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USA,WashingtonDC

1994年6月 全通研20周年記念/アメリカ手話通訳事情視察の旅に参加して

ろう者の為の大学ギャロデットを一度見てみたい、と思いこの企画に申し込みました。1年前から企画、交渉していただいたおかげで、出発前に考えていたよりずっと濃い内容で視察先の準備もあり、毎夜感想をメモする時間もないくらいでした。東京からの参加は残念ながら56人中たった4人。関西勢が多く、旅行後半には私まで「おおきに」なんて言っているしまうくらい、関西色に染まってしまいました。
訪問内容詳細は全通研機関誌や夏の大会で報告されますので、ここでは簡単に報告します。

1.ワシントンD.C.

6月12日昼、成田発。13時間かけてワシントンへ。時差の関係で今日は1日36時間ある。ワシントンは人口の80%が黒人、大学と政府機関の街。ゆったりした雰囲気と赤い建物レンガの高級住宅街が印象的。ホワイトハウス等見たのですが、この頃はもうぜんと眠く頭の芯がジンジンしていました。
6月13日ギャロデット大学へ。広くてきれいなキャンパス。趣がある建物でした。

【ギャロデット大学】
概要:創立124年、現在2200人在学中、修士課程には健聴者がいるがそれ以外はろう者のみ。卒業式にはクリントン大統領も出席。授業は先生の選択で、磁気ループ、ASL (American Sigh Language=アメリカ手話)を使用。学生中15%が留学生。ファックスの普及率は低いが、TTY(文字電話)はかなり普及。
パソコン通信やE-Mailは記録を残しておけるので利用が多い。アメリカは6月から夏休みなので学生はいない、といわれていたがチラホラいて私たちを見るとはなしかけてくれた。

●言語手話通訳学部
手話通訳の大学院はギャロデット大学だけのコースでカリキュラムは一部東京支部に届けましたので、興味がある方はご覧下さい。現在3クラスあり、各クラスにろう者が1名づついる。カリキュラムはろう者、健聴者共同じだがろう者はビデオテープ録画の論文提出等工夫はしている。
300人が修士号を取得、ほとんどが手話通訳者や教師として仕事についている。通訳者の職業病(Over Use Syndorom=使い過ぎ症候群)は深刻な問題になっており、防ぐ為の教育ビデオを作成している。

●手話通訳者について
費用の個人負担はない。専任スタッフ10名、別にフリー200名、盲聾者の為のスタッフ。配置は通常は一時間1名、それ以上は2名。但し、授業内容による。ろうの通訳者の仕事は・ASL↓盲聾に通訳、・ボディランゲージに近い手話↓英語(ろう者の方がうまい)=国際会議の時など。

この後、キャンパス内見学。構内、図書館等を見る。全米向けろう者ケーブル・テレビはここで作成、スタッフもキャスターもろう者とのこと。

夜はシーフードと夜景のOPに参加。ものすごく大きなロブスターやとうもろこしがまるごと洗面器のような入れ物で出てきたので、とにかく大笑い。アメリカでは何を食べても大味。特にサラダはパサパサのものが大皿いっぱい毎回でてきたので当分食べたくありません。夜、飲み物を買いたいので自動販売機はありませんか?と誰かがきいたら、アメリカでは自動販売機を置いたら1時間もしないうちに販売機ごと盗まれるのでありませんの答。

翌6月14日(火)は3班に別れての視察で。私の班はまずバイ・カルチャル・センターへ。小さなビルの小さなオフィス、小さな教室。でも話しの内容は共感!。

【バイ・カルチャル・センター(TBC=The Bi-Culture Center) 】
概要:元ギャロデット大学教授のMJさんとベティさんの説明。ろう者の文化はASL。ろう者と健聴者は言葉と文化は違うがお互いに尊敬と理解の認識を高める為にと創設。ASLと英語の2つの言語と文化のバイリンガルの通訳者養成が目的。
アメリカ人は残念ながらボディランゲージが下手で表情が乏しいので(☆エ!それじゃ我々日本人はどうなるの?)鏡で先生と自分の表情を比べ近付ける訓練をする。手話はろう者同士の手話を学び、言葉と共に表情、身振りを教える。人により通訳者の素養のあるなしがあり、現実には能力がない人も多い。(☆参加者より耳が痛いの声!)壁に大きくSim/Comのマークが貼ってあった。これはろう者から不満、苦情が出、2つの言語を一緒に表現しない、英語を口で話しながらASLを表現しない。一緒だと手話は口話に従属。混ぜることにより両方が破壊されてしまう。研究結果からも2つ一緒はむずかしいし負担が大きい。我々は両方に尊敬を持つ。1つ1つが平等であり、その美を味わう立場。 SLAはうって変わって立派なビル、きれいなオフィス。たくさんのトロフィと活躍を示す写真。ところでこのビルのトイレはカギがかっており使う人は事務所でカギを借りる。これが普通とか。きれいなビルなのに、やはりここはアメリカ。

【 SLA (Sigh Language Acc. Inc.) 】
概要:手話通訳の専門の営利を目的とする会社。1982年開始。当初職員2名↓現在60人。内30人は事務職、通訳者は週40時間。他に225人のフリー契約者、この地域ではギャロデット大学や政府機関の依頼が多い。他に講師依頼も多い。派遣内容には劇場、宗教もある。

この後、ポトマック河畔で中華の昼食後、飛行機でバッファローへ。今年はここカナダも冬が厳しく零下30度の日が続いてやっと春になったそうだ。たんぽぽがたくさん咲いている。ホテルの部屋からライト・アップされたナイアガラ瀑布がよく見えた。

2.ロチェスター

6月15日(水)早朝、出発。目の前のアメリカへ再入国。税関担当官がバスに乗り込み、私たち全員がアメリカの入国カードを手にもって上へ掲げたら「これで入国手続き終了です」の添乗員の声。全員大笑い。約二時間バスを走らせロチェスター工科大学へ。
ロチェスター工科大学は緑豊かなものすごく大きいキャンパス。これで単科大学?建物は高層建築ではないが近代的でゆったり。夏休みだが学生がけっこう多く学食も営業していた。

【ロチェスター工科大学(RIT)】
概要:ろうあ者の為の最初の単科大学で1965年創設。ろうあ者のための全国工業技術協会(NTID)はRITの中にある。現在ろう者がRITに千百名、NTIDは世界五十ケ国より集まっている。
1975年IDEA (Indivisual with Disability Education)法により聴覚障害児は普通の学校へ(メイン・ストリーミング)の道が開かれた。学校の手話通訳は従来の通訳技術とは違うので、ガイドライン「教育手話に関する報告書」をを作成、全米に配布した。(☆今回四部もらったので全通研本部にある)
授業に手話通訳者がつくことによる効果のビデオテープとパンフも作成。ビデオコンペで賞ももらった。(☆これも1部全通研本部でもらいました)

●手話通訳者について
概要:手話通訳者は百名。サービス・システムとして世界一と思う。通訳者の資格には・英語にそった手話、・ASLの二つ、資格取得後も新情報の勉強をする。
通訳者の職業病が多発した時期がある。1989-90年には十四人が全休、十九人が軽減勤務。痛いGPと平気なGPに同じシェークスピアの講義の通訳を行いビデオ撮影し、見比べたら痛いGPは・動作が早すぎるくらい早い、・手首動作が多い、・自然なポジションに手を下ろすことが少ない、ことがわかった。またペース調整が出来ず、ストレスが多いことも判明した。この結果から対策、訓練を行った結果、91-92年には全休ゼロ、軽減勤務は二人に好転出来た。

ASLを見るのも大分なれてきたが、ろう者同士はASLを知らなくても通じている。大阪のろう者から「ろう者は目でみるからASLを知らなくてもわかるが健聴者は耳で聞いているからわからない」といわれ妙に納得。

今夜のホテルは大学構内にあり、大学内で出会った人とまた会ったりで宿泊客も大学関係者が多い。ホテルは満杯でダブルベットに男性2人で寝た人も!。明日のろう学校でこどもにあげる折り紙をみんなで食事時に折る。

3.ニューヨーク

6月16日(木)、今日が一番厳しいスケジュールの日。ホテルの庭から見る朝日がものすごく大きくきれい。早朝出発しニューヨークへ。
まずレキシントンろう学校へ。入るなり「カメラ、ビデオは全部しまって下さい」の声。ここは公民権意識が強く肖像権の許可をとってからカメラを出してください、との事。また、こどもの様子を見られると思っていたのに教頭先生と校長先生の説明だけだったのは残念。

【レキシントンろう学校】
概要:1864年に女生徒専門のろう学校としてスタート。1950年から男女共学。現在年間22億円で経営。内16億円は州から補助。
教育内容はアメリカで1番と自負。アフリカ系移民が24%、スペイン系が37%、アジア系が12%、その他ロシア、ギリシャ、イタリアの人がいて、彼らの為常時ロシア語、イタリア語などの通訳者がいる。ニュージャージーにある企業に卒業生、修了性を年間350人送り込んでいる。現在400人が在学中。(☆日本では健常者が働きにくるのさえ拒んで不法就労者になっているのに、アメリカは聴覚障害者の移民も受け入れ、ASLや自立方法を教えている)
1クラス6?10人、重複障害は1対1。1980年までは口話法のみで教育、手話は口話を阻害するものとして扱ってきた。手話がトータル・コミュニケーションとして有効、と変化し今ではかなりの部分で手話が取り入れられている。
夜はスペシャルコースで生徒の親に手話を教え、家庭の中での子供との会話を円滑にしている。
現在アメインストリーミングが主流。1975年の法律IDEAで障害により様々な学校ができるようになったが、この法律は5年毎に再確認され来年がその5年目にあたる。否決されてしまうとこの学校が公的に認められなくなる。メインストリーミングは特別な学校をなくし個々にサポートする、という考え方だがまだ実験段階。本当の先生は通訳者なのか、こどもが手話を知らないなどの問題もあるし、手話通訳者の数・質的もまだ充分整っていない。

今日の昼食は幕の内弁当。けっこうおいしい。ニューヨークはちょうど天皇の訪米、サッカーのワールド・カップ、アイスホッケーのニューヨークチームの五十四年ぶりの優勝で大混乱の中。街では男の人を引く商売の女性が昼間っからお仕事しているし、ゲイの多い地帯とかなんとか日本人からみたら「こわい」くらいのところも多い。

午後はラガーティア・コミュニティ・カレッジ。学校側では私たちを大勢で待っていてくれ、研究発表やプレゼンテーションをしてくれたが、時間が短く残念。休憩にアメリカのろう者が積極的に話しかけてくれ、楽しい交流ができた。もっとこういう時間が欲しかった。

【ラガーティア・コミュニティ・カレッジ】
概要:ニューヨーク市立総合大学の中のカレッジでラガーティア地区にある。七百人の聴覚障害者に教育。手話通訳者他のサポート体制がある。

●ボニー先生
手話通訳者の頭の中の働きを五分類し、それを五人の人が演じる教育方法のプレゼンテーション。

●デボラ先生
ADAができて手話通訳者養成所が充分な研究がされないまま次々たくさんできた。通訳者に対する社会的認識も低く、倫理感だけことが多い。

●カドカワ・シンさん(盲ろうの日本人、社会学・芸術学)
私は大阪の大学を卒業後、アメリカへきた。ギャロデット大で専門のコースを用意してくれた。ASLと学科の両方を学んだ。ニューヨーク市立大学に移りリハビリテーションの勉強を初めた。大学で障害学生の専門カウンセリング室の仕事を今は任せてもらっている。日本社会で盲ろう者が成功するのは難しいがアメリカは幅広く活躍の場がある。

最後のRIDとの話し合いは時間がなく、寸足らずの後味。今までの学校関係と違い、ちょうど派遣協会といった感じの団体で、一番身近かに感じただけに残念。

【聴覚障害者のための通訳者協会】 RID (Registry of Interpreter for the Deaf)
概要:1964年結成。会員数5000人。3分の1が男性。収入が少ないので男性は少ない。手話通訳者の認定、登録を行っている。試験は筆記(倫理と一般教養)と実技(表現・読み取り)。会員の集まりは毎月行なわれている。ニュースレターは隔月発行。
通訳者の集まりでは職業病の為サポーターやギブスをしている人も多い。仕事は内容・時間をあらかじめ聞き一人25分を越えないように、だれかに集中しないようにする。現場からの連絡で急遽増員するときもある。
手話通訳利用者から抗議がでれば公聴会を開き処罰委員会を行い、認定がとり消される。
コネチカット州やいくつかの州では労働組合を作り賃金要求しているところもある。ニューヨークでは会員5000人の力で働きかけをし改善をはかっている。
個人依頼はほとんどなく、裁判所、企業、政府、学校がほとんど。個人の場合、依頼の仕方、手続き等を知らないことが多い。私達はろう者の言葉を借りて仕事をしている、という意識があるのでタダで派遣するときもある。しかしタダというと相手の意識をさかなでするのでかわりに掃除とかその人の得意な事をしてもらう。Give & TakeでなくGive & Giveで。

この後、夕食と夜景見学。ホテルに戻ると11時半。ほとんど倒れるように寝る。

翌17日(金)はニューヨーク市内観光と自由行動。18日(土)ニューヨークからアトランタ経由で帰国。出るものは追わず、だそうでアメリカ出国手続きは何もない。
予定より1時間ほど遅れて成田着。空港内で簡単な解散式を行ない、大阪、名古屋組とお別れ。日本は梅雨で雨が冷たい。アメリカにいる間中、お天気には恵まれ、毎日30度くらいだったので寒さが身にしみる。

今回、私にとって出発前に想像していなかったもうひとつの大きな成果、それは通訳サービスを受ける体験である。日本語通訳者を介することによって意志がキチン伝わらないもどかしさ、何か変だという感じ。ところどころ私の乏しい英語力でもちょっと違うんじゃないか、とわかるときもあった。聴覚障害者も日頃手話通訳者にこんなふうに思っているのかな、とつくづく思った。また逐次通訳と同時通訳も受ける立場で体験でき、メモをとるにはセンテンスで切ってくれたほうが楽だった。ASL通訳者を見ていると読み取りも逐次通訳の時があり、通訳者同士で相談したり本人に確認してからとうとうと英語をしゃべりだすときもあった。表現についてもかならずしも話者と同時に終わらないこともわかった。

「アメリカ」という言葉からあなたは何を連想しますか?かつての「アメリカン・ドリーム」の豊かな甘いイメージから麻薬、マフィアといった暗いイメージまでさまざまかと思いますが、私が駆け足で見てきたのは日本よりはるかに「大きく」「広い」アメリカでした。短時間だと良い面ばかりになりがちですので、今度チャンスがあればもっとゆったりと見てみたい、と思いました。