Diary-title

Sri Lanka

1993-4年 みんなが生活しやすい地球を「スリランカ旅行に参加して」

19940101_0001.jpg
93年の年末から94年の年始にスリランカ旅行に行ってきました。 93年末はメキシコと2年続けてのろう者と一緒のお正月です。同行の夫曰いわく、「メジャーじゃない所ばかり行くね」。まったくその通りで、手話をやっているおかげでいろいろな体験をさせていただいております。

1.有名な楽しい方達と一緒

19940101_0006.jpg参加者15名、手話通訳は谷田道子さんと私の2人(彼女とは通訳クラスのクラスメイトなのです)。リーダーは前に品川にいたろう者でエジプト、メキシコと一緒に行った方です。他のろう者とは初めてお会いする方もいましたが、皆とても良い方ばかりでした。今回何より嬉しかったのは飯島さんご夫婦と一緒だったこと。洋子さんのいつもの気配りと昭ちゃんの明るさはグループの中でも光っており他の参加者もとても喜んでいました。(2人ともますます有名に・・・。コロンボのろう学校でボランティアをしている浜崎先生と昭ちゃんは面識はないのに開口かいこう一番「有名な飯島さん」といわれていました)

2.仏教遺跡ぶっきょういせきと紅茶、宝石の島

19940104_0008.jpg『スリランカ』と聞いてあなたは何を連想しますか?
1947年に独立するまではイギリスの植民地で昔の国名はセイロン。私は紅茶の名前としてしか知らなかったのですが、インダス文明発祥の地であるインドのすぐ下に位置することから、仏教遺跡が多く巨大な涅槃像や壁画など見るところも多く、また緑いっぱいの紅茶畑でインド系の娘さんたちが茶摘みをしている所などはとてもきれいでした。宝石はダイアモンド以外は何でも出るということで、高価なものをたっぷりさわらせていただきました。
ヤシの木が島中いたる所に生えていて涼しい緑の木陰を作っています。ヤシの実は生活必需品になっており、その実の中にはジュースがたっぷり入っています。私たちも飲んでみましたが、青臭くもなく飲みやすいものでした。
19940104_0002.jpgヤシの実にはジュース用の金ココナッツ、料理用の普通のココナッツの2種類あるのも初めて知りました。
初めて知ったといえば紅茶のティーバッグの中身を見たことがありますか?紅茶工場でランクを見ましたが最高級のBOPF(BOPの工場出荷分)、次がBOP(くだいたオレンジ色の葉の意味)、途中もう2、3ランクあって次がダスト(喫茶店用)、次がティーバッグ用でこの後はないのです。ティーバッグを開けてみたことはありませんが、あれを見るともうティーバッグの紅茶は飲む気がしません。(ティーバッグ屋さん、ごめんなさい)
ちなみに国名の語源はシンハリ語で美しい(スリ)島(ランカ)です。

3.スリランカのろう者と交流

19940103_0003.jpg


今回の旅行のハイライトのひとつはスリランカのろう者との交流会。
現在スリランカには8つのろう学校があり、現地で長い間ボランティアとして活躍している浜崎先生にいろいろ労をとっていただき、そのうちの1つの学校の校長先生、教頭先生の他3名のろう者が来てくださいました。交流会での通訳方法はスリランカのろう者の手話を現地の言葉であるシンハリ語(音声)にしてもらい、海外青年協力隊員の方(この人がまたとても素敵な方でした)が日本語(音声)にし、それを日本手話にするのですが、ろう者同士はダイレクトにコミュニケーションしており、私は逆にみんなに日本手話に通訳してもらい理解するという状態でした。
19940102_0004.jpg
身体障害者に国から手当が出る、障害者に対する間違った迷信が障害者や家族を苦しめているなどは日本もスリランカも同じですが、その迷信の中身がちょっと違うようです。日本では仏教用語の輪廻転生から前世の因果で身体障害者が生まれる、という迷信がありますが、同じ仏教の国であるスリランカの輪廻転生は現在一生懸命に生きれば次に生まれる時は耳が聞こえるようになる、というふうに考えられているんだそうです。同じ輪廻転生でも前向きだな、と思いました。
また、耳が聞こえない子供が生まれるとその家にしあわせが訪れると信じられており、その子供を大切にするそうです。
しかし国そのものの貧しさは日本とは比較にならず、平均月収9千円程度で普通の学校はもちろん、ろう学校の設備は乏しく、文房具は高価で日本のお金に換算とえんぴつ1本300円位になるそうです。町で出会う子供達の目はとても澄んでおり、金持ち大国日本のするべきことは何なのか、改めて考えさせられた旅でもありました。

4.コミュニケーション上手な聴覚障害者

海外旅行をする人は今とても多いけれど、聴覚障害者と共に旅行すると国際交流を本当に実感できます。相手が何国人だろうと耳が聞こえようと、聞こえまいとボディランゲージでどんどんコミュニケーションしていき、友達になってしまうのです。(時々、呼ばれて通訳するのですが、私のとぼしい英語では通じきれない時があり、おお汗ものでした)
現地ガイドから「聴覚障害者のガイドは初めてだけど、むしろ普通の団体よりキチンとしている。またとても積極的だ」と驚きと称賛の言葉をいただきました。

全員病気もけがもなく、1月6日に無事帰国。再会を機して成田で解散しました。
参加のみなさん、本当に楽しい旅をありがとうございました。


以上