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China

1997年7月 上海ぶらり旅 7/25

7月の上海は初めてでしたが、蒸し暑かったー

さあ、ぶらり旅のはじまりだ!

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思わず知らず、顔が笑ってしまう。

新しい上海博物館(1)

1997-shanhai02.jpgとっても広いので、気持ちいい!

新しい上海博物館(2)

1997-shanhai05.jpgフラッシュを使わなければ写真もOK!

新しい上海博物館(3)

1997-goshoseki.jpg呉昌石の篆刻もあった

新しい上海博物館(4)

1997-shanhai03.jpg館内のティルーム;日本語ガイドを聞きながらひと休み

夜のホコ天(1)

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夜のホコ天(2)

1997-hokoten2.jpg体調を崩したカメラマンをしり目に元気いっぱいな二人 (^^;

1997年7月 上海ぶらり旅 7/26

買い物(1) ヒスイの腕輪

1997-ring.jpgホテルの前の宝石店(老鳳祥)にて

買い物(2) お茶屋さん

1997-teashop.jpg龍井茶、碧ら春、黄茶、白茶をちょうだいね

上海赴任中のお友達と(1)

1997-pair.jpgようこそ、上海へ (高梨ご夫妻

上海赴任中のお友達と(2)

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1997年9月 シルクロードの旅に寄せて

旅行の日程

  1. 1997年9月13日(土)成田 → 北京
  2. 1997年9月14日(日)北京 → ウルムチ
  3. 1997年9月15日(月)ウルムチ →トルファン
  4. 1997年9月16日(火)トルファン → 柳園
  5. 1997年9月17日(水)柳園 → 敦煌
  6. 1997年9月18日(木)敦煌
  7. 1997年9月19日(金)敦煌 → 西安
  8. 1997年9月20日(土)西安 → 北京
  9. 1997年9月21日(日)北京
  10. 1997年9月22日(月)北京 → 成田

1997年9/13 シルクロードの旅:成田 → 北京

成田14:55発、夕刻北京着。暗くなってから中国に入国すると数年前の国慶節に上海着陸前に 上空で見た盛大な花火を思い出す。北京は4年ぶりだが、空港では相変わらずトランクが出るの が遅い。30分以上じっと待つ。
やっと表に出て随行員の李さんと会う。彼はバスの中で手話通訳者を食い入るようにみつめている。北京のガイドは楊さんという中年の女性。「ヨウはどんな字を書きますか?」と聞いたら「楊貴姫の楊です」の答えに図々しいと思わず一人でわらった。
夕食のレストランへ着いたのは8時半頃。街の中は4年前とはかなり変わって近代建築のビルやネオンサインが増えている。遊ぶところもかなり増えて「近代化」が進んでいるな、と感じる。
夕食後、ホテルへ。部屋割り、換金、お土産やをのぞいて部屋に入ったのは午後10時すぎ。明朝は観光出発が7:00。ハードだ。

1997年9/14 シルクロードの旅:北京 → ウルムチ

199709-tendan.jpg朝7:00ホテル発。
天壇公園は朝の体操をする老人と凧揚げをする人がいっぱい。観光客は早朝なのでさすがに少ない。
しかし 故宮は観光客が多い。外国人だけでなく中国人も。バスを降りてから故宮入口まで露店がつづく。故宮では映画「ラストエンペラー」を見た人がメンバーが多く、その話でもちきりに。海外旅行の手話通訳は手話だけでなく、特に固有名詞のためにホワイトボードでの筆記も欠かせない。漢字圏以外の外国は聞いた音をそのままカタカナで書けばいいが、中国では歴史や人物の漢字も知らなくてはならないし、日常使わない漢字も多く四苦八苦だ。

199709-kokyu.jpg天安門広場はちょうど開催されていた中国共産党大会を祝ってお花や果物で飾ってあり、今まで見た中で一番きれいだし人も多い。
夕方ウルムチ行きの飛行機にのる。スチュワーデス全員すごい美人。ウルムチはウイグル族が多いと聞いていたが、そのせいなのかそれとも旧ソビエト、今のウズベキスタンあたりとの混血のせいか。さらに昨日の国際線よりあいそもいい。飛行機はアエロフロートの中古なのかロシア語表示の上に中国語が貼ってある。 ウルムチは随行員の李さんの本拠地。彼は飛行機の中で練習したという手話でウルムチの概略を説明。メンバーの拍手かっさいをあびた。夕食は羊の丸焼き。見た目は豪華だが日本人の口にはあんまりあわない。午後10時頃ホテル着。


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1997年9/15 シルクロードの旅:ウルムチ → トルファン

朝食は昨日のビュッフェスタイルとは違い中国式。
ウルムチ市内観光は博物館とバザール。博物館は大きく、時代順になっていて見やすい。楼蘭(ろうらん)の美女などミイラのコレクションが多い。
バザールでは30分ほどしかなく忙しかったが、後で成果を見せあうとみんな上手な買い物をしていた。
トルファンまではバスで3時間の予定。山の間の細い道をガタガタといく。山あいの河を雪解けの透明な水が流れている。ここは年間降水量60ミリ程度の所で数年前に1日に35ミリ降って家の85%が流されたところだ。昨夜、日本の夫に電話をしたら台風19号で九州に雨が1メートル以上降ったと言っていた。
途中の山道でバスが突然止まる。前後延々と車が数珠つなぎだ。運転手が降りて確認。真っ昼間なのに道路を通行止めにして工事をしているという。まわりの車の群れはあきらめて終わるのを待っている、という。どうしようもなく我々もじっとしていたら、まわりのトラックの運転手が私たちのバスをとりまいてワアワアわめいている。みると我々の運転手が得意そうに話しをしている。我々聞こえない団体が珍しくてとりまいているのかと思ったが、そうではなく、どうやら我々のバスが新車なので珍しがっているようだ。そのうち車体やバンパー、アルミホイールまでさわっている。
その場所で2時間、ただじっと待った。途中、前のバスから男性が3人おりてきて持参の小さいじゅうたんを広げて祈りだした。ウイグル族はイスラム教徒が多い。彼らはお祈りのために携帯用じゅうたんまで持っている、と感心。感心ばかりしていられない。2時間も待っていると生理的がまんの限界が近づいた。近くのガソリンスタンドにトイレがあったがとても入れたものではない。仲間の発案で3人で傘を持って近くの草むらで順番にしゃがんだ。何せ年間降雨量が60ミリ程度で年間蒸発量が1000ミリ以上の地域なのだから悪いことはないはずだ。
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やがて17時過ぎにトラックに満載(?)の工夫らしい人達がワアワア何か叫びながら反対方向に走り去り、しばらくすると対向車が開通した。やっとこちらの車線も動き出す。何の説明もなく止められ、何のアナウンスもなく動き出す。実に中国らしい。私は慣れているので頭にもこないが添乗員と随行員は今晩の食事や食後の民族舞踊観覧の予約もありカリカリしている。
トルファンには夜8時半過ぎに着く。あわてて食事をしてから踊りを見に行く。添乗員たちの交渉の結果見られることになったウイグル族の踊りだが、私は目が細いせいか上まぶたと下まぶたがくっついてしまいそうになり、途中で失礼して寝た。部屋に入ったのが23時過ぎ。今日もハードだ。

1997年9/16 シルクロードの旅:トルファン → 柳宴

199709-roba-taxi2.jpgウルムチ、トルファンはものすごく乾燥しているのを肌が感じる。顔を洗うと手までピリピリする。
今日は少しのんびりだ。9時出発。午前中は高昌故城とアスターナ遺跡。午後はベゼクリク千仏洞と交河故城を見学し、ホテルでひとやすみしてから夜11時半の夜行列車で柳園へ向かうというスケジュール。高昌故城は入口からろばタクシーでゆられていく。茶色のつちくれの林立する中をろばでコトコト揺られていき、かつて玄奘三蔵のために高昌国王がつくったという住居跡などの遺跡をみる。当時はにぎやかな町だったというが、今は荒涼とした赤茶けたつちくれだけで玄奘三蔵が通ったのがいかに大昔なのか、思い知らされる。城址だけでなくこのあたりが大きな国を支えられるほど豊かな国土だとはとても思えない。ただ水だけはウルムチもトルファンも天山の雪解け水のせいで透明で、中原地帯の黄色い水とは全く違い私の知っている中国らしくない。
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アスターナ遺跡はちょうどエジプトの王家の墓のように穴がぼこぼこあいているところをおりていき見学する。初めの遺跡はミイラがあり、ここはみんなミイラだらけなのか、とちょっとびびってしまったが絵画の遺跡もありほっとした。
ベゼクリク千仏洞は敦煌莫高窟や龍門石窟という感じ。ここ西域は支配者の交代に伴いの信仰がつぎつぎ変化し、ベゼクリク千仏洞もかなり被害をうけた。また欧米や日本の「探検隊」による盗難の被害もあった。しかし残っている壁画は今なお色をとどめ、時の流れを私たちに語りかけてくれる。
ここのまわりは全て火焔山。夕陽をあびると更に赤く燃えるような色になるという。
交河故城は世界遺産に登録されている。ここは山をきり崩して城を築き、城自体がちょうど軍艦のような形をしている。90度岩壁がそそりたっているところもある。赤ちゃんのお墓、役所跡などなど聞けば生々しい日常生活がかつて繰り広げられていたというが、今は高昌故城同様廃墟で、赤い土がほこりとなって舞い上がっている。見学後、お土産屋さんがだしてくれた冷えた西瓜がおいしい!
夕食後、バスでトルファン駅に向かう。まんまるい月が煌々としてきれいだ。今日は仲秋の名月。東京は台風で月見どころではないらしい。

1997年9/17 シルクロードの旅:柳宴 → 敦煌

前夜の寝台列車は都合で添乗員と私の2人だけ別車両。車両には既におじいさんが寝ていたので私たちもすぐに寝た。朝起きてからそのおじいさんと筆談。彼は香港人で中国本土には何度も観光に来ているという。時刻表片手にいつも一人旅だとか。特に黄山が最高だ、と教えてもらう。それから香港人が中国本土にくるのはビザはいらないが、逆は必要だ、とか夢中になって筆談をしていたら随行員の李さんが食事だと呼びに来た。このままみんなの方にいくのでおじいさんとはお別れのあいさつをした。
みんなと一晩ぶりの再会。食堂車での朝食。10年前にも食堂車で食べたがずいぶん良くなっている。お腹の具合が悪いTさん用におかゆをもらってみんなの車両の方へいく。昨夜は青い顔をしていたTさんも今朝はだいぶん顔色が良くなっていた。
午前10時過ぎに柳園着。柳園から敦煌までバスで2時間。現地ガイドが敦煌の概要を説明してくれたが、半分は寝台車での睡眠不足を取り返すべく寝ている。
199709-meisazan.jpg蜃気楼をみた。はるかむこうの山がまるで水に浮かんでいるように見える。
敦煌市内着後、ホテルで休憩。有志でバザールとついでに博物館を見た。バザールよりも横町の屋台の方が庶民臭くておもしろい。博物館で瓦当文(がとうもん)の拓本を買う。4年前よりかなり高いので値切るのにも力が入る。
夕刻、鳴沙山へ。休憩後のせいか、みんな顔色がいい。鳴沙山の入口には立派な石碑や建物ができていて驚かされる。らくだに乗っていくと更に驚ろいたことに月牙泉の形をしたプールのようなものを作っている最中で、その中に浮かんでいるボートに「長江」の文字を見てがっかり。観光地化されるとはこういうことなんだなぁ、と思う。
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でも鳴沙山は昔のまま、美しい風紋をみせてくれた。鳴沙山の裾にらくだにのった私たちの影がうつり、まるで「月の砂漠」の歌のようだ。 鳴沙山にのぼり、木のボードで滑り降りてくる。砂の山なので昇りにくいがはしごのおかげでぜいぜい言いながらもなんとか昇る。頂上はやはり気持ちがいい。
一番上のきれいな砂を持参の袋に取る。すべり降りるのはけっこうスピードが出てこわいが、途中で止まってしまい、その後はすべるというより漕ぐ感じでかえってつかれた。その後、またラクダに乗り駐車場の近くまで帰る。


1997年9/18 シルクロードの旅:敦煌

今日は1日莫高窟の観光。朝早く莫高窟へ向かう。途中の砂漠は村人のお墓で地代はただと聞き、みんなで多いにうらやましがる。
見学した窟は以下の通り。
午前中 16-17、328、323、57、61-63、130、148、45
午後  427、428、275、257、249、237、96、98(計19)
私は4年前にここを訪れたので今回は2回目。1回目はどの窟もみな同じような暗い室内、同じような塑像、壁画に見えたが、今回は前回よりもじっくり鑑賞することができた。塑像の違い、壁画や天井絵のすみずみまで見る時に「ゆとり」のようなものを感じた。1回目の私は表面だけしか見でいなかったのだ。

ところで前回足元に敷き詰めたレンガまで本物なのに驚いたが、今回は45窟以外は全部コンクリの床に変わっていた。文化財を踏み付けている心苦しさからは開放されたものの少しさびしい。
莫高窟入り口に4年前にはなかった立派な建物が建っていた。日中共同で建設した莫高窟博物館で莫高窟の主なものの模写、模造を展示するという。これが完成したら本物の莫高窟は閉鎖し、観光客はすべてそちらを見ることになる。そうなったら室内に電気もひけるし明るく見やすくなるのだろうが、どんなに精密に作った模造品よりも暗い部屋で懐中電灯で照らしながら見る本物に比ぶべくもない。
夜、交流会を行う。明朝西安へ飛ぶ予定だった飛行機が午後便になったので、敦煌では予定に無かった陽関や敦煌城の見学ができることになったが、西安見学の時間が短くなる。

1997年9/19 シルクロードの旅:敦煌 → 西安

今日も天気がいい。敦煌のホテル、敦煌賓館北楼は静かで品のいいホテルだ。今日も中国式の朝食。
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午前中に陽関、敦煌城(撮影所跡)を見学。陽関も4年ぶり。4年前には烽火台と標識と小さなお土産屋さんが1軒あっただけだが、今回は博物館に立派なお土産屋さん、見晴らし台、記念碑までできていた。馬を勧める農民も増えた。でもここのながめのすばらしさは変わらない。いつも東京の狭いところにしかいない私にとって、心が広がっていくようだ。
敦煌城(撮影所跡)は映画を見た人にはあのシーン、ここであの俳優がどうした、と楽しく会話が弾んだ。ここは何通り、こっちはどこの町の風に作ってある、と説明があったが、何といっても砂漠の真ん中。黄色い砂でおおわれ、建物も黄色っぽく、中国大地の「黄色」を実感させられる。
昼食後、ホテルで休憩してから飛行場へ。西安までの飛行機は今回も中国にしてはめずらしく時間通りに飛ぶ。
中国では飛行機にのると相変わらず記念品をたくさんくれる。ゴミになってしまうようなものばかりで、この分費用を安くしたほうがいいのではないか、と思う。
西安空港から餃子で有名な徳発張へ。新しいきれいなお店だが何せ食事の開始時間が21:30過ぎ。食事終了時間が23:00。それから行ったホテルは今までで一番きれいな日本人経営のホテルだが翌朝は1日半の観光予定を1日で廻るため7:00には出発しなければならない。すごく残念。

1997年9/20 シルクロードの旅:西安 → 北京

朝7:00出発だが6:40過ぎてもメンバーが2人、食事に来ない。添乗員が慌てて呼びに行くが、聞こえないのでドアチェーンがあかずに呼べない。困った添乗員はドアの下から紙を差し込んだ。たまたまその2人は時間の勘違いをしただけで目を覚ましていたので無事出発時間には合流。
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今日の観光は世界遺産でもある兵馬傭博物館から。開館30分前に到着したために一番乗りだ。一昨年から2号坑もオープン。一番古い1号坑は入った瞬間その迫力に圧倒される。兵士の傭の量、大きさ共にやはり群を抜いている。1つひとつの顔も髪型も全部違う。髪の毛の1本1本までていねいに作られている。漢民族だけでなく周辺民族の顔や服装、靴の裏まで見える。期待の2号坑はまだ発掘途中で有名なひざをついている兵士の傭などはガラスにいれて展示をしてあった。
199709-doshaba.jpg司令部の3号坑は傭の着色に注目して見学。最後に銅車馬を見学。前にテレビで見たが、始皇帝が実際に使っていた車の2分の1というこの銅車馬は融点が違う金と銀が貼り合わせてあり、その方法は現代技術をもってもわからないという。また復元したこの銅車馬の車輪は回ったけど、現代技術で作った歴史博物館にある複製品の銅車馬の車輪は回らないという。
始皇帝墓は遠くからながめるだけだ。ちょうど小さい山のよう。この季節はざくろの最盛期らしくバスが止まると農民や子供がざくろを手に手に売りに来る。食べてみたが酸っぱかった。
楊貴姫ゆかりの華清地を見学後、昼食。午後は歴史博物館と碑林を観光して西安での忙しい観光が終了。
夕方の飛行機で北京へ。久しぶりの日本食の夕食後、10時すぎにホテルへ。北京は2泊で連泊なのがうれしい。


1997年9/21 シルクロードの旅:北京

朝、目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのかわからないくらいぐっすり寝た。観光は今日1日で終わりだ。
今日は日曜日の上に日本は飛び石の4連休で、北京の観光地は混んでいるために朝は8:00出発。
明の十三陵というが実際観光できるのは1つだけ。棺室では本当に押し合いへしあいの混雑でグループからはぐれないようにするだけで必死だ。表に出ると緑がきれい。ウルムチ、トルファンに比べると日本に近い分だけ、気温や湿度も日本に近いように感じる。最も一面砂漠の黄色い砂が見えないための錯覚かもしれない。
昼食は日本の観光地の団体専用食堂のようなところ。ものすごく大きく駐車場には大型バスが連なり、表示を見るとほとんどが日本語で会社や地域、趣味のGPらしい名前が表示してある。ここで日本の高校生の団体に会った。修学旅行に海外に行く話を聞いたことはあったが、実際に出会ったのは初めて。海外で見る制服は何か違和感を覚える。
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万里の長城はリピータなど数名がロープウェイでいくことになった。私もロープウェイ乗り場へ。空から万里の長城を見てみたい、と話しながら行ったがロープウェイはヘリコプターではないので横から登って高いところまでいける、ということだった。山の稜線にそって築かれている万里の長城の眺めは雄大。しばし眺めて、さあ戻ろうと降りかけたら、顔を真っ赤にした徒歩組4人と感動の再会。会えないとガイドからいわれていたのに。後で添乗員が感心していたが、普通45分かかるコースを彼女たちは30分できたことになる。
市内への道路は舗装されてきれいになってはいたが、大渋滞でかなり時間がかかった。この後、お土産やさん、食事、観劇というスケジュール。今夜も遅い。

1997年9/21 シルクロードの旅:北京 → 成田

いよいよ今日は帰国。10日間は長いと思っていたが、過ぎてみれば早いものだ。
5:45バッゲージアウトの予定だが5:30にボーイがドアをたたく。5:45でしょ、と言ってドアをしめてもまたたたかれる。せかされてとにかくトランクをだす。6:00朝食、6:45出発。9:25の国際線なのでやむを得ない。
空港で10日間お世話になった随行員の李さんとお別れ。彼は日本の手話を一生懸命覚え、自分でコミュニケーションをとろうと頑張った好青年だ。「今回のGPは事前に耳が聞こえない、とは聞いていたがまさか90%が聞こえないとは思わなかった、メンバーのバイタリティと旅行を楽しむ術のうまさに感動した」という。 飛行機は時間通りに離陸。今回は珍しく飛行機はすべて予定時間通りだった。中国の飛行機事情もだいぶんよくなった、ということか。
成田にも時間通り着。夫と10日ぶりに再会。みんなとは再会を期して別れる。事故なく全員無事帰国。団長、添乗員さん、そしてみなさん、ご苦労様&ありがとうございました。

2001年5月 中国山水画のふるさと黄山への旅に寄せて

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黄山に行ってきました。山水画のふるさと、黄山。険しく切り立った岩、腕を自由自在に伸ばしている松。険しい山の真ん中に亭があってゆったりお茶を飲んでいる人がいる...こんなの水墨画の世界の話し、と思っていたら、本当に見ることができるなんて。夕陽に輝く峰々、雲海に光を放ちながら昇る朝日。想像以上に素敵な旅でした。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2001.5.2 成田 → 上海 → 黄山空港(屯渓)
移動 黄山国際大酒店泊
2001.5.3 屯渓 → 黄山麓 → 山頂 山頂散策 西海飯店泊
2001.5.4 終日フリータイム
山頂散策 西海飯店泊
2001.5.5 終日フリータイム
山頂散策 西海飯店泊
2001.5.6 山頂 → 黄山麓 → 屯渓 → 上海 老街散策 花園飯店泊
2001.5.7 上海 → 成田 帰宅

2001年 5/2 中国山水画のふるさと黄山への旅:成田 → 上海 → 黄山

01-yoen2.jpg午前10時発JAL791で上海へ。中国は97年以来4年ぶり。上海の国際空港は浦東新空港。展覧館までリムジンバス(上海浦東国際機場公交路線)で行く。街の変貌ぶりに夫婦二人共おのぼりさんのように歓声を上げながらカメラのシャッターを切った。花園飯店で上海虹橋空港(東京でいえば羽田か)までのシャトルバスの予約後、荷物を預けて豫園へ。東京の浅草のようなところ。すごい人ひとHITO。
5月1日は労働祭、2日、3日と連休のため、日本同様中国もゴールデンウィーク。押すな押すなの大混雑。緑波廊酒楼で点心を食べる。ショーロンポウのおつゆをこぼさないように...おいしかったです。


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上海発20:30、黄山のふもとの町の屯渓着21:25。ガイドの劉さんと会い、ホテルへ。明日の待ち合わせ時間を確認。長い間あこがれていた黄山は、ここから75Kmだ。
本日の感想。中国人の女性がきれい。スタイルはいいし、ものすごくおしゃれでかっこいい。(男の子もいい)
携帯電話の普及がめざましい。中国は広いから電話ケーブルは敷きつめるのは大変なので携帯がなかり普及している、とは聞いていたが。(山のてっぺんでも携帯を使っていました)

機内食:ソバ、ピラフ
夕食:緑波廊酒楼の点心
歩数:12,989歩

2001年 5/3 中国山水画のふるさと黄山への旅 黄山麓

01-pain.jpg8時半ホテル発。天気は良好。ロープウェイ乗り場まで車で約2時間。途中トイレ休憩をしながら行く。ロープウェイ乗り場は大混雑だが、ガイドが予約しておいてくれたおかげで、11:00には乗車。入山料一人80元(1元は約15円)とロープウェイ代66元+15元、保険2元を払う。死亡40000元(約60万円)、けが8000元(約12万円)の保障。
白鷺駅まで8分。そこもまた人ひとヒト...。もらったイラストマップを片手にホテルへ。すぐに急な下り。階段をどんどん下る。少し不安。後でまた登るのかなぁ。北海賓館の前にでる。ながめがいい。切り立った峰々がくっきりと見えワクワク。背中のリックが重いのでとにかく宿泊する西海飯店まで急ぐがこれが結構な山道(全部階段だけど)。アップダウンがきつくてひいひい言ってしまう。黄山って本格的山だったのね...。劉さんは30分です、と言っていたが1時間位に感じた。


01-sunset2.jpgまわりは中国人がいっぱ?い!何度も来ている中国。生活の向上を感じる。お茶は以前はネスカフェの空き瓶に茶葉を入れ、お湯を入れていたが、今は圧倒的にペットボトルかお茶専用のボトル。変わった...。
ホテルチェックイン。まず昼食を食べる。おいしい。別料金で@80元、飲み物付。食休み後、出発。目の前の丹霞峰に登る。きついが景色は最高。山頂は夕陽を撮るにはよさそうだが、日没後戻るには急過ぎて足元が危なそうので、降りて排雲亭から「夢幻世界」の方に行く。すばらしい景色が次々現れるが、がけっぷちのようなところを登り降りするのでこわい。夕陽撮影によさそうなところに5時過ぎに着く。6時20分頃日没。いつのまにかまわりは人でいっぱい。
途中何度も声をかけられた。道を聞かれたり、カメラのことをはなしたり(らしい)。でも中国語はビールとお茶を頼むくらいしかできない私たち。中国人に見えるのかしら。
空には丸い月がくっきり。明日の日の出に備えて早めに寝る。

朝食:中国式ビュフェ(おかゆ、饅頭他)
昼食:西海飯店の中国式ビュフェ(きくらげのとうふいため、ちまき他)
夕食:西海飯店 (野菜、鶏肉ほか)
歩数:13,855歩

2001年 5/4 中国山水画のふるさと黄山への旅:黄山散策

01-sunrise.jpg朝4時に目覚まし時計をセットしておいたが、3時過ぎ位から表が騒がしく目が覚めてしまう。中国人ガイドの大声とそれに連なっていく人々のざわめき。私たちも仕度をして出発。ホテル備え付けのダウンジャケットを羽織る。昨夜、地図で日の出のビューポイントをチェックしておいたが、行列して行く状態なので、心配はいらなかった。でも結構な上り下りで息があがる。時々道の端に寄り、後ろの人に先に行ってもらいながら休まないと歩けない。暑い。
清涼台まで約20分。既にどこも人でいっぱい。さらに上をめざす。寝起きの上に登りできつい。ハアハアと登るがどこも人がいっぱい。獅子峰の手前のところで隙間になんとか入り込む。あたりは既に明るく東の空はほんのり赤い。しばらくしてだれかが「ライラ!」と叫んだ瞬間、朝日が昇ってきた。大歓声。やったぁ、ご来光だ。


01-fstone.jpg今日は黄山の難コース、玉塀楼に行くことにする。7時半出発。飛来石、光明頂を越えて行く。中国人団体さんが多く、赤、黄色、白と帽子が目印。福州や貴陽など各地からきている。今日もすごい人。まわりは全部中国人。あたりは中国語だらけだが、私たちにはまったくわからない。
天界餐庁を超えて一線天というところに出た時、あまりの急勾配にため息がでた。ものすごい下り。その先にそびえる山々。あれを越えて行くの、と思うと少し後悔した。たくさんの人が線状にずーっとずーーーっとつながっている。ひえぇー!でも、いくっきゃない。


01-people.jpg日ごろの運動不足が身にしみる。休み休みでも一歩づついけば、人の倍時間をかければきっとそのうち着く、と信じてただただ歩いた。
玉塀楼が見えた。かっこいい。最高峰の蓮花峰を経由するコースとしないコースがあった。もちろん経由しないで玉塀楼に向かう。体中汗だらけ。昼過ぎ、やっと玉塀楼賓館に着く。ようやくふらふらになってたどり着いたのに、ここも人でいっぱい。レストランは予約客であふれ、行列して待っている。外でお弁当を売っていたので買う。量が多かったので1つを半分づつ食べた。一気に食べたがおいしかった。
休んで元気になったこともあり、蓮花峰経由で帰る。が、斜度60度くらいのところを1列になって登って行くので思わず「こわいよー」。足だけでなく手も使っての登り降り。きつい登りの連続で休憩する時もちょっと下を見ると足がすくんでしまう。向かいには威風堂々の玉塀楼。すごいところでした。


01-gyoku.jpg今日は朝から快晴。おかげで手や顔は真っ赤に日焼け。そして足はガクカク、下りははひざは笑うし、身体は汗でべとべと。夫が写真をとろうと三脚を立てると人が寄ってきて、とろうとした場所で自分たちが順番に写真をとるので、結局三脚は「お荷物」でしかありませんでした。私はデジカメでパチョパチョ。いつも手ぶれがひどいので、同じ所で2枚づつ撮るようにした。リスク分散というところ。
夫は今日も夕陽が撮れると期待しているが、くたくたの私にはホテルのお風呂とベットが目の前にちらついて「帰りたいよぉ?」と言っていたら、4時半頃急に雨が降り出した。雨具を着て、ホテル着18時。歩いたー。
夜、足マッサージをしてもらう。明朝は雨だ。ゆっくり寝られる。

朝食:ビュフェ(おかゆ、点心他)
昼食:お弁当(やさいのたまごとじ、大根と肉の煮物、にんにくの芽と肉いため)
夕食:西海飯店 (野菜、鶏肉ほか)
歩数:25,300歩

2001年 5/5 中国山水画のふるさと黄山への旅:黄山散策(2)

01-mist.jpg7時頃起床。筋肉痛。ふくらはぎがパンパン。
雨はあがっているがあたりは霧に包まれ視界は200mあるかないか。朝食後、排雲亭まで行ってみる。深い谷間がまったく見えず。谷が深いのにまったく見えないので怖く感じない。とはいえ幻想的な景色はそれなりに素敵。相変わらず中国人団体が多いし元気。ホテルに戻って一休み。毛峰茶を飲む。山頂には北海賓館と西海飯店の3つ星のホテルがあるし、他にもホテルはたくさんあるが、この間はお金があっても予約いっぱいでなかなか泊まれないとのこと。そばに山小屋があるが、この間は8人一部屋のところに16人だったそうだ。日本の山小屋もハイシーズンはすごいが中国も変わらない。


01-mist2.jpg昼前に出発し清涼台、猴子観海(おさるさんの形の岩)に行くが、雲の中を歩いている状態。3時頃ホテルに戻り私はダウン。夫はしばらくテレビで水滸伝を見ていたが、5時頃カメラをかついで出て行く。窓から見ても相変わらずの霧。1時間程で戻りお風呂に入る。外はさらに霧が濃くなっている。交替して私がお風呂に入った頃から、窓の外で中国人のさわいでいる声。あんまりすごいのでお風呂から出てから外を見てみてびっくり。



01-unkai.jpg「ねえ、寝ている場合じゃないわよ。雲海が出ているよ!」「えーっ!!」さっきまであんなに濃い霧だったのに、わずか20分で空は夕焼け、向かいの谷間には雲海が広がっていた。夫は急いで三脚を抱えて飛び出す。私は貴重品と懐中電灯をリックにつっこんで夫を追った。排雲亭まで急ぐが、ひざの痛みがほとんど感じない。(さっきまでひいひい言っていたのに)途中でまた何人もの中国人に声をかけられる。「あっちの方がいいぞ、早くいけ」と叫んでいる。(らしい) 排雲亭はすごい人。とにかくすてきな雲海。夕陽はもう沈んでしまったが、あたりはまだ明るさが残っていて、人々が狂喜しながら写真をとったりしていた。私たちは夢幻世界という素敵な地名の奥にどんどん行く。すごい。雲海と浮かぶ峰々。なんてラッキーな私たち、と笑いが止まらない。あたりがすっかり暗くなるまでかけずりまわった。
ホテルに戻り祝杯をあげ、明日の日の出を期待して休む。

朝食:ビュフェ(おかゆ、点心他)
昼食:北海賓館のビュフェ(味は私は西海飯店の方が好きです)
夕食:西海飯店 (野菜、扁魚ほか)
歩数:13,130歩

2001年 5/6 中国山水画のふるさと黄山への旅:黄山 → 屯渓 → 上海

01-sunrise3.jpg4時起床。日の出を見に出発。見上げれば雲は切れているので日の出は大丈夫と思うが、連休も終わりに近づいたせいか、ひっそり。2日前と比べるとさびしい。東の空にまっかな朝焼け。おとといはどよんとしていた。清涼台はガラガラ。前と同じ場所に行く。私たち二人だけ。下は雲海、空の高い所には雲。その間をまっかに染めながら朝日が昇ってきた。きれいな朝焼け。
朝食後、3日間お世話になった部屋をかたずけ、7時半過ぎに出発。ちょっと早いが足が痛いので、休み休み行くことにする。雲海がきれいだ。足が痛い。特に下りが痛い。雲海に浮かぶ玉塀楼をみながらロープウェイで降りる。途中から完全に霧の中。8時半頃着。ドライバーさん、ガイドと会い、屯渓に戻る。
ガイドは私たちのスケジュールを見て、写真家か画家だと思ったそうだ。また二人だけで行くので(他はほとんど全員ガイド付)中国語が堪能だと思っていたとのこと。また、天候については快晴、雨、雲海すべて見られることはめずらしい、とのことでした。リップサービスかもしれないけど、信じておこうっと。

01-haibou.jpg今回私たちは山頂に3泊したのできついコースにも行ったが、ホテル周辺はいわゆるハイライト地域。どこもすばらしい景色。荷物は頼めば棒々(バンバン)という強力さんが1つ50元くらいで運んでくれるので、年配の方もご心配なく。日本人やフランス人グループに会いましたが、みなさん、割りとご年配でしたが、ゆっくり楽しんでいらっしゃいました。ところでこの棒々、山頂での食料から何から何まで下から運び上げて行く。山頂のゴミも彼らが運んで行く。すごい。
黄山で感心したのはお掃除のおじさんとおまわりさんが多いこと。岩のかたちをしたゴミ箱がたくさんある。黄色と青の服を着たお掃除のおじさんが大勢いて、人が多いところでは落とすそばから拾っていく。ちょうど東京ディズニーランドのよう。また、急ながけや危険なところ、かつての自殺の名所などにはおまわりさんが巡回している。黄山は「中国の中で、衛生第一の山と言われている」とはガイドの劉さんの話し。
01-rougai.jpg地元レストランで名物料理の石鶏(蛙)を食べる。おいしい!その後、ガイドブックに載っていない観光地、牌坊(世界遺産申請中)に行ってもらう。(別料金300元だった)貞淑な女性をたたえたり、皇帝へ忠誠の証しなどのために、塩の専売権を持っていた財産家が建てたもので、文革の時には地面に埋めて守ったそうです。
その後、老街を散策、夕食後空港へ。屯渓21:50発、上海22:40着

上海虹橋空港からホテルまでタクシーに乗ったら、途中でパンク。時間は夜の11時過ぎ。朝4時に起きた私たちは、ただぼぉ?としていた。やっとホテルにたどりついたら、今度は私たちの予約がキャンセルされているという。当初5月2日も上海泊予定だったが、屯渓便の都合で屯渓泊に変更した。5/2の上海泊をキャンセルしたときに5/6もキャンセルしてしまったらしい。時間も時間だし、その夜はクレジット・カードを担保に泊まる。長い1日だった。

朝食:ビュフェ(おかゆ、点心他)
昼食:町のレストラン(蛙ときくらげ、とうふのたまごとじ、やさいなど)
夕食:空港近くのレストラン (野菜、チャーハン、魚ほか)
歩数:14,306歩

2001年 5/7 中国山水画のふるさと黄山への旅:

01-shanghai.jpg7時半起床。8時半(日本時間9時半)を待って日本の旅行社へ電話。まだ留守番電話。35分に再度電話。まだ留守番電話。テープは「営業時間は9時半から...」と言っているのにぃ。仕方ないので手配をしてくれた実務担当者へ電話。事情を話し、朝食に行く。部屋へ戻っても連絡がまだのようなので、近くを散歩。本当に女性がきれいだし、みんな元気だ。活気がある。本屋さんなどをのぞいてからホテルへ戻る。日本の旅行社から電話。直後にホテルの予約係りから電話。お詫びのあいさつにくる。ほっ。
11時のシャトルバスで浦東国際空港へ、14:10JAL792で帰国。疲れたけど、お天気に恵まれた旅でした。楽しかった?。

朝食:パン、フライドエッグ、ソーセージ
昼食:空港で肉うどん
夕食:機内食 牛肉とヌードル
歩数:7,638歩


追伸;帰国して気がついたこと。両手の指がつるつるしている。どうやら登山の時に岩などにつかまったので、サンドペーパー効果でつるつるになったらしい。(何か起こすなら今かな(^。^))

2002年8月 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅に寄せて

石灰岩でできた棚田のような池群、透明度の高い池に泳ぐ魚たち、高山病への不安を抱きながらの中国・世界遺産へ、四川省・成都を入り口に、ぐるっと専用車を利用しての旅です。

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2002.8.16(金) 成田 → 成都
移動 銀河王朝泊
2002.8.17(土) 成都 56K → 都江堰 50K → 映秀 50K → 臥龍 150K → 茂県 都江堰・パンダ 貴賓桜大酒店泊
2002.8.18(日) 茂県 140K → 松藩 17K → 川主寺 42K → 黄龍 黄龍への道・川主寺 華龍山荘泊
2002.8.19(月) 黄龍観光 42K → 川主寺 88K → 九寨溝 黄龍 九寨溝国際泊
2002.8.20(火) 九寨溝 九寨溝散策 九寨溝国際泊
2002.8.21(水) 九寨溝 173K → 平武 130K → 江油-39K → 綿陽 山岳ドライブ 臨園賓館泊
2002.8.22(木) 綿陽 100K → 成都 160K → 楽山 47k → 峨眉山 峨眉山へ 紅珠山賓館泊
2002.8.23(金) 峨眉山 160k → 成都 高速ドライブ 銀河王朝泊
2002.8.24(土) 成都 フリー(市内めぐり) 銀河王朝泊
2002.8.25(日) 成都 Airline → 上海 Airline → 福岡 Airline → 成田 オーバーブッキングで直行便に乗れず! 自宅

2002年 8/16 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅

02-081601.jpg15時発の成都までの直行便。お盆休みのためか道路事情がよく、成田着12:30。中国西南航空のカウンターに行くが、13:00から受付開始と待たされる。団体客も多く、飛行機はジャンボではないが満席。機内食もおいしく、5時間は近い。便利だ。夫は『三国志』の復習をしている。成都では劉備や孔明ゆかりの地が多く、みのがしたくないもの。途中空から長江の太くて長い黄色の蛇行が見える。
空港ではガイドの杜さんとドライバーの陳さんに迎えられ、まっすぐホテルへ。市内は結構渋滞。成都は人口300万人以上の大都市で、現在車が400台/月に増えているとか。すごい!
ホテルの25階のビジネスセンターでパソコンを持ち込んでインターネットできることを確認。中国のパソコンでは日本語表示ができないもの。
明日から本番。さっさとねることにする。

夕食:機内食(和食を選択)牛肉、野菜の煮物など。おいしい。

2002年 8/17 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 都江堰・大熊猫の里へ

02-081701.jpg9時ホテル発で都江堰(とこうえん)へ。高速道路で快適。道幅広く、ゆったりした感じだ。
都江堰は秦の時代から行った水利工事として有名だが、実際にきてみると結構見るところも多く楽しめる。上から水利工事の全体をながめた後、下に下りて川の流れやぐらぐら揺れる吊り橋を渡って内江と外江の間の堰に行き、電気自動車にのって観光。風を切って走るので、気持ちがよかった。


02-081703.jpg昼食後山道を2時間走って臥龍(がりゅう)へ。諸葛孔明のあだ名でもある臥龍にはパンダ研究所があり、たくさんのパンダをみることができる。四川省だけで800頭のパンダが確認されているとか。ここは、山で傷ついたパンダが治るまで治療したり、人工授精するとのこと。午後なので寝てるかな、と思ったがけっこうたくさん表に出ていて、笹をたべたり遊んだりして楽しませてくれる。保育器に入っている赤ちゃんパンダを見た。生後1ヶ月だそうで既に白と黒の毛が生えていた。


赤ちゃんパンダをだっこして写真をとれる、というので申し込んだ。大きいパンダ100元(1元=約15円)、小さいパンダ200元。もちろん200元のほうをお願いした。ここでの収入は施設の維持やパンダの研究に使われるという。02-081704.jpg
生後4ヶ月だそうだが、「これって赤ちゃん!?」っていう大きさ。重かったし、ちょっと怖かった。

この後、岷江(みんこう)沿いに山また山を越えて茂県へ。蜀は山岳地帯が自然の要害で「蜀の桟道」、と三国志にあったが、山あいの支流に沿った道を車が飛ばしていく。ドライバーの陳さんは他の車をガンガン追い抜いていく。車種はフォルクスワーゲン。馬力がある。ガイドによると、私たちが2時間できたところを大型バスだとあんなに追い抜きはできないので3時間はかかります、とのこと。
茂県のホテル着は6:45。ひと休みした後、夕食。ホテルに戻ってテレビをつけたら、料理の鉄人のような番組をやっていた。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 洋・中 種類多し
昼食:都江堰のレストランで山菜料理 ちょっと辛い
夕食:おこげ他きのこ類が多い 辛くない

2002年 8/18 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 黄龍へ

02-081802.jpg今日は黄龍(こうりゅう)への移動日。ガイドからも高山病対策に身体を慣らしながら行きます、と説明される。
途中山道の崖崩れや道路工事があちこちにある。まあ一日かけて黄龍までいけばいいのだから。
キョウ族などの少数民族の村が点在しており、そのうちのひとつに寄ってみる。どこもこどもはかわいい。また、衛星放送のパラボラアンテナがあり、遠くからみると花が咲いているようだが、近くで見ると、昔からの暗い部屋でテレビをみていた。
途中、昔地震でせき止められた湖の脇を通る。まるでアルプスのようなところだ。
ところで中国のトイレ事情。かなりよくなってホテルやレストランでは何も問題はないが、さすがに山越えの途中でのトイレ休憩は昔ながらのニーハオトイレ。個室ではないのである。今回は5角(約8円)とるところが多い。お金取るなら、もうちょっときれいにして。


02-081801.jpg松潘(しょうはん)という古城の街で子供たちがよってきた。デジカメで自分たちを撮って、みせてほしいという。カメラを向けたらとびっきりの笑顔をしてくれた。
黄龍到着直前にはこの旅行最高高度の4000メートルの雪宝頂の峠越えがある。さすがに私はここ手前でダウン。息苦しいのと吐き気に襲われぐったり。ドライバーの運転が急にやさしくなり、何とかホテル着。3000メートル以上の位置にあるとは思えないきれいなホテル。とにかく寝る。夕方食事に行き、すぐにまた寝ることにする。頭痛い。。。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル 中華 おかゆ他
昼食:川主寺のレストラン ちょっと辛い
夕食:ホテル近くのレストラン ガイドお目当てのレストランは売り切れで仕方なくそのとなりへ

2002年 8/19 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 黄龍観光

02-081901.jpg昨夜、夜中にひどい嘔吐と下痢に襲われ、高山病のおそろしさを実感。こんな苦労をしているんだから黄龍にはぜったい行くぞ!と決意して起きる。頭ジンジン、からだフラフラ。朝食は小さい何も入っていない饅頭とお茶のみ。(※何ともない人もいるのでご安心を。私は他でも高地は具合が悪くなるタイプなのです。夫は軽い頭痛程度でした)
黄龍はガイドのお勧めに従い、上まで籠で一気に運んでもらう。恥ずかしかったが、身体には変えられない。空気が薄いせいか息苦しいが、強力さん二人にしょってもらっているのだから文句はいえない。


02-081902.jpg1時間40分の籠の旅の末に、やっとついた頂上は五彩池という黄龍一番の見所。天気もよく水の色がきれいだ。くることができてよかった。池の深さで多少色が違う。エメラルドグリーン、ブルー、その濃淡。。。とすごくきれい。石灰石でできた池のかたちも面白い。ちょうど鍾乳洞が池をつくっている状態。がんばって来てよかった!(頑張ったのは強力さんかも)


下までは歩いてくだる。あちこちに池があり、滝がありの約3時間の下山。観光客も多い。ほとんどが中国人。日本人にはほんの少ししか会わなかった。タイミングの問題だと思いますが。
下山したらなんか身体がフラフラ。山では空気も景色もいいので気がまぎれていたのでしょうが、下に降りるとものすごい数の観光客と大量のバスの排気ガスで、きのうから胃がからっぽの身体にこたえた。
昼食には何と茶碗蒸!胃の調子の悪い私にはぴったり。ほっ。


02-081903.jpgこの後、九寨溝(きゅうさいこう)に車で向かう。昨日までの山道と違い平野のようなところが多い。途中、チベットのお寺に寄る。少ない人数なのに、丁寧に説明してくれた。車の中では熟睡。ドライバーさん、ごめんなさい。。。
九寨溝はものすごいホテル郡があり、ここもすごい人。九寨溝は環境保護のために入場者を1日12000人に限っているそうですが、全ホテルの収容能力は5万人だとか。どうなっちゃうんだろう???
私たち予約のホテルはきれいで食事もおいしかった。夜8時にマッサージを予約。明日に備える。

朝食:ホテルのブッフェスタイル 饅頭他
昼食:黄龍のレストラン ちゃわん蒸し、ぎんなんのスープ他
夕食:ホテルのレストラン ブッフェスタイル きれいでおいしい

2002年 8/20 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 九寨溝

02-082001.jpg朝起きてみると高山病はすっきり解消。ここは高度約2000メートル。低いところに降りれば治るんですね。
昨夜ネットワーク接続がうまくいかなかったので、今朝ホテルのビジネスセンターが開く時間になると夫はすぐに行ってくるが、やっぱりうまくいかない。???。ガイドから電話で出発を30分繰り上げたいとのこと。反対する理由はなく、すぐに出発。
入り口付近は大変な人出でwebで読んだバスに乗るまでに1時間押し合いへしあいした人の文章が頭に浮かび、不安がよぎるが、何ということもなく、バスにも整備員の誘導で難なく乗ることができた。webで学習したとおりに左にすわった。しばらくの間の景色は左に次々に美しい水や滝があらわれ、わくわく。今日もお天気はよく、水の色もきれいだ。
熊猫(パンダ)海でバスを降りる。五花湖で道路から下に降り、ぐるっとまわる。すごい人。写真をとるのもひと苦労。珍珠灘瀑布はすごい人だったが、やっぱり九寨溝にきてこれをみなければ。。。


02-082002.jpg今は増水期だそうで、水量も多く迫力満点。上から見ても下から見てもど迫力でした。この後、鏡海の方へ木道を通っていくと、こっちは人が少なくさびしいくらい。山の景色とエメラルドグリーンの湖、まわりは高山植物の花々。小鳥のさえずりも聞こえて最高。
中国のことわざで『山を見たければ黄山へ行け、水をみたければ九寨溝へ行け』というそうだ。昨年黄山へ行ったが、どちらも本当にすばらしい景色だ。
昼食は自助餐庁。バイキングのこと。ゆでたじゃがいもにとうがらしをつけて食べるのがおいしかった。
長海までバスに乗る。バスの中には場違いなカラオケがガンガンかかっていた。まるで紅白歌合戦のような派手な衣装。どうしてここでーーー?

02-082003.jpg五彩池を見てからバスで樹正群海まで行き、火花海、臥龍を夫の写真撮影のスピードに合わせてくだる。九寨溝らしくすばらしい景色。滝、豊かな水の流れ、チベット族の家などのくみあわせ。臥龍のあたりは人も少なく楽しく下った。この後、チベットのお寺を見て終了。疲れた?。足、特にふくらはぎが痛い!
ホテルに戻り、休憩後夕食。日本人の団体2GPがきていた。そういえば今日1日、日本人と行き会わなかった。久しぶりに聞く日本語会話だ。
この後、ホテルのショウを見る。中国語がわからないので楽しさ半分だが、衣装と兄ちゃんはきれいだった。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル おいしい
昼食:九寨溝の自助餐庁 食べられた。
夕食:ホテルのビュッフェスタイル 蛙、魚、肉、野菜たっぷり、デザートいっぱい おいしい

2002年 8/21 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 綿陽

02-082101.jpg本日は移動日。九寨溝から綿陽(めんよう)という街までひたすら行く。途中チベット族の中の白馬族という少数民族の村とお寺に寄るがあとはひたすら運転手だけが働いている状態。きれいなお水が流れる山沿いの道と延々と走る。私たちは昨日の名残で足が痛い。
九寨溝は1972年に木材伐採の時に労働者が「発見」したそうだ。それまではチベット族がひっそり住んでいただけだったとか。1972年といえばたかだか30年前のこと。中国はでかい!
昼食は平武という山奥の町の山珍王というところで山菜料理をたべる。こんな山奥なのに本当においしかった。


02-082102.jpg



江油(こうゆ)という町からは見晴らしもよく、道幅も広くなった。途中からは高速道路。今までの山道と違い気持ちよく走る。途中、パンク・トラブルはあったものの、綿陽(めんよう)に無事到着。遠かったー。
夕食後街を散歩。10万人がテレビ工場で働いているというこの街。夜もにぎやかであかるい。人出も多く、治安も安定しているのだろう。今夜インターネットにあっさり接続できた。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:山菜料理 松茸その他。卵焼きもおいしかった
夕食:ホテルのビュッフェスタイル 種類は多いが全体に大味

2002年 8/22 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 楽山

02-082201.jpg朝食後、成都に向けて出発。昨日までの山道と違って高速道路なので早い。とはいえなぜか人が高速道路を横切っていたりして怖い。不思議だ。
三星堆遺跡博物館へ。数年前に日本にきた時にみたが、本場は種類も多くてスケールが違う。ディスプレイもきれいでみやすい。
次に楽山へ。高速道路で3時間。またまたドライバー以外は熟睡。山岳地帯から降りてきたので下界は暑い。
昼食は楽山近くのレストランで。これが辛い!夫は舌がビリビリしびれているが、ガイドとドライバーはそれを楽しんでいるみたいだ。麻婆料理は簡単のようだが実は味付けが難しいとのこと。ドライバーの陳さんは料理が自慢とか。ガイドが桃を買ってきてくれる。新鮮果物を二人が何かと気をつかって買ってくれるが、これがおいしい。でも買っている様子はまるでけんかだ。


02-082202.jpg楽山(らくざん)の見学に。はじめは船に乗って川からながめる。山をけずって作った高さ71mの摩崖大仏。かなり長いこと修復していたが、終了していてよかった。テレビの世界遺産で見たときは足場が組んであった。
最後に船は対岸に近づく。島全体が大仏が横たわった形になっている。でかい!
この後、実際に大仏の周りを1周。すごい人で降りるだけのために40分並んだ。足の親指の爪に大人が10人立てる広さがある、という巨大な大仏。降り出して見あげると、どこにいても大仏が私を見ているように感じる。
びっしょり汗をかいて大仏1周を終了し、今晩の宿泊地、峨眉山(がびざん)に向かう。今夜のホテルはかつて蒋介石の別荘だったそうだ。ホテルのとなりの報国寺を見学して、本日の観光は終了。お風呂が気持ちいい。(私は洗濯が大変)

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:麻婆なす、麻婆春雨など 辛い!!!けれどおいしい
夕食:ホテルのビュッフェスタイル 水餃子、その他いろいろ

2002年 8/23 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 峨眉山・成都

02-082301.jpg朝食後、峨眉山へ。車で1時間半山道を登る。入り口では登山者の顔写真まで撮る。何でこんなに厳しい必要があるのかしら。ロープウェイで金頂へ。頂上にはかつて銅屋根のお寺があり、遠くから見ると金色に輝いているため金頂と名づけられたとのこと。現在のお寺は火事で焼失した後1982年に再建されたものとか。さだまさしの映画『長江』にでてくるお寺はもっとふるびていたもの。
今日は雲海もなく、霧が立ち込めていた。夫は霧が晴れるまで待ちたい、と主張したが、30分位うろうろしたところであきらめて下山。


02-082302.jpg途中のレストランで昼食。汲み出し豆腐みたいなものが出ておいしい。私がお腹の調子が悪いのでガイドさん、ドライバーさんがメニューにも気を遣ってくれている様子。油っこいものは拒絶反応。いつも食欲旺盛の私としては残念でもあるのだが、これはこれでおいしかった。
この後、成都に高速道路で戻る。途中サービスエリアでトイレ休憩。私たちのほかはだれもいないし、お店も閉まっていてさびしい?。
成都では武侯祠(ぶこうし)、杜甫草堂(とほそうどう)を見学。武侯祠は三国志好きにはとっても楽しいところ。杜甫草堂は書道をやっている私には楽しかった。


02-082303.jpg時間があるからとお茶屋さんへ。思い返せばこの1週間で初めて連れて行かれたお土産さん。これは中国旅行ではものすご?く珍しいこと。旅行会社の地元でもあり少しお付き合い。うちで飲むと味が違うのよねぇ?。
夕食はガイド、ドライバーと最後の食事なので4人でここまでの旅の安全に祝杯をあげる。長い間お世話になりました。今日までの走行距離は1800キロ。いつ崩れもおかしくないような山道、せま?いトンネルでの大型トラックとのすれ違いなどなどドライバーの陳さんの腕は最高でした。本当に謝謝!
夕食後、川劇(せんげき)へ。予想以上にたのしかった。次々とお面が変わる変面、お人形の劇、影絵や胡弓の演奏。中国語がわからなくても十分楽しめました。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:峨眉山麓のレストラン 筍のスープ、汲み出し豆腐など おいしい
夕食:成都市内のレストラン 唐辛子のお魚他四川料理 辛い!!!おいしい!!!

2002年 8/24 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅 成都

02-082401.jpg今日は1日フリー。市内をぷらぷら歩くつもり。始めに本屋をめざして歩く。入り口でかばんを預けて中へ。土曜日ということもありすごく混んでいる。おどろいたことに本屋で勉強している人が多い。階段は本を読んでいる人でいっぱい。ノートを持ち込んで何やら書き写している人もいる。
本屋を出てから人が多いほうに歩いていったらホコテンだった。仮設ステージでお笑い俳優らしい人が何かやっており、黒山の人。ふとみあげるとヨーカ堂のマーク。早速行ってみる。人でい?っぱい。特に地下の食料品売り場はすごい。でもものすごくおいしそうなものがいっぱいあり、楽しく見て歩く。陳麻婆豆腐の素などをお土産に購入。主婦の私としては大満足。


02-082402.jpgお昼近いので5階のレストラン街へ。火鍋を食べる。辛いのとそうでないのと半分に仕切ったものを注文。辛い方はものすごく辛かった。辛くないほうはだしがタンメンのような味でとてもおいしかった。2人分で38元(約600円)。安い。まわりを見ると半分に仕切っていない、全部辛いほうを食べている人が多かった。辛党の私でも口がびりびりしびれました。
食事で大汗をかいたのでホテルに戻ってシャワーをあびる。成都は本当に蒸し暑く、この後の散歩でも汗をかき、アンダーウェアを2回も着替えた。


02-082403.jpg喫茶店にも入ってみる。すごくゆったりしていて中には寝ている人もあり。龍丼茶と碧螺春茶を注文。請求金額はなぜかメニューの半額程度だった。
夜の食事はガイドの杜さんおすすめの成都小吃城(しょうきつじょう)。まわりの中国人のエネルギッシュな声高の会話を聞きながら食事をした。中国の発展のスピードには目をみはるものがあるし、人々のパワフルな感じにはすごい、と思う。それと共に大量消費大量廃棄が来るたびに広まっていることに恐ろしさも感じる。
今回は四川省山奥の自然がつくった美しい池や水をたっぷりみてきた。この同じ時、アラスカでは鯨がジャンプし、熊が遡上している鮭を食べ、そのお残りを鳥たちがまっているのだから、地球の自然は本当にすばらしい。そのアラスカでは氷河が溶け、ここ中国では九寨溝の池の一部は干上がっていた。地球環境を守るために私ができることはすくないけれど、でも一人からでもやっていかなくては、と改めて感じた。

朝食:ホテルのビュッフェスタイル
昼食:イトウヨーカ堂5階で火鍋
夕食:成都小吃城

2002年 8/25 九寨溝・黄龍・峨眉山・楽山よくばり旅

本日は帰国日。ダイアリーに書くことは何もないだろう、と思っていたが。。。 朝4時モーニングコール、5時20分ホテル発で空港へ。10日間お世話になったガイドの杜さん、ドライバーの陳さんと最後のご挨拶をして航空会社のカウンターに向かった。このまま7:20の成田直行便で日本に帰る予定だった。が、私達の航空券がリコンファームしたにもかかわらずキャンセルされている、今日は満席で席がない、という。
なんでーーー!

さんざんすったもんだしたあげく福岡経由で帰宅。最初の予定より8時間送れて成田着。疲れました。
ちなみに航空会社は、"中国西南航空"でした。

2009年10月 中国・銭塘江 大海嘯の旅に寄せて

大海嘯。風の谷のナウシカで聞いたことがある方も多いかも。
年に1度、満月の夜、大きな波がうなりをあげて海から川へと逆流するのを見てみたい!

今回のスケジュール

日付 日程 観光/見学 宿泊
2009.10.3(土) 自宅→ 横浜(YCAT) → 成田 → 杭州  杭州観光 西湖 杭州維景大酒店
2009.10.4(日) 大海嘯ほか観光 大酒店 → 塩官鎮 → 西湖 →演劇(印象西湖) 杭州維景大酒店
2009.10.5(月) 旧街区観光 → 杭州空港 → 成田 観光 → 帰路 自宅

2009年10/03 中国・銭塘江 大海嘯の旅:成田 → 杭州

09-1003-0006.jpg朝5時半にタクシーに迎えに来てもらい、三ツ境駅へ。横浜駅からはYCATでバスに乗る。
そう、今日は退職後初めての海外旅行。実は今回までに2回キャンセルをしている。
1回目はアユタヤ遺跡に退職後すぐいくつもりだったが、政情不安定でキャンセル。
次は10/10からインドに行くのは同行者の体調不良でキャンセル。で、今回は「もういいわ、一人で行く」と申し込んだが、土日月の2泊3日だったので、夫に「1日休暇とれる?」。ということで二人で来ている。

09-1003-0007.jpg
中国は7年ぶり。今回の目玉は一度は見てみたい、と前々から思っていた銭塘江の大逆流(大海嘯)。仲秋の名月で満潮の10月4日が最大になる日。楽しみ?。

成田から杭州までANAの直行便。私はここ杭州は3度目の訪問。もっとも20年ぶりなので、町はすっかり変貌。西湖のまわりの景色は別の国のようになっていた。中国は10/1の国慶節を含め今週は国全体がお休みとのことで、観光客でごったがえしている。観光客の様子もすっかり様変わり。日本と何もかわらない。

09-1003-0003.jpg


       今日は到着後、西湖の遊覧と夕食後に「西湖の夜」という観劇。こうゆうのもレベルアップしているなぁ。で、ホテルに戻ったのは21時(日本時間22時)ごろ。眠い!疲れた?。

 朝食:昨夜作っておいたおにぎり
 昼食:機内食 サラダ、前菜いろいろ、サンマのかば焼き、ごはん
 夕食:百合花ホテルの広東料理レストラン 前菜、豚のからあげ、餃子、すずきの蒸し物、鳥の焼き物、スープ、野菜、かにご飯、果物他
 歩数:18,016歩

2009年10/04 中国・銭塘江 大海嘯の旅:杭州

09-1004-0001.jpg中国は日本より1時間遅れ。なので朝、通常の6時、こちらの5時にしっかり目が覚める。今日はメイン・イベントの大海嘯。

朝食後、出発。杭州と上海の浦東をむすぶ高速道路で行く。約1時間半。昨夜が満月。今日が1年で一番大きな逆流がみられる日なので、道路は大渋滞、観覧場所は人でいっぱい。


09-1004-0002.jpgでも少し早めについたので、近くの古い町並みを散策。臭豆腐という発酵したお豆腐を煮たり揚げたりして売っているのが、ものすごい臭いをあたりにまきちらしている。かつて書道の友人たちと紹興に行った時を思い出す。お店の名前も「観潮飯店」と逆流を意味する名前が多い。


09-1004-0003.jpgで、11時頃観覧席着。ここでお弁当を食べながら12時の本番まで待つ。今のうちに、と11時半頃トイレに。かつて中国の街中のトイレは個室の仕切りはなく、水洗ではなく、かなり勇気が必要だったが、今は日本とまったく同じ。表示も「厠」から「衛生間」に変わっていた。とはいえ女子トイレはお決まりの大行列。


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やっと用をすませて座席に戻ると、何となくざわめきが。左奥を見ると波しぶきがこちらにむかってきている。みんな立ちあがり、のびをして見ている。時計を見るとは11時50分。まだ遠いがかなりなスピードでこちらに向かっている。あわててビデオをセット。ちょっと撮っては、みやすいところに、と場所もあちこち動き回るも、人も動き回っているので、あんまりかわらないか。


09-1004-0006.jpg

波しぶきは約20分かけて目の前を通り過ぎて行った。高さ2?3メートル。逆流が通り過ぎて行った後は、目の前の川の水量がその分高くなって茶色い水がごうごうとさっきまでと逆の方向に流れている。津波ってこういう状態なんだから、怖いなぁ。。。かつては5?9メートルあった大海嘯。今は沿岸の整備などで2?「3メートルになったとのことだが、でもやっぱり自然の偉大さを感じる瞬間。楽しかったー。

09-1004-0007.jpg


午後はお茶博物館、おいしい夕食、西湖でのお月見、オプションの観劇とびっちり遊んでホテル着23時。眠いー。

 朝食:ホテルのビュフェスタイル おかゆ、菜っ葉、ベーコン他
 昼食:お弁当 たくわんを巻いたおにぎり、鮭、から揚げ、ウインナ、サラダ
 夕食:杭州名物料理の乞食鳥、東バ肉、野菜、スープなどたくさん。おいしかった
 歩数:10,801歩

2009年10/05 中国・銭塘江 大海嘯の旅:杭州

09-1005-0001.jpg今朝は9時半集合なので朝のんびり。昨夜はさすがに疲れたもの。
朝食後、河坊街の散策。ちょうど浅草の仲見世のようなところ。中国の連休のせいか、すっごーい人。
ファーストフード横町みたいなところを覗くと、見慣れた食べ物のほかにかえる、あひるの頭などもある。







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書の友人のお土産に筆を買いたかったが、筆屋さんは見当たらず。印材店はたくさんあった。

とちゅう『伍公山』なるところがあったので登ってみる。狭い古い道を登っていくとたくさんの人が休憩していて、ものすごくにぎやか。廟があったので入ってみる。杭州にかかわりがある人の壁画があったが、だれか個人の廟なのか、五人の廟なのかはわかりませんでした。



09-1005-0003.jpgこの後、空港に向かい、ガイドの了さんとお別れ。お世話になりました。みんながおみやげをたくさん買ったので、科長になれるといいですね。

飛行機は時間通りに離陸、着陸。日本は雨。肌寒い。
2泊3日と短かったけど、楽しかったー。

 朝食:ホテルのビュフェスタイル マントウ、おかゆ、フルーツ他
 昼食:機内食 前菜、お魚ときのこの煮物、ごはん、モンブラン
 歩数:9,346歩