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Russia

2007年8-9月 シベリア鉄道とバイカル湖の旅に寄せて

私の初めての海外旅行は33年前、シベリアの旅。ハバロフスク、イルクーツク、ブラーツクに行きました。母に海外旅行につれていくけどどこに行きたい?と聞いたところ「シベリア鉄道に乗りたい」とのこと。ロシアと国名の変わった街へ33年ぶりに行ってきました。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2007.8.31(金) 東京(とき323号)→ 新潟 → ハバロフスク  (移動) インツーリストホテル泊
2007.9.1(土) シベリア鉄道 -- シベリア鉄道 車中泊
2007.9.2(日) --- シベリア鉄道 --- シベリア鉄道 車中泊
2007.9.3(月) ---→ イルクーツク着 シベリア鉄道 ホテルイルクーツク泊
2007.9.4(火) イルクーツク 市内観光・民族舞踏鑑賞 ホテルイルクーツク泊
2007.9.5(水) イルクーツク郊外のリストビアンカへ バイカル湖のクルーズ バイカルホテル泊
2007.9.6(木) リストビアンカ → イルクーツク空港 → ハバロフスク (移動) ハバロフスク泊
2007.9.7(金) ヘフィツェル自然公園 → ハバロフスク空港
 → 新潟 → (MAXとき)東京
自然散策 帰国 自宅

2007年 8/31 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 東京 → ハバロフスク

070831.jpg東京駅12時集合だが早めに着き、食事をして時間調整。今回は阪急交通社の企画旅行に参加。12名とこじんまりしたグループです。
新潟空港までは30分しか乗らないのはもったいないような豪華バスで空港へ。搭乗手続きは手際が悪いのか人手不足なのか、とにかくものすご?く時間がかかりました。フライト時間は2時間10分とあっという間につき、新潟新幹線の2時間20分を下回る時間。近いんですね。
入国審査待ちのときに携帯のスイッチを入れるとアンテナが立っています。!!!G3が使えるんだ!と夫にメール。即返事がきました。アラスカやカナダのイエローナイフでは使用できないので半分諦めていたのですが、添乗員さんによるとここ半年くらいでロシアはほぼ全部OKだそうで、今回もシベリア鉄道で時々圏外になったものの、ほとんどアンテナがたっていました。G3、役に立ちます。

夕食:機内食(サンドイッッチ、ヨーグルト、ゆでやさい)

2007年 9/1 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 ハバロフスク →

070901_1.jpg昨夜、ホテルに入って明日の準備をしてさあ寝よう、という時になぜかサイレン(もちろんロシア風ではじめは何?という感じ)を鳴らした車がじゃんじゃん集まってきて、そのうちホテルの係員が各部屋のドアをガンガンたたいている。まだ寝ていなかった母が何だろう、とぶつぶつと何度もちょこちょこ「何か変だよ?」と起こされた。不機嫌100%で廊下に出たらものすごく焦げ臭い。「おかあさん、手荷物を持って靴を履いて!」とあわてて廊下へ。エレベーターは使用不能なので、ひざの痛い母も荷物を持って9階からロビーまで、約11階分を避難階段を降りました。
ロビーに添乗員さんがいてくれ、サウナがボヤとのこと。たいしたことがなく収まりそうなので、外に出なくてロビーにいてもいいです、とのことなので、座る。体格のいい消防士がウロウロ。(本当にでっかい)で、2時半頃になり、外に出ていたお?ぜいの人たちも戻ってきて、やっと休むことができました。着いたその夜の「避難訓練」。疲れましたが、大したことがなくてよかったです。


070901_2.jpgで、翌朝、睡眠不足のまま出発。ハバロフスク駅はきれいな建物でした。昔のままかなぁ。。。
列車に乗ってまず大変だったのはドアが固い。コンパートメントの中に入ってドアを閉めると、押しても引いてもなかなか開かず、独房(二人房?)状態。添乗員さん、ガイドさん総がかりでみんな開ける練習。手が赤くなってしまいました。私のところは何とか開け閉めできてほっ。
列車は発車ベルもなく突然出発。アムール川のトンネルを抜け、広々としたタイガが延々と続いていました。シベリア鉄道、シベリアク号にて2泊3日3500キロの旅が始まりました。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 
昼食:食堂車 ボルシチ、ビーフのトマト味 等
夕食:食堂車 ハムサラダ、ポークとソバの実

2007年 9/2 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 ハバロフスク → 車中泊

070902_1.jpg3日間の列車の旅で、長時間停車する駅では降りることができます。初めの頃はビロシキ、水餃子など食べるもの売りがホームに多かったですが、ブルーベリーとラズベリーばかりだったりと駅により特徴があるようです。(イルクーツク近くのスリジャンカはバイカル湖の魚、オームリの燻製屋さんばかりで、においがすごかった)また、駅によっては出店を禁止されているらしく、ホームはずれの柵やバーの先で売っていました。いずこも料理自慢のおばちゃんが売り子でとってもおいしそうでした。

070902_2.jpg列車のトイレは30年前の日本の二等列車並み。そのまま下に落ちるので停車直前に乗務員のお姉さんがもの血相を変えて鍵を閉めに走ります。洗面もそこでするので、グループの話題はトイレの話しが一番多い状態。母が「動かないトイレに入りたい」というので途中駅で有料トイレ体験。「どうしてあれで有料?」と頭をかしげて戻ってき、それ以降は列車がまだましとなったらしく、外で、とは言わなくなりました。
停車毎に駅舎の写真はできるだけ撮ってきました。昔風の石造りの駅、ぴかぴかの銅像付きの駅とそれぞれ特徴がありました。
駅でおりてうろうろしていると人がよってきて話しかけます。何を言っているのか、ロシア語は「トイレはどこですか」程度しかわからない私ですのでちんぷんかんぷん。でも最後は笑顔の楽しい会話でした。

朝食:食堂車 ハムエッグ、チーズパン 
昼食:食堂車 キャベツサラダ、きのことサワークリームのポーク(好評) 等
夕食:食堂車 サラダ ペリメニ(水餃子)

2007年 9/3 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 → イルクーツク

070903_1.jpg昨夜、さあ寝よう、とドアを閉めたら、その後押しても引いてもど?やっても開かない。寝ていた母も起きてぎゃんぎゃん。結局ダメ。時計を見ると10時ごろ。誰か廊下を通らないかな、とHelpMeならぬ「開けてPleaseOpenTheDoor」とメモを書き、隙間から廊下に落としてみる。更に、列車の乗務員のお姉さん二人はドア開けのマジシャン(それはもう、私たちが大汗かいても開けられないドアを片手でワンタッチであけてくれます)が廊下を通るかも、とガイドブックをひっくり返して「鍵」らしいロシア語をまねして書いて、廊下に落とす。う?ん、誰も通らないみたい。
まだとなり、起きているかな?、と思っても列車は何十年モノらしくギシギシ、ガタガタとものすごい音をたてながら走っている。仕方がないので、停車駅まで待って、列車の音が静かになってからお隣の壁をトントン。姉妹で来ているYさんがすぐ「どうしたんですか?」ときてくれた。よかった!このまま一生ここで母と二人きりで閉じ込められなくて済んだ。ということで、添乗員の相馬さん、ガイドのジーマさんに開けていただきました。SpecialThanksです。多謝。


070903_2.jpgなのになのに、朝食後、マジシャンお姉さんがお掃除にきてまたガシャンとしめてしまいました。母と二人、一瞬声も出ず息を飲みました。その後、またお隣さんに助けていただきました。Sさん、Yさん、本当にありがとうございました。
列車は一路イルクーツクへ。12:30頃にはバイカル湖が見えはじめ、3時間ほど湖畔を走り、更に山越え。紅葉にはちょっと早いけど、白樺の林、ひろびろとした原野、民家、工業地帯と町々を走り、2泊3日をかけて夕方、6時半着。
シベリア鉄道に乗るのが夢だった方々もみなホッとしてホテルに入り、きれいなトイレで落ち着いて用を足し、お風呂でさっぱりし、動かないベットでぐっすり休みました。列車は3日がいいところのようでした。(実は私はまだまだ大丈夫ですが、ロシア人と一緒のコンパートメントがいいなぁ)

朝食:食堂車 イクラパン、ソーセージ 
昼食:食堂車 サラダ サリャンカ(スープ)鶏肉 等
夕食:サラダ、ピクルス盛り合わせ、つぼ入りボルシチ

2007年 9/4 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 イルクーツク

070904_1.jpg今日は初めてのいわゆる「観光」。朝食後、ホテルの前を散歩する。33年前に来たときは7月末から8月はじめだったが、イルクーツクではセーターを着たのに、今回は暑い暑い。。。ガイドに聞いてみるとやはり地球温暖化のせいらしく、9月に入っても暑いのはここ最近、とのこと。
午前はブリヤート人の村、ウスチ・オルダへ。自治管区の博物館見学後、シャーマンと民族舞踏。更におすもうのショーを見学。グループ・メンバーのご夫婦と添乗員のお兄さんをかりだしてのショーでした。
民族舞踏の方々は声が素晴らしく「日本の歌を歌ってください」といわれ、思わずひるんでしまいました。
ここのお姉さんたちは美人が多く、スタイルも抜群。いわゆる八頭身美人です。ところが年配の女性がスカーフをかぶり長いスカートをはいて歩く姿はどうみてもマトリョーシカ人形。食事がおいしいせいでしょうか。


070904_2.jpg午後は市内観光。ズナメンスキー教会、キーロフ広場、デカブリストの家、戦勝記念碑などをまわりました。ところでこちらの戦勝=日本の敗戦。なんともじくじたるモノがあります。こちらに来るときの飛行機でシベリア抑留者家族の墓参団と一緒。母はとなりにすわった方の話しを聞き、戦中派としては身につまされていました。その方のお父さんは、小さい3人の子供を残しての出征。母が話した方は当時生後5ヶ月。今回はシベリアのチタ近辺で死亡がわかり墓参とのこと。私たちは日本人墓地にさえいかないのか、とぼやいていました。
夕食後、片道25分歩いてスーパーまで散歩。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 
昼食:ブリヤート料理 ビーフ、肉まん(ポーズイ)
夕食:ロシア料理 ポークピカタ

2007年 9/5 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 イルクーツク → リストビアンカ

070905_1.jpgホテル9時出発でバイカル湖畔の集落、リストビアンカへ出発。バスで1時間半とのことだが、途中写真撮影でSTOPした地点はなんとコカコーラの旗、旗、旗。かつてロシアの清涼飲料水といえば何といってもクワスでしたが、ここにもアメリカ資本ががっちり進出です。
途中木造建築博物館を見学。バイカル湖から流れ出す唯一の川、アンガラのふもとのひろびろとしたところでした。
ここのお土産屋さんは日本語が達者で私たちを笑わせてくれました。
この後、バイカル湖沼博物館でバイカル湖のこと、その生物のお勉強をしてから昼食。バイカル湖のお魚、オームリにみんなで舌鼓をうちました。


070905_2.jpg午後はニコライ堂を見学後、クルーズ。バイカル湖は本当に大きくて湖というより海のよう。地平線までずっと水があり、対岸が見えないのです。
水は透明度世界一、とのことですが、上から見ているだけではちょっと分りませんでした。船は豪華椅子つきで船酔いを心配していたIさんも問題なく楽しめました。
ところでこの後で急に観光追加。すぐ近くの日本人墓地へ連れて行ってもらえることになりました。母大感激。
急な坂を上っていった畑のむこうに墓地。その一角に慰霊碑があり、お花がかざってありました。草もきれいに刈ってあり、きけば日本人留学生が代々掃除をしてくれているとのこと。更に感激です。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 
昼食:オームリのスープ、串焼き、アイスクリーム
夕食:サラダ、ポークの串焼き

2007年 9/6 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 リストビアンカ → イルクーツク

070906_1.jpg早朝に起きてイルクーツク空港へ向かう。今日はハバロフスクへの移動日。ホテル出発時点で飛行機のディレイの連絡があったが、空港についてみると更に3時間ほど待たなければならないことに。ガイド、添乗員相談の結果、イルクーツク最初のホテルに行き、自由時間とすることになった。ホテル着後、お散歩へ。
フライト時間は10時の予定が12時、更に14時になり、その後、バザールへ連れて行ってもらう。ここがなかなかおもしろくロシアの通貨をほとんど使ってしまっていたのが残念でした。お魚は燻製や干物も冷蔵庫に入れて売っているのに、生肉はそのまま台に広げているし、チーズ屋さんがたくさんいて、味見をして気に入ったものを買うらしく、大勢が通る人を呼び止めているところ、新鮮な野菜を山と積んでいる店などなど。


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その後、空港へ再度行き、やっと搭乗手続き。靴まで脱いでの検査後、またしば?らく待ってからやっと搭乗できました。結局5時間の遅れで時差2時間のハバロフスク着20:00、夕食のレストラン着21:00でした。疲れた?。

朝食:ハム、卵 
昼食:機内食 野菜、チキン
夕食:きのこのスープ、あげ餃子みたいな

2007年 9/7 シベリア鉄道とバイカル湖の旅 ハバロフスク → 東京

070907_1.jpg今日は昨日の予定の分も観光するため、8:30出発。イルクーツクとは2時間の時差のため、昨日でいえば朝の6時半出発。外はひんやりして気持ちがいい。昨夜ホテルのテレビで見た日本は台風と33度以上の気温と。。。それに比べればここは本当に気持ちがいい。
アムール川展望台からみる対岸奥は中国。川には国境警備隊の船。何となく緊張感を感じます。
この後、ヘフィツェル自然公園へ。博物館でお勉強の後、大きな蚊と戦いながらの公園を散策。気持ちが良い山道。朝鮮御用松、各種きのこなど植物などをガイドの説明を聞きながらの散策でした。快適。


070907_2.jpg散策後、近くのテントに用意していただいた昼食。ピロシキ、スープ、シシャリク(串焼き)などどれもとってもおいしかったです。食事と共に空気もおいしく、楽しくいただきました。
この後、空港に向かい帰国手続き。台風9号が昨日関東に上陸し、東北にぬけるとのことだったので心配していましたが、時間通りに出発。蒸し暑い新潟に降り、東京まですべて時間通りにつきました。う?ん、私たちはついていた!
グループの皆さん、添乗員の相馬さん、各都市のガイドさん、ドライバーさんなどなど多くの方々に感謝です。

朝食:いくらのパンケーキ 
昼食:ピロシキウハァ(スープ)、ポークのシシャリク
夕食:機内食 パン、サラミ、チーズ

2007年 9月 シベリア鉄道とバイカル湖の旅:感想

33年ぶりのシベリアの感想
・街がカラフルに ソビエト時代は国威発揚みたいな壁画が多かったが、今回はCMがすごく増えた。絵柄も赤ちゃんだったり、色もきれい。また英語標記も増加。外国製品も多い。ナイキ、ノキア、コニカなどなど。
・国名の変化と意識は 若いガイドさんが説明の中で「ソビエト時代は。。。」というのが多かった。ロシアだって社会主義国ということをちょっと忘れそうな、でもやっぱり社会主義国、と感じることも多々ありました。
・紅茶がすっかりリプトンに 前回はいつもでっかいガラスのコップいっぱいの紅茶にたっぷりのジャムをそえてのロシアンティでしたが、今回はカップにレモンをそえて、とすっかりイングリッシュ・ティ。食後にコーヒー?紅茶?と聞かれる度にと変わったなぁ、と感じました。
・ジュジュールナヤがいない もうひとつ大きく変わったのはホテルの各フロアにいる鍵係りのおばさん、ジュジュールナヤ。今回泊まった4つのホテルでいたのは1箇所のみ。前回はチップにパンストがいいと言われ、持って行ったが、みんなお尻が私の倍くらいあり(当時は私も今よりかなりスリム)、ずいぶん笑わせていただきましたが。
・暑い これはたまたま私が行った時期の問題か、やはり地球温暖化のせいか。
・女性の服装がはでに なったような。へそだしルック大流行。前回はあんまり昔でイマイチ思い出せないけど、露出度が多かった記憶はまったくなし。