
しっかし。かわいいなぁ。ルースが静かにさせた赤ちゃんと私たちも写真を撮らせてもらう。うーん、かわいい!
ご まちゃんあれこれをよく見てみると、器量も性格もいろいろだということがわかる。近寄っても鼻の穴をふぅと膨らませるだけの子、ガォと歯をむく子、身体を 触らせてもらってもじっと我慢している子。毛の色が生まれたての黄色の子、白が少し出てきている子、完全に真っ白な子。もうかわいい!!!

20120304-07.jpgと夢中になって2時間。あっという間でした。雲の切れ間に夕焼けで薄赤くなってきて、ごま子ちゃん、ごま夫ちゃんたちも寝てしまう子がちらほらし出した頃、集合のホイッスル。楽しかったぁ。

帰りのヘリでは少しとろとろ。今日は1日が長かった。マドレーヌ島独特の赤茶色のがけに雪がかぶり、食べかけのチョコレートケーキみたいなのが見えてくるまでに約20分。17時半着。大満足でした。

部屋に戻って水着に着替え、ホテルのジャグジーに。肩までたっぷりつかって暖まり、動き回って汗びっしょりの身体も頭もさっぱり洗った。大量の洗濯物はコインランドリーで洗う。でっかい洗濯機が1回1ドル。
このホテル、お部屋も広いし設備も充実。超快適。

朝食: 目玉焼き、ベーコン、ポテト、トースト、フルーツ
昼食: ハンバーガー、グリーンサラダ、ポテト 
夕食: トマトクリームスープ、パン、ロブスターや貝などが入ったパイ包み焼き

2012年 3/5 ゴマちゃんに会いに:マドレーヌ島は風雪で待機

2012年3月5日(月)雪

早朝、起きて外を見る。まだ真っ暗。でも雪が降っている。夫がフロントに今朝7時のヘリは飛ぶのか、聞きに 行ってくれるが、まだ未定とのこと。それならいつでも出られるように、と準備。6時にレストランで食事をしていたらまゆみさんが1時間様子を見る、と言い に来てくれた。

20120305-0002.jpg食後部屋でまったり。外は明るくなったが大粒の雪がしっかり降っている。今日のヘリは朝7時のみなので、少々遅れてもアザラシが居るあたりが晴れていれば飛ぶから、とのこと。

振 り返ってみれば、日本から延々2日がかりで来て、きのうは早朝から長い1日だった。いつもと違う筋肉を使ったせいか身体もあちこち痛い。ゆっくり休めるの はうれしくもあるが、待っているだけ、というのも辛く、二人で交代でロビーに行き、情報収集。「今日は無理そうなので8時半の島の東部観光に行ったらどう ですか」とも勧められたが、この大雪の中、寒いだけ、と部屋でまったり。

お昼前までゴロゴロ。身体が痛いのは治らないので、それならと二人で太極拳を行う。身体のすみずみまで伸ばして気持ちがよかった。その後、私は太極扇の練習。ノートの小さい画面を見ながらってむずかしい。
20120305-0001.JPG結局雪は降りやまず、今日はキャンセル。ぐすん。
仕 方がなく、昨日の写真を見て、反省会。すっかり舞い上がってしまったが、被写体のかわいさは腕にかかわりなくGood。かわいい!!!氷の上にいる白い動 物なので白に白。上手にピントがあって毛の1本1本もきれいに写っているのはやはりいいけど、何と言ってもごまちゃんの表情が一番だ。うーん、行きたい、 行きたい!
それから夫が旅行のwebサイトをUPしてくれた。

夕方、ジャグジーに入りさっぱり。夕食後、館内で実施されている小 原玲さんのスライドショーを見る。報道写真家から動物写真家に転身し、ここマドレーヌ島に20年通っているそうだ。その間、地球の温暖化をウォッチ。そう だよね、アラスカの氷河に何回か行っただけでも感じたもの、私。

明日は最終日。私たちは10時半のヘリにエントリーされている。どうか晴れますように。

朝食: クロワッサンサンド(ハム、チーズ、トマト)、ポテト、バナナ、ヨーグルト
昼食: カップめん、グレープフルーツ 
夕食: クリームスープ、スパゲッティミートソース
(夫はコンソメスープ、豚肉のりんごソースに温野菜添え、クランベリーケーキ)

2012年 3/6 ゴマちゃんに会いに:マドレーヌ島 ツアー2

2012年3月6日(火) くもり のち 小雪

明け方見た夢は八百屋さんで野菜をたくさん買っているところ。身体が野菜不足だと言っているのかな。レストランの食事だけでは野菜不足になるので、スーパーで果物を買って食べているけど、まだまだ足りないようだ。

今 朝はゆっくり起きればいいのに、やはり早く目が覚めた。一昨日の夜には二人とも目の下に隈ができていたが、昨日ののんびりのおかげで戻ったようだ。早朝の 飛行機で帰る人をお見送り、と思って5;30にロビーに行くも、今朝はだれもいなかった。アザラシ室の入口に貼り紙。「今日のアザラシ・ウォッチングはパ イロット判断により全て中止」って、これ昨日のことだよね?!

6時半すぎにはスタッフがヘリの周りをうろうろ。準備開始。よかった。空は どんよりだけど、今日は飛びそうだ。ヘリポートへの出入り口がホテルの2階でお部屋と同じフロア。ちかくに行くと、カメラマンの井村さんが様子を見ていた のでしばしおしゃべり。しばらく待っていたが、もう少し時間がかかりそうなので、4階のレストランに行き、朝食を食べながら、ヘリが無事飛び立つのを見 送った。よかった、今朝は3機とも飛んで行った。

私たちの出発時間10時半まで手持無沙汰。外ばかり見ている。あれ、小雪が舞っている。大丈夫かなぁ。でも空があかるくなってきた。と一喜一憂。
8時半に島西部の観光に行く人たちを見送ると、もうすることは何もなく、時間より早めにアザラシツアー準備室に行き、ムスタングスーツを着、ブーツを履いて待つ。
ほぼ時間通りにヘリは戻り、降りてきた人たちはみんなにこやか。いっぱいいたよ、楽しんできてね、と声をかけてもらう。
20120306-0003.JPG
指示されたヘリは最初に飛ばなかった機体。でも今日はちゃんと飛び上がった。行くまでにどきどきだ。どんよりした雲の中、25分飛んで今日の観測地着。一昨日に比べて、さらに南下したポイントで、アザラシの数も少し少なめか。
ヘリが着陸するまわりに居た親子が必死で逃げて行くのが見える。ごめんね。
ヘリから降りると強い風と雪。寒い。もういちどしっかり防寒を確認し、アイゼン(現地ではクランポンという)をセットしてもらっていざ出発。昨日今日の降雪のせいか、おとといよりも表面に雪がかぶっている。
20120306-0002.JPGま ず、近くにいる親子のところへ。キイキイ泣きながら逃げる子。カメラを首からはずし、横になっていざって近か寄る。あれぇ、今日の雪はべたべたの水分多 め。手袋もカメラもぐっしょりになってしまった。風が冷たいし雪も降っている。ガイドが寄ってきて穴が雪に覆われてわからなくなっているところがあるの で、必ずスティックで確認してから歩くようにあらためて注意があった。

20120306-0001.JPG数頭のごま子ちゃん、ごま夫ちゃんに遊んでもらった。しかし、風が強く寒い。はーい、と片手をあげていた子がねんねした頃、あと10分だよ、とガイドに声をかけられた。
ヘリから大分離れていたので、戻りながらパチリパチリ。
いやぁ、今日も楽しかった、寒かった。

帰 りは30分。ホテルに戻り、まずジャグジー。身体の芯から冷えたのでまずたっぷり暖まり、さっぱりしてから遅めの昼食。島名産のマッスル貝で乾杯。食事の 間に終わった洗濯物を干し、ちょっと横になったらぐっすり寝てしまった。夕方6時過ぎに目が覚め、外を見ると相変わらずの曇りだが、真上にお月さま。明日 は晴れだ。いいなぁ、明日行く人。


朝食: エッグベネディクト、ポテト、フルーツ、紅茶
昼食: アスパラガスのスープ、マッスル貝、サーモンのピザ、ケーキ
夕食: 今日のスープ、ロブスターのパニーニ、チキングリル、ケーキ

2012年 3/7 ゴマちゃんに会いに:イエローナイフへ

3/7(水)マドレーヌ島は小雪、モントリオール&カルガリーは晴れ、イエローナイフは晴れ

今日はエノダへの移動日。おととい大きな太陽フレアが出ているので、気持ちがはやり、よく眠れなかった。ただの時差ぼけかもしれないけど。

20120307-0001.JPG5 時半ロビー集合で、空港につれていってもらう。チェックイン後、レストランでもらったランチBOXを食べてから、手荷物検査。プロペラ飛行機は時間より早 めに飛んだ。日本人は私たちと茨城からきているKBさんの3人。ガスペ、ケベック経由でモントリオールへ。ケベックでは外に出て足を伸ばすことができた が、小さい飛行機で寒かった。

モントリオールでKBさんとお別れ。彼女は生まれて初めての海外旅行が一人旅のマドレーヌ島。すごいなぁ。
私たちはカルガリー便に乗り換え。予定では4時間待ちが、更にディレイでもう1時間20分後になるという。ラウンジの椅子でとろとろ。結局2時間遅れでカルガリーに着いた。
カルガリーからイエローナイフは3時間待ちの予定だったが、遅れのために1時間と短くなり、トイレに行ったりしていたらあっという間。待合室は急に日本人が増え、にぎやか。


ほぼ時間通りにイエローナイフ着。出てきたトランクから防寒着を出して着ていたら、ラグナーが迎えにきてくれた。今年は暖かい、とのこと。また、中国人の客が増えたそうだ。
乗用車から雪上車に乗り換え、ロッジ着12時。今日も長い1日だった。

20120307-0005.JPG荷物の整理をし、メインロッジに行ったら、昼間のアイスフィッシングの獲物のお刺身と、そのアラをつかったスープを出してくれた。香港のAさんが作ったそうだ。おいしい。野菜がたっぷり入っていてものすごく幸せな気分。

幸 せ、といえばPCでオーロラ関連データを見てびっくり。3/5にX1.4の大規模太陽フレアが発生し、わくわくしながらここまで来たが、更に3/7に X5.4というとほうもない太陽フレアが発生したとのこと。地元のテレビがカナダ中でオーロラが見える、と報道しているもよう。

が、外は晴れているけど、オーロラはまったくなし。まあるい月が煌々と光っている。

---
空には、金星と木星が明るく光り、月のそばの火星で5Dm2と60DのLiveViewを使ってFocus合わせをおこなう。うっ、コンタクトにしたので手元が見えない。ここは大胆に勘で合わせる。

2時頃に縦筋の弱いオーロラが出現。早速出動する。とはいえ、一年ぶりのオーロラ撮影。あれっ、ワイヤレスリモコンRC-6が動作しない...。ゴマちゃんとのツーショットに使っただけなのに!?。電池交換するも無反応。LEDもつかないし...
---(by Toshi)


朝食: ランチボックス(パン、マフィン、りんご、ジュース)
昼食: サラダ、スープ
夕食: サラダ、おひょうとごはん、アイスクリーム
夜食: ノーザンパイクの刺身、アラと白菜のスープ